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東北大学 須川成利 教授

科学を変える1,000万分の1秒

1000万分の1秒。これまで誰も容易には見ることができなかった刹那の世界だ。
島津製作所と東北大学が共同で開発した超高速度ビデオカメラ「Hyper Vision HPV-X」は、
その一瞬を捉え、映像化することによって、材料科学やナノテクノロジー、生命科学などの分野で技術革新に寄与することが期待されている。
カギとなったCMOSイメージセンサを開発した東北大学大学院の須川教授に、誕生の舞台裏を聞いた。

見たいものがまだ見えない

「歴史を振り返れば、それまで見えなかったものが見えるようになったとき、科学は大きく進歩しています。顕微鏡も望遠鏡もしかりです。このカメラも、大きなイノベーションを生むことになるかもしれません」
東北大学大学院工学研究科教授の須川成利 教授は、感慨深げに語る。
須川教授が手にしているのは、島津製作所が2012年9月に製品化した1000万分の1秒の世界を動画で捉える超高速度ビデオカメラ「Hyper Vision HPV-X」(以下HPV-X)。教授はその共同開発者であり、最重要部品であるCMOSイメージセンサの設計・開発者である。
衝撃波、破断、発光、放電など、一瞬で起きる物理現象を捉えて、鮮明に記録・再生する高速度ビデオカメラ。島津製作所は2005年に当時世界最高レベルの100万分の1秒を捉える高速度ビデオカメラを製品化し、大きな反響を得ていた。だが顧客から「まだ見たいものが見えない。何とかならないか」という声があり、さらなる高速化が望まれた。
島津は、当初、初代高速度ビデオカメラに採用していた撮像素子CCDイメージセンサの性能向上を考えた。だが、撮影スピードを上げようとすると、大量の熱が発生し、センサが壊れてしまうという現象にぶつかってしまう。
CCDを動作させるためには高い電圧が必要だ。しかもCCDはシリコン基板上に一面「電荷をためておくバケツ」を並べて置いているようなもので、1コマ撮影するごとに、バケツリレー式に隣のバケツに電荷を転送していく構造になっている。そのため、1コマ撮影するごとに全バケツを受け渡す作業を行う必要があり、それが高熱を発生させる原因となっていた。どうやらCCDでは技術的な限界が近いのではないか、そう判断した島津の近藤泰志(分析計測事業部 技術部 新規事業開発推進グループ課長)と冨永秀樹(基盤技術研究所 光デバイスユニットコンポーネントグループ主査)は、2007年5月、須川教授のもとを訪ねた。

見たいものがまだ見えない

CMOSイメージセンサ育ての親、東北大学大学院の須川成利 教授(左)と、須川研究室で1年間共同開発を担当した島津製作所 基盤技術研究所の冨永秀樹主査(右)

CMOSの育ての親

かつて、CMOSはCCDに比べて標準的な半導体プロセスを用いて安価に製造できるが、ノイズが多く画質も劣るという印象が持たれていた。それを一掃したのが須川教授だ。教授は、長くカメラメーカーに勤務し、CMOSイメージセンサの開発に携わった経歴の持ち主で、2000年には世界で初めてCMOSセンサを搭載した一眼レフカメラを世に送り出した。CMOSは、2004年にはCCDを上回る出荷量となるまでになった。そこに果たした須川教授の功績は大きい。
島津が教授のもとを訪れ、出した要望は、多岐にわたった。
最高動作速度であるコマ間隔、1000万分の1秒の動画撮影になっても画質は落とさず、ノイズが発生しないようにしたい。最高動作速度で1分以上作動させても、発熱しないようにしたい。CCDが苦手としていた青い光も撮れるようにしたいなど。
「とにかくこれまでのCCDの高速度ビデオカメラに比べて、劣るところはいっさいなく、なおかつ10倍の高速化を実現してほしいということ。なかなか厳しい“お客様”でした(笑)」(須川教授)
最大の課題は漏れる光である。1000万分の1秒という超短時間で露光させるには、極めて強い光源が必要で、画素は常に強い光にさらされている。このため、画素から漏れ出た光や電荷が、周辺のメモリ素子に混入し画質を劣化させてしまう。画素とメモリ素子が隣接して配置されるCCDでは逃れられない宿命だが、CMOSであっても同じ配置をとるなら、これを防ぎきることはできない。
だが、須川教授はこの問題もクリアする。10万個の画素から2万5千本の金属配線を引き出し、センサ周辺部の遮光された領域に配した1280万個のメモリ素子に接続。1コマ撮影するごとに電荷を移す仕組みを組み込んだのだ。いわば、庭に置いてあるバケツから樋を引っ張って、庇の下の別のバケツに移していくようなもの。強い光も庇の下までは届かないので、余計な光や電荷がメモリにこぼれ込むことはない。
この仕組みを考えついた須川教授は、仕様書にまとめ、島津に提案した。
「びっくりしました。最初の相談からわずか1ヶ月ちょっとで、先生から会いたいと連絡があり伺ってみたら、もう構想だけでなく詳細な仕様書ができあがっていたんです」(冨永主査)
それから東北大学と島津は超高速度ビデオカメラの開発を急ピッチで進めた。2009年にプロトタイプセンサによる原理実証を完了させた後、科学技術振興機構(JST)の研究成果最適展開事業(A-STEP)からの支援を受け、製品用センサの開発プロジェクトがスタートした。冨永主査を含め2名の島津スタッフが1年間、須川研究室に籍を置き、東北大学と共同で製品用センサの設計を行った。試作したセンサの動作検証を完了した後、2011年には分析計測事業部で製品カメラの開発がスタートし、1年余りで製品化にこぎ着けた。
プレス発表を2011年3月に控えていたその時、できあがったウェハを保管していた工場が東日本大震災で被災した。難を逃れたのはたった数枚。そのウェハを「救出」し、再度開発を続行するというアクシデントもあったが、最初の構想から5年という短期間で、超高速度ビデオカメラの製品化にこぎ着けることができた。
「高速CMOSイメージセンサは、これまで一度も取り組んだことのない分野ではありましたが、培ってきた知識や開発環境を活かせば、必ずできるという確信がありました。私の経験が、未知の領域の探査に活かされるかと思うと、研究者冥利につきます」(須川教授)

CMOSの育ての親

コマ間隔1000万分の1秒の動画撮影を可能にしたCMOSイメージセンサ。性能向上に向けた取組みは今も続けられている。

CMOSの育ての親
CMOSの育ての親

続々と見つかる新事実

教授がいう「未知の領域」とは、どのような世界なのだろうか。
たとえば、航空機や自動車のボディに使われるCFRP(炭素繊維強化プラスチック)。通常、金属や樹脂材料に力を加えていくと、徐々に変形して壊れていくが、CFRPは閾値を超える力が加わると、一気に破壊に至ってしまう。その崩壊の速度は非常に速く、これまで誰も見ることができなかった。だが、1000万コマ/秒の映像は、その崩壊のプロセスを適確に捉えていた。材料の作り方や接着剤、成型方法によって崩壊のプロセスがまったく異なっていることも判明し、より強度に優れたCFRPの開発に欠かせない貴重なデータを収集できるようになったのだ。
ほかにも、スマートフォンの保護ガラスに亀裂が走る過程や、インクジェットの駆動機構が高速動作する様子なども克明に捉えた。今後、医療や宇宙開発でも新たな可能性を切り開いていくと期待されている。
「計測技術を開発することがいかに重要か、今回の共同開発で改めて認識させられました。島津には、今後もこの分野を先導して、革新的な技術や製品を生み出す原動力になってほしいと願っています」(須川教授)
HPV-Xの開発後も、島津と須川教授は協力関係を継続。さらなる革新をめざして、議論を戦わせている。

クラック進展

クラック進展(ガラス)撮影速度:1,000万コマ/秒

須川成利 (すがわ しげとし)

東北大学大学院工学研究科技術社会システム専攻 教授

須川成利 (すがわ しげとし)

1982年、東京工業大学大学院修士修了(物理学)。96年、東北大学大学院博士課程修了(電子工学)。82年、キヤノンに入社。AFセンサの開発に従事し、87年、自身が開発したAFセンサを搭載した一眼レフカメラを世に送り出す。同年よりCMOSイメージセンサの開発に携わり、2000年にはCMOS イメージセンサ搭載のデジタル一眼レフカメラが発売される。1999年より東北大学に移り、半導体プロセス、デバイス、イメージセンサの開発に従事している。