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JAみちのく安達

安達太良の米

安達太良の米01

安全でおいしい米を届けたい。
東日本大震災とそれに続く原発事故で深刻な被害を受けた福島県JAみちのく安達の覚悟の米づくりを追った。

なんにも悪いことはしてない

「すべて検査済みです。安全で、おいしいお米が今年もできました」
JAみちのく安達の保管倉庫。高宮文作常務理事は出荷を待つ米袋を見上げ、感慨深げに語る。
西を奥羽山脈、東を阿武隈山地に挟まれ、阿武隈川が育んだ肥沃な土地が広がる福島県中通り。ゆるやかな地形は人や荷物の往来を生み、東京と東北を結ぶ東北自動車道も国道4号線もここに整備されていった。
その中通りの北部、二本松市、本宮市、大玉村の2市1村を管轄区域とする農業協同組合がJAみちのく安達だ。組合員の農家は1万2000戸。うち半分の6000戸が米を生産し、年間生産量は1万トンを超える。
そろそろ今年も田んぼの準備をと腰を上げ始めた2011年3月11日、東日本大震災が発生した。この日から、農家の長く厳しい戦いが始まった。
激しい揺れで多くの組合員の自宅建物が損壊、用水路が壊れた地域もあった。海から50㎞以上離れているため津波の被害はなかったが、メルトダウンに続いて水素爆発を起こした福島第一原発から放出された放射性物質が、阿武隈山地を回り込み、一部が国道4号線に沿って南下した。
JAみちのく安達の管内は、避難指示区域からは外れていたものの、一部の野菜や牛乳からは基準値を超える放射性物質が検出され、出荷規制の対象となった。
「俺だぢはなんにも悪りいごどしてねえ」という酪農家の切実な言葉は電波に乗り、福島の現実を世界に突き付けた。

喜んで食べてもらってなんぼ

4月、米づくりの季節を前に田の土壌検査が行われた。土壌1kgあたり5000ベクレルを超える放射性セシウムが検出されると米づくりはできない。だが、幸いにしてすべての検査ポイントが基準値を下回った。
「組合員にはいろいろな意見がありました。野菜は出荷規制が解かれた後も、福島産というだけで手を延ばしてもらえませんでしたから、米だって、作ったはいいが誰も食べてくれないかもしれない、そんなものを作ってどうする、と涙する組合員もいました。しかし、私たちは農業者です。田んぼを背負って逃げるわけにもいきません。私たちが私たち自身であるために、土を耕し、作物を作り、『おいしい』と喜んで食べてもらってなんぼではないのか、皆で考えることで、改めて原点に立ち返ることができました」
組合は決起集会を開き、2011年も米づくりを行うことを決定。田は、例年通り青く染まった。だが稲刈りを終えた10月、福島県内の一部地域で収穫された玄米から暫定規制値(当時)である500ベクレル/kgが検出された。
いわゆるホットスポットだった。その直前に「安全宣言」が出されていたことから、消費者に不安が広がってしまった。
「これは生易しい事故じゃない。もっと腰を据えてかからないとダメだと痛感しました」

安達太良の米02

全袋検査の衝撃

信頼回復を急ぐ福島県は、極めて厳しい検査対策を打ち出した。米の全袋検査である。収穫した米は、出荷前にすべて放射線量検査を行い、それにパスした米だけが市場に流通するようにしたのだ。
「聞いたときは、机上の空論だと怒りがこみ上げてきました。この管内だけでも30㎏の米袋が毎年77万袋以上あります。現場を知る者であれば、無理だということがすぐ分かります。被害者である私たちがなぜそこまでやらなければならないのか。どうしても納得がいきませんでした。でも、福島の米は本当においしいんです。その米を心待ちにしてくださっているお客様に、安全安心を届けるためにはやるしかない。そう決意しました」
2011年9月末、折しも福島県二本松市から島津製作所に連絡があり、検査装置の開発可能性について相談があった。島津は、患者の体内に放射性の診断薬を投与して、その薬から発生する放射線を検出してがん検査を行うPET(陽電子放射断層撮影装置)を開発・製造している国内唯一の企業だ。放射線の検出については高い技術があり、PETを応用した食品放射能検査装置を造れないかと8月から検討していた。
全袋検査をするためには、極めて短時間で検査でき、計測する放射線はPETの6万分の1以下にしなければならないなどの難問が続いたが、これまでの技術を結集して、わずか3カ月でプロトタイプの完成にこぎつけた。
2012年2月、JAみちのく安達の倉庫に運び込んで臨んだ実証実験。ベルトコンベアに米袋を載せると、条件設定により一袋5~15秒で次々と検査していく。居合わせた関係者の間に「やれるかもしれない」という空気が広がった。1万6000袋もの実証実験を重ねるなか、30kgの米袋をベルトコンベアに載せ降ろしする作業がいかに重労働かも知った。そこで持ち上げ機を導入するなど使い勝手の改良も行った。
「今、農家は高齢化が進んでいます。島津は装置の性能や速さだけでなく、使う人のことを一番に考え、真剣に議論して改良してくれました。その対応力には恐れ入るばかりです」

本物を作っていくだけ

2012年の4月、被災から2度目の米づくりが始まった。国による食品中の放射線量の基準値は、1kgあたり100ベクレルとより厳しく改正され、農家の苦労は倍加することが確定的だった。だが、高宮常務理事らは怯まなかった。土壌分析から始まり、セシウムが稲に移行するのを防ぐゼオライトやケイ酸カリを投入して土壌改良を行い、水の取り込み口にもセシウムを吸着するフィルター効果対策も行った。刈り取りや乾燥にも土壌や空気からの移行を防ぐために細心の注意を払った。
そして8月25日、収穫したばかりの早場米が、島津の食品放射能検査装置FOODSEYEの待つ倉庫に運び込まれた。前年の検査で1kgあたり20ベクレルが検出された米が生産された田で穫れた米だ。結果は、検出限界の1kgあたり11ベクレル以下。農家のプライドの勝利だった。
それから2カ月間、JAみちのく安達の管内で、13台のFOODSEYE(フーズアイ)がフル稼働し、民間の集荷業者の取り扱い分を含む70万袋を検査。福島県で最も早く全袋検査をやり遂げた。
「今は苦労が少しは報われたかなという思いの半面、まだまだ何が起きるか分からない、もっと気を引き締めていかなければという思いのほうが強いんです。どれだけ安全が確認されても、福島の米を食べたくないとおっしゃる方は、残念ながらいらっしゃいます。それを嘆いても始まりません。私たちは放射能と戦うよりも、現状を受け止め、どう付き合っていくかを考えるほうが良いと思って前進しています。たとえ風評の払拭に何年かかろうとも、私たちは覚悟を決め、おいしい本物の米を作っていくだけです」
まもなく今年の米づくりが始まる。

安達太良の米03

米袋の持ち上げ機や、誰でも使える操作ガイド、段差解消、照明など、現場で 使うことを考え抜き、1台で約2000袋/ 日の検査が実現した。

安達太良の米04

検査済みシールが貼られ、店頭に並ぶ福島ブランドのお米

高宮文作 (たかみや ぶんさく)

みちのく安達農業協同組合常務理事(営農経済担当)
JAみちのく安達燃料株 式会社取締役社長

高宮文作 (たかみや ぶんさく)

長く農協で技術指導に携わり、2010年より常務理事に。東日本大震災で甚大な被害を被った地域の農業再生に向け、奮闘を続けている。