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トヨタ自動車

微生物が拓くクルマの未来

代替燃料としての期待

トヨタ自動車のバイオ技術開発室。研究室のドアを開けると、まるでパン生地を寝かせているときのような柔らかな香りが漂う。ここで開発されているのは、化石燃料に替わるエネルギーとして期待されるバイオ燃料だ。
バイオ燃料の製造工程は、お酒のそれとほぼ同じだ。酵母の力を借りて原材料中の糖分を発酵させて、エタノールを作り出す。
再生可能な植物資源から生産でき、植物を育てることで生産する分、燃焼させても地表を循環する二酸化炭素量が増えることもないとされ、環境にやさしく持続可能なエネルギーとして、期待が集まっている。
また、ガソリンと混合しやすいため、ある程度までの混合比であれば、既存のガソリンエンジンでも使用できる。現在、世界でサトウキビやトウモロコシを原料とするバイオエタノールの商用化が進んでおり、たとえばサトウキビの生産高が多いブラジルでは、バイオ燃料の導入に積極的で、ガソリンにバイオエタノールを20%混合した燃料が標準となっている。

代替燃料としての期待

トヨタのバイオ・緑化研究所のバイオ燃料生成実験施設

食料との競合

だが、問題がないわけではない。最大の課題は、食料との競合をどうするかだ。トウモロコシにしろサトウキビにしろ、本来は食料である。それを燃料用に振り向ければ、食料にあてる分は減らさざるを得ない。人口爆発による食料危機が叫ばれるなか、いかに環境にやさしいとはいえ、バイオ燃料の隆盛を手放しで喜ぶことはできない。
そこで、多くの研究者は、稲わらや木材など、非食用植物の繊維部分(セルロース・ヘミセルロース)を原料とするバイオ燃料の開発を競っている。セルロースも多糖類で、分解すれば糖となり、発酵させることはできる。だが、非常に安定した物質で、酸や塩基にも強く、分解・発酵には数段階に及ぶ複雑な工程が必要とされる。自ずと製造コストは高くならざるを得ず、化石燃料の座を脅かすには至っていない。

人任せにはできない

こうした状況のなかで、トヨタは2007年から本格的にバイオエタノールの研究開発をスタートさせた。
「環境問題や食料問題にも対応できる良いモビリティを提供することは、自動車会社としての使命。人任せにすることはできないのです」(バイオ技術開発室高橋和志室長)
原料として選んだのは、アフリカ原産のイネ科植物「ネピアグラス」。飼料として用いられ、食料生産には不適とされる酸性土壌でも生育でき、熱帯なら4カ月で2メートルほどにも成長する。イネと比較すると、わずか5分の1のコストで同じ収量を得られる“有望株”だ。
これを高温・高圧で蒸して、繊維を分解。酵母を加えて糖化・発酵させるのだが、もちろんすんなりとはいかなかった。
セルロースを分解するとグルコースが、ヘミセルロースを分解するとキシロースという糖ができるが、キシロースを代謝することができる天然の菌は存在しない。虫歯になりにくい甘味料として知られるキシリトールの原料でもあり、菌との相性はすこぶる悪い。また、繊維の分解過程で発生する酢酸は、発酵を阻害する働きもある。
「酵母が、苦しい苦しいと言いながら、ようやくグルコースの一部をかじっているような状況で、当初は原料に含まれる糖の10%程度しかエタノールに変換することができなかったんです」(高橋室長)
工程を何段階にも分ければ、変換効率を上げることは可能だったが、実用化を前提とした研究では、なによりも工程をシンプルにすることが求められた。

人任せにはできない01
人任せにはできない02

原料として選ばれたアフリカ原産のネピアグラス。

スーパー酵母の完成

そこで、同研究所は遺伝子操作による新しい酵母の開発に取り組んだ。何十、何百種ものサンプルを試すなか、ついにシロアリの腸内細菌から取り出した遺伝子を組み込むことで、酢酸を寄せ付けず、キシロースすら発酵させてしまうスーパー酵母を作り上げたのだ。「トヨタキシロース1号」と名付けたこの酵母は、その後の改良の結果、現在変換効率87%まで上昇。世界トップレベルの効率を誇っている。
研究にあたっては島津製作所の装置群が果たした役割も小さくない。
 「原料の分解から糖化まで、島津の高速液体クロマトグラフ(HPLC)や高速液体クロマトグラフ質量分析計(LC/MS)でモニターしています。また、糖化液を発酵させる酵母菌の開発にも島津のDNA/RNA分析用マイクロチップ電気泳動装置(MCE-202 MultiNA)が活躍しています。膨大なサンプルデータを一気に解析する仕組みを作っていただいたり、LC/MSで糖の解析をするメソッドを開発してもらったり、非常に的確なサポートをいただいたからこそ、1年足らずで、ここまでの成果が出せたのだと思います」(バイオ技術開発室保谷典子主任)
現在、研究チームは、ミニプラントの稼働にも成功し、研究は次のステップへ進んだ。実用化は2020年の予定だ。

スーパー酵母の完成01

スーパー酵母「トヨタキシロース1号」の開発に活用され、今もフル稼働する島津のDNA/RNA 分析用マイクロチップ電気泳動装置MCE-202 MultiNA.


スーパー酵母の完成02

高速液体クロマトグラフ質量分析計LCMS-2020
「装置だけでなく、非常に的確なサポートがあったからこそ、ここまでの成果が出せました」(バイオ技術開発室保谷典子主任)

高橋和志(たかはし かずし)

トヨタ自動車株式会社 バイオ・緑化事業部 バイオ技術開発室 室長 理学博士

高橋和志(たかはし かずし)

1986年、北海道大学理学部生物学科植物学専攻卒業。1991年、名古屋大学大学院理学研究科大気水圏科学専攻博士後期課程修了。1991年、トヨタ自動車に入社。バイオ開発の立ち上げに参画。「トヨタの森」計画を担当。1999年、バイオ・緑化事業部にて海外の植林事業を担当。2001年、中国河北省砂漠化防止植林プロジェクト立ち上げ。2007年、バイオ燃料の製造技術開発担当。原料植物の栽培から酵母の発酵まで最適化したシステムで、バイオ燃料を世に出し、次世代モビリティ社会の基盤づくりに貢献したいと考えている。