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神戸大学 質量分析総合センター

健康診断を変える

意欲的な試みだ。神戸大学医学部の質量分析総合センターが臨床メタボロミクスプロジェクトで目指すのは、全国民の超早期診断。学部間、産学の壁を取り払った研究が、医療に革新をもたらそうとしている。

体の全代謝物をスクリーニング

神戸大学医学部「質量分析総合センター」には、10台を越える質量分析装置がずらりと並ぶ。保健所や大きな研究所なら珍しくない光景だが、一大学の医学部内で、これだけの装置が稼働しているところは、全国でもここだけだ。
多数を占めているのはガスクロマトグラフ質量分析計(GC/MS)という装置。ガスクロマトグラフは混合物を気化させて1種類ずつ分離する。接続された質量分析装置は、何の物質が、どれくらい含まれているかを測定する。血液などをこの装置にかければ、そこに溶け込んでいる物質を見事に選り分けて、どれくらい含まれているかグラフで表示する。
「血中に溶け込んでいる代謝物を網羅的に測定できます。我々が目指しているのは、全代謝物質のネットワークを見て、あらゆる異常を発見すること。0.1ミリリットルの血液があれば、どんな病気にかかっている可能性があるかの判断ができるのです」(竹縄忠臣教授)

体の全代謝物をスクリーニング

我々が目指しているのは、全代謝物質のネットワークを見て、あらゆる異常を発見することです。(センター長 竹縄忠臣教授)

臨床医が研究に主体的に加われることが重要

私たちの体が生命活動を行う際には必ず代謝物(メタボライト)が作られ、体のほぼあらゆる異常において、特定の代謝物が増えたり減ったりしている。こうした代謝物をGC/MSで測定すれば、その人がどんな病気にかかっているか、またはかかっていないかをスクリーニングできる。
質量分析総合センターの開設は2008年。病気の超早期診断には生体を構成するタンパク質(プロテオーム)と、生命を維持するために必要な代謝産物(メタボローム)の「正常」と「異常」を網羅的に解析することが適しているという認識が高まり、医学部の竹縄忠臣教授と吉田優准教授が中心となり、理学や情報科学の専門家を招いて医学部内に設置した。島津製作所も共同運営事業者として名を連ねている。がん・代謝疾患・神経変性疾患・シグナル伝達病など様々な分野を対象とした臨床メタボロミクスに特化した拠点として注目されている。
「医学部内にあるということが非常に重要なのです。以前は共同研究先にサンプルを届け、検査依頼をするというのが普通だったのですが、これでは時間もかかるし、感染症の恐れのあるサンプルでは依頼しにくい。またデータを解析する際は、患者の投薬歴や既往歴も加味して検討しなくてはなりません。それには十分な臨床スキルを持った医師が、主体的に加わる必要があったのです」(吉田准教授)
現在約120の代謝物をターゲットにして、どの病気でどの代謝物の量に変化があるか「プロファイリング」しているところだ。成果も出始めており、消化器のがんでは、現時点で主流となっている腫瘍マーカーよりも感度が高く、早期のステージでも変動する代謝物を次々に特定している。

臨床医が研究に主体的に加われることが重要

生体を構成するタンパク質(プロテオーム)の構造と機能に重点を置いた網羅的解析”プロテオミクス”に活用される 島津の液体クロマトグラフ質量分析計LCMS-IT-TOFやLCMS-2010EVなど。


臨床医が研究に主体的に加われることが重要

GCMS-QP2010 Ultra(右)やGCMS-QP2010 Plus(左)など、 7台もの島津のガスクロマトグラフ質量分析計がフル稼働している。

健康診断であらゆる病気を見つけたい

「ターゲットにしているのは年一度の健康診断」
と、吉田准教授は言葉に力を込める。
「これまでも肝臓の数値の検査や血糖値の検査、腫瘍マーカー検査など、個別の検査は行われていました。しかし、それは本人が希望した場合や医師が必要と判断した場合に限られます。本人に自覚症状がなければ、手遅れになるまで発見できないということも多いのです。通常の定期健康診断でこの検査をして、病気が疑われれば、少なくとも病院には来てもらえる。詳細な検査はそれからでもいいのです」(吉田准教授)
健康診断を受けている人全員がこの検査を受けるとなれば、年間数千万人を検査することになる。装置で分析する前の前処理が複雑な遺伝子検査やタンパク質の検査では、とてもこの量をカバーすることはできないが、「高感度で測定速度も速い島津のGCMS-QP2010 Ultraを使った代謝物検査なら実現できる可能性は高い」(竹縄教授)という。
「もちろん、主旨に賛同して多くの病院施設が検査プロジェクトに参画してくれることが前提ですが、遺伝子約2万5000、タンパク質は約100万あるのに対して、代謝物は約4000種類しかないうえ、前処理も遺伝子などに比べればずっと容易です」(篠原正和研究員)
「タンパク質などのより詳細な検査には液体クロマトグラフ質量分析計(LC/MS)などが適していますが、スクリーニングという役割には、GC/MSが最適で再現性に優れているうえに、非常に使いやすい。しかも40年以上の歴史があって、しっかりとした代謝物のデータベースがある。これを改良していけば、我々が望むスクリーニング用のライブラリーもそう遠くない将来、完成させられるでしょう」(竹縄教授)
それでも、まだ使い勝手には要望がある。
「臨床検査技師や医師にとってはまだ敷居が高い装置です。院内の臨床検査で実施している尿検査や血液検査と同じくらい簡便にできるようになってほしい。そうすれば、10年も経たないうちに、質量分析装置はすべての病院の臨床検査室に置かれるようになるでしょう」(吉田准教授)

健康診断であらゆる病気を見つけたい

GC/MSによる代謝物検査のターゲットは、年に一度の定期健康診断です。(吉田優准教授)


健康診断であらゆる病気を見つけたい

代謝物は約4000種類しかないうえ、遺伝子検査などに比べればずっと容易です。(篠原正和研究員)

profile

神戸大学大学院医学研究科特命教授
脂質生化学分野 質量分析総合センター長
東京大学名誉教授

竹縄 忠臣 (たけなわ ただおみ) (写真右)

1966年京都大学薬学部卒業。筑波大学基礎医学講師。東京大学医学部生化学助教授。東京都老人総合研究所部長、東京大学医科学研究所教授などを経て、2007年神戸大学医学系研究科特命教授。08年から現職へ。



神戸大学大学院医学研究科准教授
消化器内科学分野 病因病体解析学(疾患メタボロミクス)分野長
医学博士

吉田 優 (よしだ まさる)(写真左)



神戸大学大学院医学研究科
循環器内科学分野 質量分析総合センター 研究員
医学博士

篠原 正和 (しのはら まさかず)(写真中央)