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浜松医科大学 鈴木修 理事

法医学者の執念

毛髪1本から薬物を検出

遺体に残されたわずかな毒物・薬物から、死因を探り、事件事故の捜査に道筋をつける。
映画などでおなじみの法医学、法中毒学の現場には、スクリーンには映されることのない「執念」があった。

毛髪1本から薬物を検出

「髪の毛は、いわば老廃物のゴミ捨て場です」
と語るのは、浜松医科大学理事で日本法中毒学会理事長を務める法医学者鈴木修氏。27年前、質量分析装置を用いて、1本の髪の毛から覚せい剤の成分を検出する技法を開発した人物だ。
こうした犯罪捜査や裁判などの過程で必要となる体内組織の分析や分析方法を研究する学問を「法中毒学」という。遺体に残されたわずかな薬物や毒物を検出し、その人の死因や死に至る過程を探り当てるなど、事件事故の捜査において重要な役割を担っていることは言うまでもない。
1984年に鈴木氏がこの技法を確立する以前は、覚せい剤を使用しているかどうかを調べるには、尿か血液の検査に頼るしかなかった。しかし、近年の芸能人の薬物問題などでも報道されたように、2~3日以内に体内をめぐる覚せい剤成分は、すべて体外へ排出されてしまう。また、体内残留期間内に拘留された容疑者が排尿をがまんし続け、検査を回避するなど、警察当局は成分検出に頭を悩ませていた。
人体は、悪影響を及ぼすものをなるべく早く体外へ出そうとする。多くは尿や汗、唾液、便などに混じって出て行くが、水に溶けにくいものは比較的長時間体内に残ることになる。それらのうち、塩基性の高いものはメラニンと結合して髪の毛に入りやすい。覚せい剤や抗うつ剤などはその筆頭だ。

法中毒学界のノーベル賞を受賞

法中毒学界のノーベル賞を受賞

ここに目をつけた鈴木氏は、当時最新の技術であった「化学イオン化法」を用いて、1本の髪の毛から覚せい剤の成分を検出することに成功した。
「この成功にはいくつかの幸運がありました。この大学が新設の医科大学のため、最新の分析装置をそろえていたこと。また、ガスクロマトグラフ質量分析装置のイオン化室に開いている穴を、たまたまふさいだところ、覚せい剤のピークが数十倍大きくなったなどの幸運が重なり、薬物検査において大きな変革をもたらしたのです」
髪の毛は1ヶ月に約1センチずつ伸びる。5ミリずつ切って根元から何番目か数えれば、いつごろから覚せい剤を使っていたか、見事にあぶりだせる。しかも髪の毛なら血液と異なり、採取に痛みを伴うこともない。鈴木氏の発見から四半世紀をすぎても、その手法は第一線で活用されている。
2008年、国際法中毒学会はその功績を認め、法中毒学界のノーベル賞ともいわれる「アラン・カリー賞」を鈴木氏に授与した。

この人はなぜ死んだのか

法医学者にとって、もっとも重要な役割はやはり司法解剖だ。異状な遺体のうち司法解剖に回される遺体は、年間5000~6000体ある。そのうち毒物や薬物の過剰摂取が死因とされるのは数パーセント。だが、「薬物がらみ」となると、その数字は跳ね上がる。鈴木氏ら法中毒学の専門家が捜査に携わる機会は、思いのほか多い。
「人は足りませんね。薬学の出身で装置を扱える人材は増えていますが、やはりこれは医師の仕事です。遺体の状況を目視して、的確に組織を採取して、検査にかける。これには医師の目が不可欠なんです」
有力な手掛かりとなるのは、やはり血液だ。経口によるものにしろ、肺から吸い込んだものにしろ、およそあらゆる薬物や毒物は、血液を経由して体内に運ばれていく。したがって、血液を採取して分析機にかければ、死因との関係がわかる可能性が高い。

死体は語らない

だが、生命活動を終えた体は急速に変質していく。血液は血管から組織にどんどん浸潤し、数日で心臓も空っぽになってしまう。しかも急速に腐敗が進行し、成分は変化しつづける。
「亡くなる直前に薬物や毒物がどれくらい血中に存在していたか、その濃度を私たちは知りたいんです。それがわかれば、死因の特定につながります。しかし、時間が経てば経つほど、これらの成分は失われ、変化も起こる。こうした死後変化を前提に、亡くなる直前の血中濃度を推理していくんです」
ときには、白骨化した遺体から骨髄を取り出して、そこに含まれるごくわずかな成分を検出することもあるという。もちろん髪の毛も有力な材料だ。
「死体は、何も語ってはくれません。むしろ隠そうとするんです。それをこじ開けて探るのが、我々の務めです。だからこそ、高性能な分析装置は欠かせない。ガスクロマトグラフ質量分析装置(GCMS)は我々にとって欠くべからざる存在。島津はよきパートナーです」
研究室では、島津のGCMS-QP2010 Plusと「GCMS法薬毒物データベース」を組み合わせて使っており、高精度な分析が迅速かつ簡便にできると好評だ。
「執念」と鈴木氏はいう。
遺体を見つめ、装置にかじりつき、急速にその体から消えつつあるわずかな証拠を拾い上げて、白日のもとに示す。法医学者、法中毒学者のその執念があればこそ、死者も遺族も、安らぎを得ることができる。本当に大切な仕事なのだ。

死体は語らない

法医学教室で薬毒物の成分検出を担う ガスクロマトグラフ質量分析計GCMS-QP2010 Plus

profile

浜松医科大学 理事

鈴木 修 (すずき おさむ)

1971年名古屋大学医学部卒業。1975年名古屋大学大学院医学研究科修了。浜松医科大学医学部講師。同大学助教授。1992年浜松医科大学法医学講座教授。浜松医科大学副学長などを経て、2010年から現職へ。日本法中毒学会理事長。国際法中毒学会地域代表者。日本医用マススペクトル学会副理事長なども兼務。