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東北大学 谷内一彦 教授

壁はいらない

期待高まる分子イメージング

医療、創薬に大きな変革をもたらしつつある分子イメージング。医学、工学、薬学などさまざまな分野の知見が必要なこの分野で、学部・研究科の壁を取り払って次世代を担う研究者・技術者を育成しようとする大学の取り組みが始まっている。

期待高まる分子イメージング

生きている人間や動物の体内で、分子がどう振る舞っているかを可視化(イメージング)する――。「分子イメージング」は、医師や創薬の研究者、生物学者が夢見ていた画期的な観察手法だ。
代表的な技術はPET(ポジトロン断層撮影法)で、たとえばがんの細胞が好んで消費する糖の分子に放射線マーカーをつけて、そのマーカーががん細胞に取り込まれている様子をPETで測定することで、微小ながん病巣を浮かび上がらせることができる。他の技術に比べ、患者の放射線被ばく量も少ない。
がんのほか、アルツハイマー病など脳内に特異的な異常タンパク質が蓄積することが原因と考えられる病気の早期診断にも効果的であるといわれ、その研究の進展、普及に大きな期待が集まっている。
ベースとなっている核医学の手法自体は、決して新しいものではないが、近年の分子生物学やナノ技術の進展で、新しい標識プローブが開発されたことや、PETカメラの高感度化によって、一躍、研究・臨床における活躍の場が増加、PETを用いた研究や治験が活性化し、さらに新しい展開がなされるという好循環が起こり、がんや認知症の早期診断への期待が高まっている。

人材が圧倒的に不足している

だが、ここにきて大きな問題が生じている。分子イメージング機器で計測・診断できる技術を持つ研究者・医師が圧倒的に不足しているのだ。
「いまは技術不足を見よう見まねでカバーしている状況です。当然、わからないことが多いから、機器を開発した企業の全面的な協力を得なければなりません。これは普及の大きな足かせです」
と打ち明けるのは、東北大学大学院医学系研究科の谷内(やない)一彦教授。
「国内で一年間にがんと診断を受ける患者は800万人。アルツハイマー病の患者は150万人いる。そのすべてを計測するのは「現状ではとても無理」という。

壁が低いから実現できた体系的な教育

こうした要請に応えるべく、谷内教授らが中心となって開設されたのが、東北大学大学院の「分子イメージング教育コース」だ。医学、歯学、薬学、工学の各研究科が連携して行う教育プログラムで、各研究科の学生として在籍しながら、同大付属の大規模アイソトープ共同利用施設「サイクロトロン・RI(ラジオアイソトープ)センター」の機器を活用して、実習と分子イメージングに必要な知識を学び取る。いわば“分子イメージング道場”だ。

分子イメージングでは、医学系研究科はもちろんのこと、マーカーとなる薬剤を開発する薬学研究科、装置の設計・開発を行う工学研究科などとの連携が不可欠だ。これまで、海外の大学に比べて日本の大学で分子イメージング教育が遅れてきたのも、日本特有の研究科間の縦割り構造に一因がある。だが、東北大学は、伝統的に境界領域における研究・教育が盛んで、実に80年以上前に医学と工学が連携して「電気聴診器」を開発した歴史もある。日本ではじめて「医工学研究科」を設立したのも東北大学だ。
こうした土壌が、分子イメージングにおいても先進的な取り組みを育んできた。1981年に国立大学としては初めて研究用のPETを稼働させ、現在も活発に研究を推進。東北大学が独自開発した放射線プローブは、その製法が無償で公開されており、研究・臨床の場で大いに活用されている。
谷内教授自身も、1982年からアイソトープ研究に携わり、日本の分子イメージングの草分け的存在であると同時に、教育者として、これまで300人近いPET関連の技術者・研究者を社会に送り出してきた。分子イメージング教育コースの設置は、同大にとって必然的な流れだったのだ。
同コースで学ぶことで、他分野の研究者のニーズが理解できる研究者が育てば、学際的な分野である分子イメージングは大幅に発展。臨床応用でも主役の技術となると期待されている。

壁が低いから実現できた体系的な教育

サイクロトロン・RIセンターに設置されている小動物用PETを操作する古本祥三准教授。「分解能が高いのはもちろんですが、低投与量でもよく見えるのは、島津の高感度PETならでは。PETとCTの画像の合成も簡単です。多くの学生にここで分子イメージングの経験を積んでもらいたいですね」

次世代医療の革新者を育てたい

サイクロトロン・RIセンターには、島津製作所の装置が多数稼働している。島津は同センター開設当初より、技術とノウハウを提供し、装置の改良、サポートに取り組んできた。難しいとされていた3D-PETの開発や、90年代には、ワークステーションの処理能力の限界から画像再構成に数時間かかっていたものを、同大で使われていたスーパーコンピュータで処理できるようにシステムをつなげ、数分で画像化させるというアイデアを実現したこともある。
「分子イメージング教育コースの設立にあたっても、ずいぶんサポートをしてもらいました。ユーザーの要望に応えてくれる小回りのよさは、島津ならではのものでしょう」(谷内教授)
将来は、同コースのプログラムを活用し、製薬企業の若手研究者らの研修の場として教育の機会を提供したいと、夢を語る谷内教授。
「教育は、ある意味『賭け』です。通常の投資なら、リスクもリターンもある程度予測できますが、学生がどう知識を吸収し、それを活用できるかは、予測が難しい。しかし、うまくいったとき、その学生は次世代の医療に革新をもたらすような成果を見せるはずです。そんな人材が、ここから一人でも多く巣立ってほしい。心からそう願っています」

profile

東北大学大学院医学系研究科 教授 医学博士

谷内 一彦 (やない かずひこ)

1986年、東北大学大学院医学系研究科修了。小児科研修医として臨床に携わり、ジョンズホプキンス大などを経て、'88年、東北大学医学部助手(第一薬理学)。'98年、教授(病態薬理学)。2002年、同大大学院医学系研究科教授。分子イメージング法を活用し、脳のヒスタミン神経系の機能解明に尽力している。