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がん治療最前線

魔法のメスの動体視力

目を使わないでどう狙いを絞るか

瞬きよりも短い0.033秒という時間でがんの動きをトレースし、誤差1ミリ以内の正確さで確実に射抜く、一流のアスリートを思わせるような「動体視力」を手に入れて、放射線治療は、がん治療にパラダイムシフトをもたらそうとしている。

目を使わないでどう狙いを絞るか

放射線治療は、外科手術、抗がん剤とならび、がん治療法の3本柱のひとつだ。 局所的に放射線を当ててがんの増殖機能を止める。 切開する必要がないので出血や神経を傷つけるリスクがなく、抗がん剤のような副作用も少ない。
もっとも、体の奥深くに潜むがんは直接目でとらえることはできない。そのため放射線治療の誕生以来、 医師や技師や研究者たちは「どうやって見えないがんに狙いを定めるか」に知恵を絞ってきた。 かつては皮膚にマジックなどでがんの位置を記して、それをめがけて照射していた時期もある。 当然精度は低く、周囲の健康な組織を大きく傷つけてしまわざるをえなかった。
状況が大きく変わったのは、CTスキャナやMRI、PETなど画像診断技術が進歩した90年代。 画像をもとにがんの正確な形状や位置を解析し、 それを確実にトレースする緻密な治療計画を立てて放射線の照射を制御できるようになった。 「定位照射」と呼ばれるこの治療法により、 放射線は健康な組織を傷つけず正確に病変だけを切り取る魔法のメスとなったのである。

誤差1ミリの攻防

「プラスマイナス1ミリという精度を、私たちはいつも目標としてきました。 熟練した外科医の腕に迫る精度を実現できたのは、 やはり画像診断技術の進歩があったからこそでしょう」というのは、 北海道大学大学院医学研究科の白土博樹教授。 大学卒業後、カナダ、イギリスで最先端の放射線治療を学び帰国。 勤務した帯広厚生病院で、北海道で初めて脳の腫瘍治療にX線を用いた「定位照射」を使った。 プログラムは教授の自作。コンピュータの能力が追い付かないところは、「手計算」で補った。 CTスキャナの断面画像を出力したフィルム上に、鉛筆で1ミリ刻みのマス目を描き、 それを何枚も重ね合わせて、がんの三次元座標を読み取っていったという。 「手間はかかりましたが、線を引くのは楽しかったですよ。 この作業でいままで治療できなかった病気も治療できるようになる。 そう思うとわくわくしたものです」(白土教授)

動く標的には通用しない

だが放射線治療には、まだ大きな敵が残っていた。「呼吸」である。 腹部、胸部は呼吸の周期に合わせて大きく上下する。肺がんの場合、 呼吸の周期とともに3センチ程度位置が変わるという。これではたとえ正確な位置が特定できても、 放射線が照射されてしまう正常な組織が大きすぎ、放射線の総量をセーブせざるをえない。 そのため定位照射治療ができるのは、しっかりと固定できる脳などに限られていた。
ある日のこと、いつものように脳のCT画像フィルムに線を引いていた白土教授は、ふと思いついた。
「待てよ。もし、この作業が一瞬でできて、1秒間に何度も繰り返すことができたら、 首から下のがんにも1ミリ精度で放射線を当てられるんじゃないか」 教授はこのアイデアを温め続け、93年、北海道大学に復帰すると研究に移した。
課題は、動き続けるがんの位置をどう特定するか。頭部のときは、頭をはさむように定規を2本置き、 一緒にCTで撮影、定規の目盛りを基準点として、位置情報を割り出した。 だが、動いているものに対して同じ方法は通用しない。

治療をあきらめていた人のがんも治癒

そこで発想したのが、基準点も一緒に動かしてしまうという方法だ。定規の代わりとなるのは、 直径1・5~2ミリの金の球。これをマーカーとして体内に挿入し、腫瘍のそばに置く。 その状態でCT撮影すると、金マーカーは腫瘍とともに上下に動き、 両者の位置関係は0・1ミリ方眼のマトリックス上に表される。金マーカーを3つ挿入し、 断層となる面の方向を変えて撮影すれば、縱、横、高さの3Dで位置関係を把握できる。 このデータをもとに、放射線治療計画を作成。治療を行う際は、常に患部をエックス線で透視し、 金マーカーの位置を追跡し、金マーカーが治療計画の有効エリアに入ったときだけ放射線を照射する。
1秒間に30コマのパターンを読み取り、1コマ1コマ、 エリア内にマーカーがあるかどうかを判別。 3Dの位置情報にタイムラインという軸を加え、動くがんを追跡する「四次元放射線治療」である。 白土教授は、1997年から基礎実験を開始し、 2000年に前立腺、肝臓、肺などで相次いで臨床研究に移行。 現在、北海道大学付属病院では年間100例を超える治療を行い、多くの方が完治している。
「がんの患者さんには、ご高齢だったり、若くても臓器の機能が低下しているために、 切りたくても切れない方が大勢います。 そうした方に治癒への道筋を作ることができたことは、医師として本当に感慨深いです。 最近では、手術に代わりうる治療としても需要が高まっています。」(白土教授)
今後は、患者さんの動きに連動して、連続して放射線を照射できるロボット型の治療用エックス線装置や、 透過せずがんの位置で止まる特殊な放射線を使った治療用装置の開発にも取り組んでいきたいと白土教授。
また一歩、がんの包囲網が狭まった。

治療をあきらめていた人のがんも治癒01

(左) 動体追跡装置を用いた同期照射の効果。 従来は腫瘍の3倍程度の照射野が必要だったが、 動体追跡照射では、腫瘍周辺の狭い範囲だけに照射をコントロールできる。

治療をあきらめていた人のがんも治癒02

(左上) 【50才代 女性】 非小細胞肺がん(6cm)に対して10Gyを4回、外来で照射。1回あたり30分程度。
(左下)【治療4年後】 放射線肺炎などの症状なし。腫瘍は消失し、金マーカーだけが残っている。
※ 6cm大の肺がんに対して、放射線の動体追跡照射を行った治療例。 4回の照射でがんがほぼ消滅し、23ヵ月後も再発がない。
(右) 放射線治療時の「目」となるX線透視装置は島津製作所製

白土博樹

北海道大学大学院医学研究科 病態情報学講座放射線医学分野教授

白土博樹

1981年北海道大学医学部を卒業。研修医として放射線病棟に勤務。 バンクーバーキャンサーコントロールエージェンシー(カナダ)、 マンチェスタークリスティ病院(英)で放射線医療の研究に携わり、 帯広厚生病院勤務を経て、99年北海道大学助教授に。2006年より現職。