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(注)所属・役職および研究・開発、装置などは取材当時のものです。

温故知新

人体から宇宙まで。あらゆる存在の真実を見通す放射線!?

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レントゲン博士がX線を発見したのは110年以上前のこと。今では、誰もが知っているX線。
しかし、そこには驚くべき発見のプロセスがあり、 今はまだ知られていない沢山の用途がある。
―過去を紐解き、その未来を見据える『温故知新』。
第1回はX線を取り上げる。

発見は偶然の賜物

産業革命が成熟期を迎えた19世紀後半は、まさに“科学技術が世界中を変えた"時代である。蒸気機関、蓄音機、電話、無線通信、ブラウン管など、現代文明の発展の礎を築く重大な発明が登場し、人類の暮らしは飛躍的に便利になっていった。
X線が発見されたのも、そんな“進歩”の時代の最中である。1895年、ドイツ生まれの物理学者ウィルヘルム・レントゲンが、神のいたずらともいうべきプロセスを経て発見したのだ。当時、物理学の世界では、放電現象の際に見られる陰極線の研究が盛んで、レントゲンもクルックス管を黒い紙で覆って実験を行った。すると、不思議な現象が起こり、管からはまるで光が見えないにもかかわらず、たまたま側に置いておいた蛍光板がいきなり輝き出したのである。何度も同じ実験を繰り返すが、やはり蛍光板は輝き続ける。そして、試しにノートや木片、自分の手を入れてみたところ、蛍光板にはそれらの中身を透過する画像が映り込んでいたのである。
そんなX線撮影が日本国内で成功したのは、発見から11カ月後の1896年のこと。この年、東京帝大理科大学や第一高等学校などでX線による撮影実験が行われ、京都でも第三高等学校教授・村岡範為馳博士の指導のもと、島津製作所の2代目である島津源蔵とその弟の源吉の手によって、桐箱の中に入った1円銀貨の撮影が行われた。
1909年9月には日本初の医療用X線装置を千葉県国府台陸軍衛戍病院に納入し、1933年にも日本初の工業用X線装置を発売するなど、島津製作所を中心に国産のX線技術は大きく進化を遂げていくことになる。

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国内でのX線撮影に成功した1896年から113年後の今日、X線装置は大きな進歩を遂げ医療分野はもとより様々な産業でも欠かせない存在となっている。写真(上)は、1896年当時のX線写真。中央・下は最新の医療用・産業用のX線装置。

新しい可能性を探る

現在の医療分野においてもX線装置はもっとも重要な道具の一つだ。時代を経るとともに使いやすく、また被ばく量が少なく患者さんや技師に優しいものへと進化し続けている。画像もフィルムからデジタルへと進化し、医療機関の連携や診断のスピードが向上している。そのデジタル化に大きく貢献しているのが、X線画像診断装置などに搭載されているフラット・パネル・ディテクタ(FPD)だ。特に島津が開発した直接変換方式FPDは、X線の光を直接電気信号に変え、ディスプレイ上に画像化する。ゆがみのない優れた画質は多くの医師、放射線技師から高い評価を得ている。
医療分野以外でもX線の活用の場は広い。とりわけ工業用では、“傷つけず”にモノの内部を見る非破壊検査装置をはじめ、数多く活躍している。
面白いのは学術分野だ。昨年、ゴッホの描いた作品に「蛍光X線分光法」を用いたところ、絵の下から別の絵が浮かび上がってきたというニュースが話題になった。ゴッホは古い絵に新しい絵を重ねて描く傾向がある作家であり、その事実がまさにX線によって浮き彫りになったのである。
仏像などの木造の重要文化財も傷つけずに製作年代を特定することが、X線CT装置で可能となった。過去約3000年分の膨大な年輪パターンデータと、非破壊で映し出された仏像の内部の年輪画像を照合し、1年単位で特定していくもので、科学的根拠に基づいていることから、世界に注目されている手法だ。X線は、時間を飛び越える素晴らしい能力を秘めているのである。

マクロでも、ミクロでも

宇宙に視点を移せば、X線天文学というものもある。銀河の中核やブラックホールの周辺といった高温でかつ激しく活動している領域からは、X線などが放射されている。それを捉えて、宇宙誕生の謎や、これからの変化の様子を探ろうとする研究は、世界各国で活発だ。X線は大気の層に阻まれるので、受信には人工衛星が用いられる。現在、国産5代目のX線天文衛星「すざく」が地球の軌道上を漂いながら、宇宙の謎の究明に励んでいる。
一方、“ミクロ”でもX線顕微鏡が注目されている。
今もなお、X線を取り巻く技術は日進月歩の勢いで進化を続けている。発見から1世紀。X線には、まだまだ未知なる可能性が秘められている。

(注)所属・役職および研究・開発、装置などは取材当時のものです。