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(注)所属・役職および研究・開発、装置などは取材当時のものです。

産学連携が生む最先端テクノロジー8

肝臓をデザインする

東京工業大学 大学院生命理工学研究科 生体分子機能工学専攻 准教授 田川 陽一

重さ1キログラム強。脳と並んで人体最大の臓器で、500種類を超える機能を持っているとされる肝臓。
その複雑なメカニズムには、まだわからないことが多い。
その秘密に、従来とはまったく違うアプローチで迫ろうとする研究者がいる。

働き者の肝臓

肝臓は、働き者の臓器だ。
アルコールなど体内に入ってきた有害な物質を解毒するのをはじめ、摂取した栄養分を体内で使える形に分解・合成する、余った栄養分をグリコーゲンや脂肪として蓄積する、体内の老廃物を使って消化を助ける胆汁を生産すると、まさに八面六臂の活躍で、その働きは500種を超えるとさえ言われている。
また、肝臓は驚くべき再生能力を持っていることも知られている。肝炎などを患って手術で半分以上を切除しても、元の大きさを記憶していて、1、2カ月後には復帰している。機能ももちろん正常だ。

工学的アプローチで肝臓に迫る

だが、どのようにしてこれだけの化学合成をやってのけているのか、そしてどうやって再生しているのか、そのメカニズムについてはまだわからないことが多い。
「僕は工学の人間。だからその謎に工学的アプローチで迫りたいんです」
と熱く語るのは、東京工業大学大学院生命理工学研究科の田川陽一准教授。
田川准教授は、細胞の分化・発生、そしてその仕組みを応用した再生医学の最前線で活動を続けている。肝臓とは学位論文を書いていたころからの付き合いだ。
田川准教授のいう工学的アプローチとは、肝臓の機能を解明するというのではなく、肝臓の組織を構築しようというもの。言うなれば肝臓のデザインを学び取って再現しようとするものだ。

再生力を生かした肝臓研究

肝臓は「沈黙の臓器」ともいわれる。心臓や消化管のように音をたてることもなく、病気になっても痛みを伴うことが少ないためだ。実際には日本で200万人が肝臓疾患に苦しんでいると言われ、そのうち毎年4万人近くもの人が命を落としている。食事療法や安静以外に有効な治療法は確立されておらず、移植医療も数々の問題を抱えており、肝臓病患者の福音となりきれていない。
人工心肺や透析装置のように一時的にでも機能を肩代わりしてくれる機械があれば、患者の延命を図ることができる。その間にドナーが見つかったり、自身の残った肝臓の再生力にかけることもできる。
だが、肝臓はいわばさまざまな工場が立ち並ぶ化学コンビナートであって、細胞レベルに踏み込んでもそのメカニズムは不明点が多い。仕組みがわからない以上、人工物を使った装置を作ることは不可能だ。
それなら、肝臓の旺盛な再生力を生かして培養してやることはできないか、という研究も続けられている。実際、肝臓とならんで強い再生力を持つ皮膚では、培養の研究が進んでおり培養皮膚の販売がビジネスにもなっている。ところが肝臓細胞の培養は、成功まであと一歩と言われ続けながら、困難を来してきた。肝臓の細胞はシャーレの中では生きていくことができないのだ。

ES細胞の万能性を活用

「これまでの研究は、言うならば化学工場としての機能を持つ肝実質細胞を培養しようとしてきていたんです。でも、本来の肝臓は肝実質細胞の間を網の目のように毛細血管が通っています。さらに、毛細血管と肝実質細胞の間にはわずかな隙間があって、そこには異物を食べる細胞や、栄養分を貯蔵する細胞(まとめて非実質細胞と呼ばれる)も多数あって、それらが精妙にからみあって肝臓というシステムを作り上げているんです。それなら肝実質細胞よりも肝臓を作ったほうが、うまくいく確率が高いだろうと考えたんです」(田川准教授)
そう考えた田川准教授が採用した「素材」がES細胞だ。どのような細胞にも分化する可能性を持つES細胞は、別名万能細胞とも呼ばれ、いまや生命工学にはなくてはならない細胞となっている。長く発生工学に携わってきた田川准教授にとっては使い慣れた「素材」だ。
「ES細胞をつかって肝実質細胞を作ろうという研究も、90年代後半にはすでに多く進められていました。でもそれもうまくいってなかった。ES細胞は心臓にも血管にもなる能力があるのに、誰もがそこを無理に抑え込んで、肝実質細胞だけを作ろうとしていたんです。私は、ある程度仲良く作らせた方がいいんじゃないかと」

カギを握る培養チップ

田川准教授の研究では、まずES細胞を胚様体にまで成長させるところから始まる。この時点ですでに将来心臓になる部分、肝臓となる部分は決まっていて、なんらかのシグナル応答が各領域間で行なわれていると予想される。そしてシグナルを受けて肝臓になろうとしている領域をレーザーで切り取り、続きは特殊なチップ上で、薬品等を加えて成長を続けさせて「肝様組織」を成長させる。
その成長の舞台として使われるのが島津が開発した「マルチ流路細胞培養チップ」だ。「基礎評価用に数ミリの組織片を挿入するためにフタが開閉できるチップを作ってもらったり、他の実験のために違った構造のチップを設計してもらったり、かなりわがままを言ったのですが、その通りのものが出来上がってきました」(田川准教授)
「田川先生の研究は、生命工学においてエポックメイキングな実験です。アプリケーションと密着したデバイス設計・作製の技術は、デバイス開発の立場からも重要です。チップを開発製造している民生品部はもちろんのこと、島津の基礎研究部門も力を合わせてバックアップしていきたいですね」(島津 民生品部開発課 藤山陽一主任技師)

できるんだと示したい

数年のうちに、まず肝臓としての機能を持つチップ「肝組織チップ」を完成させ、薬物の代謝試験などに応用。さらに将来はこのチップを積み重ねて外部循環型の「バイオ人工肝」を開発したい、と田川准教授は夢を広げる。
「人の肝臓と同じだけの能力を持つものとなれば、もしかしたらこの部屋を埋め尽くすくらい巨大なものになるかもしれません。でもそれでもいいんじゃないでしょうか。世界最初のコンピュータだって、それくらいだったといいますからね。それでもまずは出来るんだということを示したい。そこから先は医師の先生たちの仕事です」(田川准教授)

マルチ流路細胞培養チップ

田川准教授(左)と島津製作所 藤山陽一主任技師(右)

東京工業大学 大学院生命理工学研究科 生体分子機能工学専攻 准教授
(独)科学技術振興機構 戦略的創造研究推進事業
さきがけ研究「生命現象と計測分析」 研究者 博士(理学)

田川 陽一(たがわ よういち)

1989年東京大学工学部工業化学科卒、1994年同大大学院理学系研究科生物化学専攻博士課程単位取得。同年、同大医科学研究所実験動物研究施設教務職員として発生工学を研究。ベルギー・ルーベン大学レガ研究所博士研究員を経て、信州大学医学部でヒトES細胞による発生工学の研究に従事。2005年より現職。主にES細胞からの器官(組織)形成を専門にし、生体メカニズムの解明を目指している。

(注)所属・役職および研究・開発、装置などは取材当時のものです。