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(注)所属・役職および研究・開発、装置などは取材当時のものです。

星薬科大学 薬品分析化学教室教授 中澤 裕之

安全な食品を食べたい

生産者と消費者を信頼で結ぶために

食の安全は、いまや時代のキーワードだ。
消費者の多くが、たとえ値段が高くても、「安全」で「健康によい」食品を買い求める。その背景には食品が製造され、流通される工程における品質管理に対する、ぬぐいがたい不安が横たわっている。
そんな思いを払拭するためには何が必要なのか。
食品の安全確保の研究に長く携わってきた星薬科大学の中澤裕之教授に聞いた。

いたずらに神経質になる必要はない

「おいしいものを食べたい」というのは人の常だ。それと同時に近年、ロハス(LOHAS…Lifestyle of health and sustainabilityの略で、健康と持続可能な社会に配慮したライフスタイルのことを指す)ブームに見られるように、「安全で身体にやさしい食」への志向が高まっている。
だが、食品には、ダイオキシンのように食品汚染物として、あるいは生産・製造・加工過程で、図らずも混入してしまうものもあれば、農薬や食品添加物など食品製造の効率を高め、保存性を高めるために加えざるをえない物質もあって、これらを摂取してしまうリスクをゼロにすることは、事実上不可能だ。
「安全な食を求める気持ちはもっともです。でも、いたずらに神経質になる必要はないのです」
というのは、星薬科大学薬品分析化学教室の中澤裕之教授。長く食品衛生分野の研究に携わり、食の安全について研究者の立場から力を注いできた大学人だ。
「フグ毒、ある種のキノコ、O-157のように、口にしたことが死に直結する物質もあります。これらは、確実に排除する必要があります。しかし、人間の身体に備わっている防御機構は、想像以上に優れています。ごく微量の農薬や食品添加物は、摂取したとしても直ちにヒトの健康に危害を及ぼすものではありません」

生産者と消費者の間での信頼関係構築を

高度経済成長の時代、我々は公害病という悲しい経験をした。空気や水、わけてもエネルギーの糧である食品から毒性の高い物質を摂取してしまい、その結果、深刻な体調不良や、場合によっては死に至るケースが相次いだ。
だが、こうした問題を受けて行政が対策に乗り出し、工業施設等から排出される空気や水の汚染について、極めて細かい基準が設定された。その結果、公害の被害は沈静化し、工業施設を非難する声も当時と比べるとずっと小さくなっている。
「行政と製造者、そして生活者の間で、一定の信頼関係ができたからだといえます。これを守っていれば大丈夫という基準を示し、それを製造者が守り、生活者自身も安全であることを確認する。この関係が大切なのです」
同じことは、農業や食品添加物等の化学物質にもいえる。ダイオキシンや、いわゆる環境ホルモンの人体に対する生体影響が過剰に報道され、消費者に不安を与えた。
「たしかに過剰に摂取すれば、健康への悪影響を免れることはできません。しかし、科学技術の進歩に即した食品衛生管理システムの強化によって、流通している食品には十分な安全性が確保されてきています。生産者、流通加工業者、行政、そして消費者の間での信頼関係が確立されることが、いま最も優先すべきことだと思います」

食の安全で活躍する分析装置

「食の安全」が脅かされているという論調が巻き起こった背景には、測定技術の進化がある。これまで目にすることもできなかったごく微量の物質の存在をも検出できる高度な分析装置が開発されたことで、環境ホルモンなどが新たな脅威として報告されるようにもなった。
だが、信頼関係をつくるために欠かせないものも、また分析装置だ、と中澤教授は力説する。
「信頼のおける基準をつくるためには、信頼のおけるデータの存在が不可欠です。そしてそのためには、精度の高い分析装置と信頼のおける分析技術が不可欠なのです」
「島津の分析装置は、30年前から使っていますが、堅牢で扱いやすいという印象があります。これは非常に大事なことです。故障が少ないということは、安定したデータ取得につながるし、扱いやすいことは、だれが操作しても同じ結果( データ)が得られることにつながります」
「それよりも気になっていることが」と前置きし、中澤教授は言う。
「好き嫌いの多い人は、キャパシティが小さい。これは断言できます(笑)。学生たちを見ていても、なんでも食べられる人、初めて見る料理でも好奇心を持って箸を延ばせる人は、学業でも伸びます(笑)」
もし、多くの食品が安全ではないということになり、それを食べることができなくなったとしたら、こんな不幸はない。そのためにも総合分析機器メーカーとして島津に課せられた責任は重い。

星薬科大学 薬品分析化学教室教授

中澤 裕之

千葉大学薬学部薬学研究科修士課程を修了後、東京大学薬学部研究科博士課程を修了。1977年東京都臨床医学総合研究所研究員となり、翌年、米国国立公衆衛生研究所(NIH)国立ガン研究所(NCI,DCT)研究員に。帰国後は、厚生省国立公衆衛生院にて主任研究官を経て1986年室長に。公害病や薬害などの対策に力を注ぐ。1995年より現職。

(注)所属・役職および研究・開発、装置などは取材当時のものです。