学芸員モノ語り

創業者の肖像画

創業者島津源蔵を写した記録は乏しく、唯一とも言える肖像画が、昭和12年発行の改組二十年記念帖に載っています。驚くことに、その注釈には「明治十年頃の油絵、故田村宋立作」とあり、この画は、京都洋画界の先覚者、田村宋立(1846-1918)によって描かれたものでした。

「島津源蔵」 明治10年頃 油絵
「島津源蔵」 明治10年頃 油絵

しかし宗立の年譜をみると、宋立が島津源蔵像を描いたのは明治43年であり、また別の資料には、この画について「大きさ縦28.0×横19.8cmの紙本着色」と記されています。つまり、改組二十年記念帖の画とは明らかに違うのです。

今回、この情報を元に調べてみたところ、確かにもう一点、宋立の落款がある創業者の肖像画があることがわかりました。その画は、明治43年に黒田天外が撰した島津家の家譜に貼付けられたもので、年代も大きさも一致します。

「島津源蔵像」 明治43年 紙本着色
「島津源蔵像」 明治43年 紙本着色

ただ、島津源蔵は明治27年に亡くなっており、この画は、没後16年を経て描かれたことになります。宋立65歳の筆であり、2つの画が酷似していることからも、宋立は以前、自分が描いた油絵によってこの肖像画を描いたのでしょうか。謎は深まります。

田村宋立は、伝統的な美術の宝庫である京都に於いて、洋画を根付かせた画家です。しかし、遠近法や写実表現の取得は容易なことではなく、油絵具を作ることからはじめなければなりませんでした。宋立はこの苦難にも屈せず、展覧会に作品を出陳し、一方では京都府画学校の教員として西宗(洋画)の指導にあたります。

宗立と初代源蔵、歩んだ道は洋画、理化学器械と異なっていても、京都の近代化の真っただ中に生き、両者は相通ずる思いがあったのかもしれません。それぞれが残した確かな足跡に触れるとき、この肖像画が一層、印象深いものとして目に映ります。

参考文献
杉田博明 『近代京都を生きた人々-明治人物誌』(1987)
三彩社 『三彩350号』P39~50(1981)

PAGE TOP