学芸員モノ語り

創業者の手紙―横地石太郎へ(2)

『初代源蔵直筆の手紙』【展示中】
『初代源蔵直筆の手紙』【展示中】

これは、初代島津源蔵(1839-1894)が、1891(明治24)年12月11日付で、鹿児島の横地石太郎に宛てた礼状です。

手紙は、鹿児島への出張の礼状ですが、文面からは実際に誰が鹿児島に行ったのかはわかりません。しかし、調べていくと1891(明治24)年11月14日より10日間、鹿児島で教育品展覧会が開催されており、その資料には「第五館は高等中学造士館の講堂を借り受けて之に充つ。此内には造士館出品の物理化学金石等並に西京島津源蔵氏の出品理化器械を陳列し同氏の子息梅次郎氏は自ら器械を使用して縦覧に供したり(中略)島津氏出品中には昼の日光幻燈。日光顕微鏡。電気船。電気風車。電気車等あり。」と記されています。このことから、息子の梅治(次)郎(1869-1951)が、鹿児島で理化器械の公開実験を行ったことが明らかとなりました。この展覧会には10日間で約4万人が来場し、大盛況であったようです。
1日4,000人もの多くの人々の前で行われた実験や講演が好評を博したのは、梅治郎が理化学に関する知識と確固たる自信を持っていたからでしょう。

電気車
電気車

縦15.5センチ、横65.5センチの一紙ものの手紙は、時候の挨拶から始まり、京都に無事に到着したことを報告、鹿児島での物理実験や講演が意外なほど好評を博したことに感激した旨が綴られています。初代源蔵は横地より20歳ほど年上でありましたが、宛名の文字の大小が際立っていることからは、どこか親しさを感じ取れます。

横地は晩年京都に移り住んだ以降も、梅次郎やその弟の常三郎とも交流していました。この手紙は横地本人からを譲り受けたようであり、創業者の人間関係がうかがえる数少ない貴重な資料となっています。

参考文献
杉山文悟編(1892)『教育時論』第244号 開発社 p.31。

PAGE TOP