学芸員モノ語り

山本覚馬と、
ここ木屋町二条界隈

先日、ご来館になったお客様から「山本覚馬はこの辺りに住んでいたのですか?」という質問をいただきました。

山本覚馬(1828-1892)といえば、前回書きました新島襄の妻、八重のお兄さんです。

調べてみると、明治2年(1869)、薩摩藩の幽閉より釈放された覚馬が最初に仮住まいしたのはなんと島津製作所(現:当資料館)の真向かいでした。(『山本覚馬伝』より)

当時、京都は天皇東行で、もはや帝都としての地位を失っており、急務は新しい産業を興し、欧米の技術導入による近代化の推進でした。この復興策を牽引していたのがのちの知事である槇村正直や覚馬、そのブレーンたちで、彼らは一時期この木屋町二条界隈に住んでいたのです。この地は、運河高瀬川の起点として京都の暮らしを支えた物資の集散地「一之船入」があり、その周辺に、勧業場、舎密局などが立ち並ぶ、京都再興に向けた物資と情報の拠点でもありました。

余談ですが、その後、覚馬はここから程近い河原町通二條下ルに移り住んでいます。その南隣には、槇村知事が長州から呼び寄せた大黒屋という本屋がありました。明治16年(1883)、島津源蔵はこの小学教科書発売本店 大黒屋書舗とペアで物理教科書『小学物理啓蒙』に理化学器械の広告を出しています。源蔵は幾度もその店に足を運んでいたことでしょう。面白いつながりが発見でき、楽しい想像が膨らみます。

参考文献
青山霞村 『山本覚馬伝』 同志社(1928)

高瀬川沿い [撮影日:4月1日]
高瀬川沿い [撮影日:4月1日]
小学物理啓蒙 下巻(明治16年)
小学物理啓蒙 下巻(明治16年)

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