「島津」の姓と"丸に十の字"の社章の由来とは?
9月19日は「苗字の日」
毎年9月19日は「苗字の日」です。ところで、皆さんは「島津」の姓と"丸に十の字"の社章の由来をご存知でしょうか?
創業者である島津源蔵は、薩摩藩の島津家との血縁関係はありません。
「島津」の姓と"丸に十の字"の社章の由来
"丸に十の字"の社章は、島津源蔵が、島津家の家紋を商標として定めたことに由来します。島津源蔵の祖先は井上惣兵衛尉茂一といい、1500年代後半に播州(兵庫県南西部)に住んでいました。
薩摩の島津義弘公が、京都の伏見から帰国の途上に、豊臣秀吉公から新たに拝領した播州姫路の領地に立ち寄った際、 惣兵衛は領地の検分などに尽力し、その誠意に対する感謝の印として、義弘公から"島津の姓"と"丸に十の字(くつわ)の家紋"を贈られたと伝えられています。
初代島津源蔵
この家紋が社章としていつから使用され始めたのか正式な記録は残っていませんが、明治27年(1894年)頃の木屋町本店の外観写真には丸に十字と島津製作所の社名文字が見えます。
当時の木屋町本店 丸に十字のマークが見える
島津製作所の現在の社章と図形の寸法比率
現在の社章が商標として登録されたのは大正元年(1912年)で、当社が株式会社となる大正6年(1917年)よりも前です。
商標登録の際に図形寸法比率の正確な基準値が定められ、丸の実線の太さは外円の直径の1/8、十字の実線の太さはその1割増しと決められました。この数値は、外円の大きさと円周の太さの均衡と、円周の十字の太さに対する人間の目の錯覚を補正して、均整の取れた美しさを感じさせる科学的な数値を精密に計算したもので、今もこの寸法比率が用いられます。
島津製作所のブランドシンボル 丸の実線や十字の実線は太さが緻密に計算されている
明治から続く歴史
「苗字の日」については、明治3年(1870年)のこの日に「平民苗字許可令」が公布されたことに由来します。これを機に、一般の平民も公式に苗字を使用できるようになったそうです。
明治8年(1875年)2月13日には「苗字必称義務令」が公布されたため、毎年2月13日は「苗字制定記念日」とされています。
そして、明治8年の3月31日は当社が創業した日です。仏具職人だった島津源蔵が、日本の進むべき道は科学立国であるとの理想に燃え、教育用理化学器械の製造を始めました。
2020年9月7日に出版された島津源蔵親子の伝記「仏具とノーベル賞 京都・島津製作所創業伝」(朝日新聞出版、著者:鵜飼秀徳氏)では、こうした創業からの歩みもご覧いただけます。
苗字を名乗ることの義務化と創業が同じ年ということで、歴史の長さを改めて感じます。
2020年制作 島津製作所創業145周年の歴史