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心の声

Special Edition “Root”

「匂いを受け継ぐ」

片岡 愛之助

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2013年に大ヒットしたドラマ『半沢直樹』でおネエ口調のエリート官僚・黒崎役を演じ、一躍お茶の間の人気者になった六代目片岡愛之助さん。歌舞伎のみならず、映画、ドラマ、アニメの声優、バラエティ番組の司会… と幅広い舞台で精力的に活躍する理由とは─? 古典芸能を支える「伝統と革新」のバランス、そして上方歌舞伎にかける情熱と想いをうかがった。

このままでは上方歌舞伎は滅んでしまうという危機感

2014年3月『笑っていいとも!』のトークゲストに呼んでいただいた時、"100人アンケート"のコーナーで「今年に入って劇場に足を運んで歌舞伎を観劇された方は、スイッチオンしてください」と会場のお客様に伺いました。すると結果は100人中たった1人。これが日本の伝統芸能である歌舞伎の現状です。お昼の生番組の会場にいらっしゃるということは、歌舞伎の昼の部を観劇できる層のお客様です。なのに、これだけしか歌舞伎を観て頂けていない。『この現状を歌舞伎関係者はもっと危機感と高い意識を持って考えるべきだ』というメッセージを込めて、あえて生放送で聞いた質問でしたが、自分自身、改めて身が引き締まる思いがしました。
「歌舞伎って難しそう」。そんなイメージを払拭したくて、僕は毎年必ず1本は、映画やドラマ、歌舞伎以外の舞台に出るよう心がけています。僕が映画やドラマなど歌舞伎以外の仕事をさせて頂くのは、役者として自分がどれだけ通用するか試したいという気持ちもありますが、こんな役者もいるんだということ、そしてもっと皆さんに歌舞伎を知って、歌舞伎と出会ってほしいという思いがあります。
以前は、歌舞伎役者一本で生きていきたいと思っていました。けれど、20歳を過ぎてふと周囲を見渡すと、上方で大きな役を演じる幹部俳優は3、4人しかいない。愕然としました。もともと歌舞伎は上方で生まれたのに、関西弁を喋る役者も少ない。このままでは上方歌舞伎は滅んでしまうのではないか。危機感と焦燥感で、ずいぶん悩んだ時期もありました。

子役時代に魅了された歌舞伎の世界

そういう僕も、歌舞伎とは縁のない普通の家庭に生まれ育ちました。実家が町工場で、家の敷地内にダンプカーが出入りするため、子供が家にいると危ないから習い事にでも行けと言われたのがきっかけでした。実父が松竹芸能の子役募集に応募したら、たまたま合格したのです。週1回通って発声練習や芝居の練習をしていたら、NHK連続テレビ小説『欲しがりません勝つまでは』の子役をきっかけに、少しずつお仕事を頂くようになりました。
歌舞伎を知ったのは、小学2年生の時。初めて歌舞伎の仕事を頂いた時は、カルチャーショックでしたね。子供の目にはまるでテーマパークのようでした。あんなに顔を白く塗っている人は見たことがなかったし、お兄さんやおじさんが突然きれいな女の人に変身する。きらびやかな花道や役者が宙づりになって飛んで行く仕掛け(宙乗り)もおもしろかった。それ以来、ずっと僕は歌舞伎が好きですね。

「その他大勢」から舞台の中心に立つ役者へ

それからちょくちょく歌舞伎公演に出させて頂いていくうちに、学校の勉強にまるでついていけなくなってしまい、芝居をやめなければならなくなりました。そんな時に声をかけてくれたのが、現在の父である片岡秀太郎です。『勧進帳』の太刀持でじっと座っていた僕を見て「この子は芝居が好きそうやなあ」と思ってくれたらしく、弟子入りの話を頂いたのです。
しかし血縁重視の世界で、一般家庭に生まれた僕が歌舞伎役者になれるのか。両親はずいぶん悩んだようですが、結局は僕が無邪気に「やりたい」と言ったことで、片岡秀太郎の父である十三代目片岡仁左衛門の部屋子として入門し、千代丸という名前を頂きました。そして高校卒業前に、愛之助という大人の名前を頂くタイミングで、片岡秀太郎の養子となりました。
「養子になることで、歌舞伎役者のスタートラインに立てるなら」と言ってくれたのは実の父で、ほぼ即決でした。「男は仕事が大事。一生歌舞伎の世界で生きていくなら、行ってきなさい。親がしてやれることはここまでだから」と送り出してくれました。当時は養子と言われてもピンときませんでしたが、今になって思うと、なかなかできない決断だと思います。両親にはありがたい気持ちでいっぱいです。しかしお役を頂くようになってからが大変で、あの時期がいちばん苦労しました。それまでは"その他大勢"として、主役級の役者の邪魔にならないように、けれどお役としては死なないように舞台に立つことを学んできたのに、急に「自分を出せ」と言われて、お役の存在感をアピールしなくてはならない。一生懸命に動きやセリフを学んでも、この存在感だけは一朝一夕の練習で簡単に身に付くものではありません。先輩の舞台を観て必死に研究するなど、本格的に「芸を盗む」ことを覚えたのもこの頃だったと思います。

「型」は「心」を 「心」は「型」を伝える

歌舞伎は様式美といわれますが、決して形のみで構成されたものではなく、登場人物の心の動きを表したもので、その一つひとつの型に意味があります。映画やドラマ、歌舞伎以外の舞台で芝居をする時は、必ず演出家や監督がいますが、歌舞伎にはいません。歌舞伎以外で芝居をする時には、作品全体を通じて、それぞれの「心」を監督や演出家がどう表現するのか学ばせて頂けるのが、役者として貴重な経験になっています。
しかし歌舞伎は古典芸能ですから、僕としては、一門の屋号である松嶋屋の匂いと型を受け継ぐことが第一の役目です。たとえば『義経千本桜』すし屋の弥助は、父である秀太郎に学びましたが、秀太郎はその父である十三代目仁左衛門に学びました。皆さんが舞台で僕が演じる弥助をご覧になる時は、僕を通じて秀太郎や十三代目仁左衛門、その何代も前の先人たちが作り上げた弥助を観ることになります。そうやって何世紀にもわたって試行錯誤され削ぎ落とされた軌跡が型として残っているのです。
そしてその型が伝えるのは、日本古来の「和」であり「心」。やはり長く観られる作品には魅力があり、世代を越えて感じられる「心」があるからです。それを今この時代にどれだけ伝えられるかは、一人ひとりの役者自身にかかっています。

なぜ今の時代に歌舞伎は必要とされているのか

時代背景や環境が移り変わる中で、上演が途切れてしまった脚本もいくつかあります。最近ではそうした脚本を掘り起こして、なぜ上演が続かなかったのか、問題を探して工夫することで、再度プロデュースすることも少なくありません。
一昨年は11年ぶりに古典歌舞伎を元にした『新八犬伝』を上演し、昨年はフラメンコも取り入れた新作歌舞伎『GOEMON 石川五右衛門』を上演。タッキー&翼の今井翼さんがジャニーズ事務所で初めて歌舞伎に出演してくださいました。
新作歌舞伎には賛否両論ありますが、やはり昔の作品を上演するだけでなく、百年先、二百年先に残るような新しい作品を生み出していく必要があると感じています。たとえ今新しいと言われる試みも百年続けば、それはもう古典ですから。
もともと歌舞伎の語源は「傾く(かぶく)心」にあると言われています。一風変わった新しさや、常識を逸脱する精神という意味です。やはり何かを形骸化せずに継承していくには、時に新しい挑戦がどうしても必要になる。それこそ、お亡くなりになった(中村)勘三郎兄さんもすごく傾いていらしたし、先輩方が切り開いてくださった道があるからこそ今の歌舞伎があることを、最近とても身にしみて感じています。長い歴史と伝統を受け継ぎながら、数百年先の未来に何を遺すべきかを考え、その上で今自分がすべきことに打ち込む。歌舞伎をご覧になる時は、その歴史の軌跡も感じて頂ければ嬉しいです。
そして芝居のおもしろさは、一人きりでは作れないところにあります。いくら主役一人が頑張っていても、周りがガタガタでは舞台になりません。逆に言うと周りが決まっていれば、主役も不思議と上手く見えるものです。意外とそんなものなんですよ。歌舞伎の世界では、40代はまだまだひよっこです。これからも役者としての修業を続けながら、同時に次世代も育てつつ、一人でも多くの皆さんに求められる役者になっていきたいと思っています。

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歌舞伎役者

六代目 片岡愛之助(かたおか あいのすけ)

1972年大阪府生まれ。歌舞伎役者。5歳から松竹芸能に所属、7歳で歌舞伎の舞台に立つ。片岡秀太郎に見出され、9歳で十三代目片岡仁左衛門の部屋子となり、片岡千代丸を名のり81年に『勧進帳』太刀持で初舞台を踏む。92年に片岡秀太郎の養子となり、六代目として片岡愛之助を襲名。上方歌舞伎の中心的存在として注目されるほか、2013年にテレビドラマ『半沢直樹』でエリート官僚・黒崎駿一役が話題に。三谷幸喜作・演出の舞台『酒と涙とジキルとハイド』、映画『マザー』では楳図かずお役を主演、『映画 妖怪ウォッチ 誕生の秘密だニャン!』ではウバウネ役の声優をつとめるなど、多彩に活躍している。 4/4~4/26 名古屋中日劇場『四月花形歌舞伎』に出演する。