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「年輪を重ねて」

Special Edition “Something New”

「年輪を重ねて」

菊川 怜

菊川 怜01

年輪を重ねて 朝の報道番組『とくダネ!』のキャスターに抜擢されて2年。
すっかり朝のお茶の間に定着した感があるが、「まったく慣れません。毎日緊張してドキドキしてしまって……」と、はにかむ菊川怜さん。東大卒という肩書きが独り歩きした時期もあるが、女優・タレントとして着実にキャリアを重ね、さらに大きく輝こうとしている。

ハードルは高いほどいい

月曜から金曜まで毎朝午前4時半には起床、6時前に職場であるフジテレビに入り、8時から本番がスタートする。毎日全国紙各紙、週刊誌を数冊、インターネットのニュースを欠かさずチェックする。まるでビジネスマンのような朝。
「初めて『とくダネ!』のお話を頂いた時は、"どうして私に?" と本当にびっくりしました。週末の報道番組のキャスターを7年させて頂いていたことはありますが、朝の帯番組といえば、局を代表する番組のひとつ。そんな番組に出させて頂いてよいのだろうかという思いと、週5日という長さに、正直 "ハードルが高いなあ" と不安を感じたりもしました。でもそれ以上に、ぜひ挑戦してみたいという気持ちの方が強くて。実は私は、ハードルが高ければ高いほどファイトが湧いてくるタイプなんです(笑)。失敗するかもしれませんが、その分、乗り越えた時の達成感や充実感は、ずっと大きいじゃないですか。失敗したって学ぶことは大きいですし、何より、やらないで後悔するより、挑戦して後悔する方が悔いが残らないので」

映画に憧れて

東京大学在学中に、スカウトされたのがきっかけで芸能界入り。女性誌で知的な美人モデルとして脚光を浴びたのは、20歳の時だった。
「小さい頃から芸能界を夢見ていた訳ではありませんでしたが、スカウトされた時はようやく来た!って感じで嬉しかったですね。実は、映画の世界に憧れがあったんです。高校2年生の時に『セント・オブ・ウーマン夢の香り』(1992年製作)という映画を観て、こんなに人をワクワクドキドキさせたり、うっとりさせてくれるものがあるんだ!と感動して、それ以来映画にのめり込み、夏休みには日に3本も4本もビデオを借りて毎日毎観ていました。でもその時は、まさか自分が将来女優ができるとは思っていなかったので、いつか映画製作に関われたら素敵だろうなという空想レベルで思っていたんです。理系に進めば、CGデザイナーになれるかしらと憧れを抱いて、大学に進学しました」
スカウト後、最初はアルバイト感覚でモデルの仕事をしていたが、大学4年生の時に念願の女優の仕事が舞い込み、テレビドラマ『危険な関係』の看護婦役で女優デビューを果たした。
「すごく緊張しました。『婦長!』って呼びかけるたった一言の台詞が言えなくて、何度も何度もやり直しになって……。事務所で少しは演技のレッスンを受けていましたが、撮影現場はまったく初めてでした。段取りもわからなくて、カメラの邪魔をしてしまったり、台詞がかぶってしまったりして、かなり落ち込みました。それまでは、勉強すればそこそこ報われる、努力すれば結果は付いてくるという、わかりやすい世界だったと思うんです。でも仕事って、そんなに甘くはないですよね。その時、世の中が何を求めているか、自分の置かれている状況や環境にも大きく左右されてしまう。ポンと時流に乗れることもあれば、コツコツと努力してもなかなかタイミングが合わないこともあります。運もありますしね。これは芸能界ばかりでなく、どんな仕事でもそうだと思いますが―。私はこの仕事に向いてないのか、このまま続けてもいいのだろうかと悩むことはしょっちゅうでした」

化学反応を楽しもう

大学卒業とともに、本格的に女優・タレントとして、テレビドラマや映画、舞台、報道番組のキャスター、CMなど、幅広い仕事を展開し活躍してきたが、迷いは常に付きまとっていた。しかし、この1、2年、心境に変化が表れてきたという。
「女優でもキャスターでもバラエティでもCMでもなんでも、自分で枠を決めてしまわずに、いろいろな経験ができること自体を楽しもう、そしてそれを自分の成長に変えていこうと思えるようになりました。こうあらねば、という頑なな考えから少し離れてみよう……そんな気持ちになれたんです。仕事って一人ではできませんし、その現場その現場で、いろいろなかかわりの中で化学反応のようなことが起こって、思ってもみなかった方向に進んで行くこともある。ですから、私の小さい想像力に頼るのはよくないのかもと思うようになりました」
そう思えるようになったのも、報道の仕事がきっかけだったという。
「世の中、本当に答えの出ない問題が多く、この先どうなるかなんて誰にもわからない。ですから、あまり常識にとらわれずに、どんな物事も、なるべく内側から本質を考えられる人になりたい、そう思うようになりました。それと同時に、"仕事は自分がどう生きるかの手段でもある" と捉えるようになったんです。それぞれの現場で、自分に何が求められているかは、今もまだ明確にはわかりません。だからこそ、まずは自分が健康であり、自分自身が仕事を楽しんで前向きに取り組める状態であることこそが大事だと思う。何事も辛い、苦しいというばかりでは続けられません。そんな状態では、いざ周囲から私なりの何かを求められた時に、良いパフォーマンスができないじゃないですか」

片岡鶴太郎02

何もない時に何をしているかがカギ

「だから、日頃の準備や "自分づくり" が大事だと思っています。何もない時に何をしているのかで人生は決まるのかもしれない。そう思うようになったら、余計なことを考えずに、より一層目の前の仕事に全力投球できるようになりました。今はその中で、自分の成長を年輪みたいに積み重ねていくことに心を砕いています」
もちろん、失敗して落ち込むこともある。
「そういう時には "次はできるように頑張ろう" って、すぐに気持ちを切り替えるんです。終わったことは取り戻せませんし、同じ失敗を繰り返していてはいけないですが、失敗した方が学べることも大きいんですよね。ですから、失敗をチャンスだと思って、徹底的に問題を分析し、整理して、気持ちを切り替えて、前に進むんです。自分のしたことは、ブーメランのように全部自分に返ってくる。その責任を感じながら、自分づくりを楽しんでいるところです」

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女優・タレント

菊川怜(きくかわ れい)

1978年、埼玉県出身。98年モデルデビュー。東京大学在学中に、女性ファッション誌『Ray』の専属モデルとして活躍。99年、フジテレビ系ドラマ『危険な関係』でドラマデビュー。映画、舞台のほか、バラエティ、教養、ドキュメンタリー番組などにも幅広く出演している。
衣装協力:PATRIZIA PEPE / INCONTRO