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「可能性は∞」

Special Edition “Kagakuhannou”

「可能性は∞」

宮本 亜門

宮本 亜門01

演出家 として舞台やミュージカルという既存の枠組みにこだわらず、
歌舞伎やオペラ、アートなど、多彩なジャンルとのコラボレーションに挑戦し続ける宮本亜門さん。
新たな出会いによって起こる「化学反応」と、そこから生まれるものとは...。
常に前へと推進するエネルギーの原動力を探った。

不安を乗り越えた先にある興奮

僕が舞台を演出するにあたって、毎回意識していることがあります。それは、多ジャンルの方を集め、新たなクリエーションを目指すこと。それはしばしば、”異業種格闘技 “の様相を呈します。
2011年1月に初演した舞台『金閣寺』では、役者さんの経歴は様々、そして舞踊家にボイスパフォーマーまでがキャスト入り。初顔合わせでは皆さん驚いて、これからどうなるのか不安を隠せないご様子でした。
さらに、この舞台では、”金閣寺 “をそのまま視覚化するのではなく、その象徴という形で、ボイスパフォーマーの山川冬樹さんに演じてもらいました。トゥバ共和国の”ホーメイ “という、高音と低音を同時に発声する歌唱法の力で、優しさや恐ろしさなど様々な表情を持つ”金閣寺 “を表現し、新しい深みに持っていけないかと考えたんです。
すると、稽古を始めて数日後、あるベテラン俳優が激しく怒り始めたんです。「三島由紀夫の『金閣寺』は、日本文学の金字塔だぞ。それなのに金閣寺が登場しないとは、何を考えているんだ」と。
このように、新たなチャレンジには、必ず恐怖感が伴います。声に出さなくても、内面ではみんな不安に思っていることが多い。それをそのまま表面的にやり過ごすと、舞台は生ものなので、嘘っぽいところが観客に伝わってしまいます。だから舞台をやる時は、全身全霊を込めて入り込んでもらう。「これは単なる一つの”お仕事 “じゃない。この出会いを無駄にせず、お互いに新たな挑戦をして、一つずつ扉を開きましょう」という話から始め、互いの考えやその理由を話し合っていきます。ですから、「金閣寺が登場しないのはおかしい」というベテラン俳優の主張のような反対意見というのは、その人なりにこの作品を考え、もがき苦しんでいるからこそ出てくるものなのです。新たな試みをそのまま受け入れるか、不安に思うかは、コインの表と裏のようなもの。『金閣寺』でも、新たな演出によって若い役者たちが素晴らしい表現を見せてくれ、最終的にベテランの方も「この発想は面白い」と共感していただけるようになりました。
不安を抱えながらも、才能ある人たちが出会い、それぞれの力を発揮して、お互いに触発されながら新しい表現を生み出していく。そんなふうに壁を越え、不安が喜びに変わり、興奮を呼び起こす”化学反応 “を楽しみながら、作品を高めていくのが僕のやり方です。

誰もが進化の途中

未知の世界との出会いは、作品の幅が広がるだけでなく、自分自身の新たな可能性を呼び起こしてくれる契機にもなります。「自分はここまで」と決めつける人もいるけれど、ぜんぜんできないという人は皆無で、誰でもその人なりの可能性を持っているんです。「私は笑顔が出せない女優です」なんて言う人でも、普段はとても良い表情で笑っていたりする。それを「とても素敵です。やってみましょう」と言って、良い笑顔を引き出すことができる。変化の速度やタイミングは十人十色ですが、人はずっと進化し続けていくことができる。演出家としてその過程の中に自分がいると思うと、面白いですよね。
僕は高校生の時に、約1年間も家に引きこもっていた経験を持っています。周りと話が合わなくて、自分は変なんだと思い込んでいた。自分にまったく自信がなくて、人と会話ができないくらい、人が怖かった。ところがその時に思い描いていた将来と、大人になって見た景色は大違いで、自分の想像を超えるいろいろなことが起き、演出家として多彩な人とコミュニケーションしながら舞台を作り上げていくまでに変わりました。だから、自分自身も含め、誰しも無限の可能性を持っていると信じているし、あえてジャンルの違う世界の人たちと交流することで、クリエーションの持つ可能性がどこまでも広がっていくことを感じます。

新しい“風”を作り出す

ジャンルの違う世界と言いましたが、“ジャンル”というのは、もともと枠組みが存在していたものではなく、チャレンジの結果から生まれ、それが大変面白いので結果的に”ジャンル “になっていったと理解しています。例えばミュージカル。100年前にニューヨークで、歌と踊りと芝居という異業種の大衆芸能を、ひとつの舞台で一緒に演じたことから誕生したものです。オペラをはじめほとんどの舞台芸術も、今までにない掛け算から生まれました。だから僕は、固定観念にとらわれず、多彩な人々が出会って互いの可能性を広げながら、“ジャンル”の既成概念を打ち破って膨らませていく。舞台演出を通してそういったチャレンジを続けていくつもりです。

宮本 亜門02

人生は二度なし

周りから「亜門は毎回何をやっているんだ」と言われるほど、こうも新たな挑戦を続けてしまうのは、母親の影響によるものが大きいのでしょう。
SKD(松竹歌劇団)のレビューガールを引退し、銀座・新橋演舞場の向かいで喫茶店を経営していた母親は、ショービジネスの世界で活躍するという夢を僕に託していました。幼少の頃からあちこちの劇場に僕を連れて行き、一流の舞台や役者の世界を教えてくれたのも母親です。病気がちで、何度も病気に倒れた母親は、それでも「生きたい、生きたい、生きる」と言い続けていました。そして、僕が21歳で初めてプロとしてミュージカルの舞台に立つ前日、まるで僕に人生のバトンを渡すかのように亡くなりました。
「1回限りの短い人生、無駄にしたらもったいない」。母親のこの言葉が、僕の中にずっしりと残っています。自分の人生は、周りがどうのこうのではなく、自分次第で変えることができる、という考えも母親から学んだことです。
それでも20代は悩んでばかりいて、試行錯誤しながら自分を否定したり周りを否定したり悶々としていました。それが30代、40代になると、「今の一瞬一瞬を大切に生きたい」という気持ちに変わってきて、その情熱が、前へ前へと進み続ける原動力になっているのかもしれません。東京という恵まれた場所に生まれて、なに不自由なく幸せに生きさせてもらっているぶん、今を無駄にするのがもったいない。いつもそう思うんです。

破壊と創造

母が亡くなった3か月後に僕はブロードウェイに旅立ち、やがて処女作『アイ・ガット・マーマン』で演出家としてデビューしました。この舞台を作ったあと、ほとんどの人から「一つのスタイルができたから、これを続けていけばいい」と褒められました。ところが僕にはその言葉が、「もうこれで落ちついていいよ」という落とし穴のような気がして、自分の中から、「違う違う、そうじゃない」、という声が聞こえたんです。もちろん、あるスタイルができたことはラッキーだけれども、そのスタイルを守り続けるのではなく、時にはそれをあえて壊さないといけない。そうすることで、今まで自分が創造しなかった新たなクリエーションが湧いてきて、エネルギーが生まれる。
“破壊”は悪いことではないんです。自分の中で固まってしまっていたものを壊すことで、次へと進める。そのサイクルが、人を活気づけます。
もちろん破壊するというのは、大変な作業。スケジュールも予算も、私自身の思考もギリギリを強いられます。ところが、そのような限界の状況下になればなるほど、「絶対成功させてやる!」とすさまじいエネルギーが次第に噴出してくるんです。「あるレールが見えたら、その上に乗っていくだけ」では、新たな感動は生まれません。そのレールがもっと面白い所につながっていくように、刺激を求めていろいろな人と出会うようにしています。

必然のチャンスを掴めるかは自分次第

そして、興味がある人や物事に出会ったら、すぐに行動に出る。これが大事です。例えばある芸術作品を見て面白いと感じたら、その人の作品をなんとかもう一度見られるよう調べますし、音楽を聴いてこれを舞台化したいと思ったら、作曲家に直接電話してしまうこともあります。一回立ち止まって考え始めると、せっかく生まれたインスピレーションがしぼんで、逆に不安材料へと変わってしまう。「どうせ声をかけても無理なんじゃないか」とちょっとでも思うだけで、トライしてもいないのに自分の頭が勝手に否定的な方向に向かってしまい、「社会ってそういうものだから」などと、ネガティブなところへ落ちてしまいがちになる。
チャンスというものは、偶然ではなくてすべて必然です。誰にでもチャンスは目の前に来ると僕は思っていて、それを自分の手で掴もうとするか、見逃してしまうかは、自分次第。だから僕は休んでいる時でも、違うアンテナを出していろいろなものを見て、いろいろなことを感じるようにしています。そして、興味が生まれると一直線に進みます。次に何と出会って何が生まれるかは、神のみぞ知る。本当に面白いことにチャレンジさせてもらっている人生だと思っているので、常に楽しみながら、前へ進み続けるつもりです

宮本 亜門03

宮本 亜門(みやもと あもん)

1958年東京都生まれ。演出家。ミュージカル、ストレートプレイ、オペラ、歌舞伎等、ジャンルを越える演出家として国内外で幅広い作品を手がける。1987 年に『アイ・ガット・マーマン』で演出家デビューし、同作品で文化庁芸術祭賞受賞。2004 年、東洋人初の演出家としてニューヨークのオンブロードウェイにて『太平洋序曲』を上演し、トニー賞の4 部門でノミネートを果たす。2005 年に上演したミュージカル『Into The Woods』の演出で、朝日舞台芸術賞の秋元松代賞を受賞。2011 年1 月、KAAT 神奈川芸術劇場こけら落とし公演として三島由紀夫原作の『金閣寺』を舞台化し、NY リンカーン・センター・フェスティバルに正式招聘。2014 年4月に再演を予定。8 月にはミュージカル『スウィーニー・トッド』の韓国上演を予定しており、アジアデビューを飾る。