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「王者の証明」

Special Edition “KIWAMERU”

「王者の証明」

長谷川 穂積

一番強い相手を倒す

バンタム級で11連覇を成し遂げ、フェザー級との2階級制覇も成し遂げた長谷川穂積。
だがフェザー級での2試合目で、壮絶なダウンを喫して敗れて以来、1年あまり無冠を続けている。
一時は引退もささやかれたチャンピオンは、だが、静かに牙を研いでいた。

一番強い相手を倒す

ボクサーという生き物は、みんな自分が一番強いと思っているんです。でも、それを証明するためには、一番強い相手を倒すしかない。だから、僕は一番強い相手と戦いたい。そして倒したいんです。
2005年にバンタム級の王座をかけて戦ったウィラポン・ナコンルアンプロモーション(タイ)は強かったです。初めてウィラポンを見たのは、まだ僕がデビューする前で、辰吉(丈一郎)さんからタイトルを奪った試合(1998年)でした。上手さがあって、スピードもある。衝撃を受けましたね。その後彼は14回防衛して、僕との試合が15回目の防衛戦でした。9年間負けなしで7年もチャンピオンの座にいた”生ける伝説“のようなボクサーですから、周囲の見方も断然チャンピオン有利でした。
リングで相対したウィラポンは、映像で見ていたよりも、さらに上手さを身につけていました。何より気合いがすごい。僕のパンチが入っているのは確実なのに、ちっとも効いているそぶりをみせない。それどころか、どんどん前に出てくる。絶対に負けないという気迫を感じました。12ラウンドを戦って判定勝ちしましたけど、本当にチャンピオンになれたのか、ピンと来てなかったですね。その気持ちは、初防衛戦でヘラルド・マルチネス(メキシコ)にTKO勝ちを収めても、残っていました。
1年後、2度目の防衛戦で、今度はチャンピオンと挑戦者の立場が入れ替わった状態で、ウィラポンと再戦しました。正直、できればそのときはやりたくない相手でした。負けることが怖かったんです。負けたら、名チャンピオンの引き立て役で終わってしまう。それが恐怖だったんです。
9ラウンド、練習でずっとイメージしていた右フックのカウンターが決まってTKO勝ちしたときは、飛び上がるほど嬉しかったですね。そう、これで正真正銘のチャンピオンになれたと認める気持ちになれました。一番強いことを証明した、そう確信できたんです。
それからは、もう勝負で負けることを怖いと思うことはなくなりました。負けるときは負ける。負けるのを恐れて強い相手と戦うことから逃げたくない。それが僕が戦う理由です。

感じたことのない恐怖

今年の4月、久しぶりにタイトルのかかっていない試合をしました(2012年4月6日のフェリペ・カルロス・フェリックス戦)。1999年に18歳でプロデビューしてから、2003年にはバンタム級で東洋太平洋王座を、2005年にはウィラポンから世界王座を獲って、僕はプロ生活の大半をチャンピオンとして過ごして来られました。そうなると当然試合は、タイトル挑戦か防衛戦ですから、ノンタイトル戦というのは、本当に久しぶりだったんですよ。
試合の後、「タイトルがかかってなくて気楽にできたでしょう」と、メディアの方からも尋ねられましたが、実のところ、いままでこれほど緊張した試合はありませんでした。
せっかくタイトルと関係ない試合なんだから、「試合を楽しもう」というテーマを持って臨んだんです。でも、逆に楽しまなければ、と自分を追い込んでしまったんです。
7ラウンドでTKO勝ちして、まずまずのできと受け止められたかもしれませんが、実際には、10%、いや5%の力しか出せてなかった。自分の思い描くボクシングが、まるでできなかったんです。
原因は、一言でいえば、殴られることへの恐怖です。昨年4月の試合(ジョニー・ゴンザレスとのフェザー級王座防衛戦)で倒されたのが、トラウマになっていたのかもしれません。

3.6kgの壁

3.6kgの壁

2010年にモンティエル(WBO世界バンタム級王者フェルナンド・モンティエル)との王者統一戦でTKO負けした後、モンティエルとの再戦が難しくなったこともあって、フェザー級に2階級上げることにしました。そこにも強い相手がいたんです。
王座初挑戦(2010年11月)ではファン・カルロス・ブルゴス(メキシコ)にどうにか勝てましたが、ジョニー・ゴンザレス(メキシコ)との試合は、完敗でした。
僕は打たれ強い、そう思っていました。実際、10年以上戦いの舞台にしてきたバンタム級(53.5kg)では、少々パンチを食らってもぐらつくことはなかったし、アウトボクシングに徹していれば、食らうことすらありませんでした。ずっとバンタム級で戦ってきましたから、バンタムのパンチといえばわかるんですよ。
ところが、フェザー級(~57.1kg)に上がってみて、こんなにもパンチが違うのか、と驚かされました。ゴンザレス戦の4ラウンドでダウンをとられた右フックは、正直見えなかった。あんな倒され方は初めてです。
体の大きさも違います。バンタム級とフェザー級の差は3.6kgです。でもその3.6kgがとてつもなく大きい。リングの上でゴンザレスと向き合ったとき、「大きい」と思っちゃったんです。そうすると相手に強いパンチを当てなきゃいけないと思って、足を止めて大振りになってしまった。敗因はそこです。
だから、この間のノンタイトル戦は、すごく意味がある試合だったんです。「楽しもう」というのは、何もリラックスしていこうというのではなく、パンチへの恐怖を克服できるかという理由があったんです。結果は、さっき言った通りで、まるで納得できるものではありませんでした。だから、試合後も、「これからどうするかは、もう少し考える」なんて、歯切れの悪いコメントをしてしまいました。

満足するまで戦う<

満足するまで戦う

でも、もう吹っ切れました。僕はボクサーです。いまでも自分が一番強いと思っているんです。だから強い奴を倒して、一日でも早くそれを証明しなきゃいけない。
ゴンザレスとはもちろん再戦したいですね。インドネシアのクリス・ジョン(現WBA世界フェザー級スーパー王者)もぜひ戦いたい相手です。1階級下のスーパーバンタム(~55.3kg)にも、強い奴がいます。僕はフェザーにしては体が小さい方でもあるし、スーパーバンタムに落としてでもやる価値はあると思ってます。
もちろんKOを狙っていきます。ポイントを稼ぐボクシングに徹していれば、まず負ける気はしませんが、あえてKOを狙う。いつの頃からか、それが僕のスタイルになりました。僕が連打を始めると、お客さんが沸くのがわかるんです。狙っていけば、こっちもパンチをもらう可能性があります。リスクはもちろん承知ですが、お客さんの期待に応えたいんです。
相手を倒して、リングの上でレフェリーに手を挙げてもらうじゃないですか。あの瞬間、世界が自分を中心に回るんです。チャンピオンでもプロテストに合格したばかりの4回戦ボクサーでも、きっとそれは同じです。ボクシングは拳だけで強いか弱いかを決めるシンプルなスポーツですけど、だからこそ、勝った瞬間の喜びも大きい。強い相手ならなおさらです。


チャンピオンになったら、そこでボクシング人生を終わるかもしれません。あるいは、また防衛したくなるかもしれません。それは、自分でもわからないです。
ボクサーとして歩んできた自分の人生に満足できるかどうか。それが戦う最大の意味なんです。次の試合が終わったときに、満足いくボクシング人生だったと思えれば、そこで終わるかもしれませんし、満足していなかったら、もう1回。人に言われることではないし、戦う前からこうすると宣言することでもありません。戦い終わったリングの上で、確かめたいと思います。

長谷川穂積(はせがわ ほづみ)

ボクシング 元バンタム級・フェザー級チャンピオン

長谷川穂積(はせがわ ほづみ)

1980年12月16日生まれ。小学校2年生から元プロボクサーの父親にボクシングを教わり、99年11月にプロデビュー。2003年5月OPBF東洋太平洋バンタム級王座に就き、3度の防衛後、タイトルを返上。05年4月プロ20 戦目でWBCバンタム級王座を獲得する。以来10度防衛。10年4月、11度目の防衛戦でWBC 王座を失いフェザー級に転向。同年11月WBC フェザー級王座を奪取。2階級制覇王者。翌4月の防衛戦で同王座から陥落し、現在再起を期してトレーニン グを続けている。真正ボクシングジム所属。戦績29勝(12KO)4敗。