Special Edition “TSUNAGARI”
「ともに歩む道」
山下 泰裕
柔道の第一人者として、数々の栄冠に輝いてきた山下泰裕さんは、いま、内外でのネットワークづくりに力を注いでいる。
選手としてまばゆいばかりの光を浴びてきた山下さんだが、ある出来事をきっかけに、心のあり方を強く自戒し、
指導者としてのステップを一つ上ったという。生涯「柔の道」を貫く氏の心の内を聞いた。
昨年の夏、柔道を通した国際交流を促進するために、イスラエルとパレスチナを訪問する機会がありました。私が理事長を務めるNPO法人「柔道教育ソリダリティー」の活動の一環で、これまでに中国やロシアのほか、世界の発展途上国で交流事業を展開しています。
そこで私は生涯忘れられない光景を目にしました。エルサレムの道場でイスラエルとパレスチナの子どもたちが同じ畳の上で合同練習をしたのです。最初は同じ国の子同士で組み合っていたのですが、気づいたらイスラエルの子とパレスチナの子が、国の枠を超えて乱取り( 自由に技をかけあう実戦形式の練習) を始めていたのです。
畳の上に壁はありません。組み合っていれば、どちらがどの国に所属しているかなんて無意味なことになります。子どもたちは生き生きと目を輝かせ、汗を流し、お互いを尊敬し、再会を期していました。その姿を見ていた私は、国際交流活動を始めてよかった、柔道をやってきてよかったと心の底から感じました。
「精力善用」「自他共栄」という言葉があります。ご存知の方も多いでしょうが、柔道の創始者、嘉納治五郎師範が掲げた理念です。柔道競技においては、体力、知力のすべてを尽くして戦い、相手を尊敬し、自分の技を高めてくれたことに感謝するという姿勢を指しますが、精神の鍛錬を重んじる嘉納師範の教えに沿えば、人の生き方の指針でもあります。自分のすべての力を善く活用することで、社会に貢献する。そして、自分も、他人も、ともに発展する――。この言葉は、今もなお”柔の道 “の根底を支えています。
柔道では「自分になくて、相手にあるものを見る」視点が大切です。相手なしには柔道は成り立ちません。目の前の敵から学び、自分を成長させていく。言い換えれば、柔道は多様性を認めるところから出発するのです。
私は優れた指導者と出会うことによって、この視点を学びました。それがロサンゼルス五輪での金メダルをはじめとする栄冠をもたらしてくれたと心から感謝しています。
しかし、柔の理念を完璧に学びとっていたと思っていたのは、大きな誤りだったことに、引退後、気づかされました。
28歳で引退後、大学院での学びを経て、私は東海大学柔道部の監督に就任しました。選手として日本一、世界一という最高の栄誉を手にした私は、指導者としても必ず成功して、日本一のチームを作ろう、世界チャンピオンを生み出そうと意気込んでいました。自分なりに工夫をして練習メニューを組み立てるなどして、本気で頂点を目指すべく汗を流していました。
しかし、今思えば、この「一番になりたい」という思いにとらわれていたことが、私の目を曇らせてしまっていたのです。
その部員と出会ったのは、監督業3年目のときのことです。当時4年生だった彼は、柔道に対してやる気を持てない様子が明らかでした。モチベーションが低いあまりに、周りの部員を怠惰な方向に持っていく面も見受けられて、「やる気がないなら、出ていけ」と声を荒らげたこともあります。
日本一を目指す監督なら、それくらいの厳しさは当然と思われるかもしれません。しかし、ある出来事を通して、私はその言葉を痛烈に後悔することになります。
当時、東海大学の附属病院に白血病の治療のために地方からあるお子さんがやってきました。治療には大量の血液が必要なのですが、地方出身で、病院のある神奈川県に何のつてもなかったその子の親御さんは、藁にもすがる思いで東海大の柔道部に助けを求めてきました。
そのときに中心となって親子を支援したのが、私が追い出そうとした部員でした。血液を提供する人間の手配はもちろん、片道1時間くらいの距離を何度も病院に出向いて励ましたり、手紙を書いて激励をして親子を支援していたそうです。
その部員は東海大学に入るまでは県のチャンピオンに輝くなど、かなりの実績を残してきました。しかし、選りすぐりの強豪がひしめく東海大学に入って挫折していたのです。それでも、心が腐っていたわけではなかった。壁を乗り越えられない自分を、白血病と戦う子どもに投影して、一生懸命になって支援していたのでしょう。
親御さんからこのエピソードを聞かされ、私はその4年生を部員たちの前で称えました。「これこそがスポーツマンの、これこそが柔道を志す者のあるべき姿だ」と。しかし、内心、私は忸怩たる思いでいっぱいでした。
教育者としての道を歩んでいたにもかかわらず、私はわずかな自分の経験で彼を判断してしまっていたのです。日本一の監督に執着するがあまり、柔道の基本たる「精力善用」「自他共栄」も見失い、最後に見たのは自分自身の醜い姿だったのです。
教育の本質はその人の持つ良さを引き出すこと。人間には様々な華の咲かせ方がある。この部員にあらためて気づかせてもらったこの理念は、今も自分のすべての行動において最も重視している要素となっています。
東海大学柔道部監督の後は、日本代表の監督や全日本柔道連盟の理事などを務め、現在は東海大学の学部長、神奈川県体育協会会長を任せていただいています。いずれの立場においても、私は多様性理解を強く意識してきました。
ちっぽけな私個人にできることなど限られていますが、まったく別の考え方をする人と連携できれば、越えられない壁も、ものの見事に乗り越えていくことができる――そのことを何度も実感してきました。
冒頭に申しあげたイスラエルとパレスチナの訪問も、私一人では決して成功しなかったでしょう。「柔道教育ソリダリティー」の理事は10数名いますが、柔道経験者は私を含めて3~4人程度。柔道教育を行う団体なら柔道を熟知する者で運営するものと思われるかもしれませんが、真に世界と繋がろうとするのであれば、まったく異なる視点からの発想が非常に重要なものになってくるので、こういう布陣を組みました。その目論見通り、組織の中でユニークなアイディアが次々と出て、互いを補い、素晴らしい成果があらわれています。
取材などを受けた際、ときどき「あなたは何のためにこうした活動をしているのですか?」という質問を受けることがあります。「あなたは何のために生きているのか?」という意味でもあると思いますが、私はいつもこう答えています。「自分が幸せに生きるためです」と。
幸せに生きるのは難しいことかもしれません。しかし、確実に幸せに生きることができる方法が、一つだけあります。自分とかかわった人が幸せになればいいのです。そうすれば、自然と自分にも幸せが跳ね返ってくるものではないでしょうか。まさに「自他共栄」です。
現在、学部長として運営の一端を手伝っている東海大学では、「卒業生、満足度ナンバー1の体育学部を目指す」を合言葉に改革を行っています。社会に出てから、うれしいとき、悲しいとき、苦しいときに、いつでも戻って来られる場があれば、人は強くなれるとの思いがそこに込められています。
そういう価値のある体育学部を作るには、まずは学生のすぐそばにいる人間、つまり大学教員が幸せでなくてはなりません。先生が鼻歌交じりに、スキップしながら生き生きと仕事をしていれば、おのずと学生も楽しい気分に包まれるでしょう。そんな気分で学生生活を送っていれば、自然と学部に愛着を持ってくれるようになると思います。
もちろん、私も頑張って鼻歌を歌います。いや、むしろいま学内で一番、鼻歌を歌っているのは、私かもしれませんが(笑)。
小学校4年生で柔道を始め、私は大きく変わりました。近所で評判の悪童だったのが、規則を守り、相手を尊重し、挑戦 する心と思いやる心を覚えました。その財産を糧に引退後も新たなフィールドにどんどんチャレンジして、そこでの出会いからさらに人生に大切なものを教えられ、私は変わり続けています。
ときに失敗をすることもありました。しかし、失敗から学んで、修正していけばいいのだと思います。白血病と戦っていたお子さんの話に戻りますが、あの出来事があってから10年くらいたった後、自分もそのお子さんと同じ血液型だったのに、輸血のメンバーに入らなかったことに気づきました。学生に偉そうなことを言っておきながら、いったい私は何をしていたんだと、恥じ入ったものです。しかし、気づいたのであれば、それで大きな収穫。気づきをもとに新たな人生を歩めばいいのです。
理想は5年後にこの記事を見て、「わかったつもりで言っていたけど、わかってなかったなぁ」と思うこと。自分で道を切り開いていけば、この年になっても、それぐらいの変化は十分に訪れるはずです。
そんな風に楽しく人生を歩んだ後、最後の瞬間に嘉納師範と、お世話になった東海大学創始者の松前重義先生に迎えに来てもらうのが夢なんです。面識のない嘉納師範には「お前が山下か。柔の道をよくぞ究めた」、松前先生には「ご苦労さん、期待通りに頑張った」、と言葉をかけてもらうことができれば、私は人生をまっとうできたことになるのだと思っています。
東海大学体育学部長/神奈川県体育協会会長/NPO 法人柔道教育ソリダリティー理事長
山下泰裕 ( やました やすひろ )
1957年、熊本県生まれ。東海大学体育学部卒業、同大学大学院体育学研究科修了。柔道の第一人者として世界の柔道界を牽引する一人。1984年のロサンゼルスオリンピックでは無差別級で金メダルを獲得する。同年に国民栄誉賞も受賞。翌85年に203連勝の不滅の記録を打ち立てて引退。その後は指導者として東海大学柔道部監督、全日本柔道連盟男子ヘッドコーチなどを歴任。アトランタ・シドニーの両オリンピックでは日本代表監督を務める。現在は東海大学体育学部長、神奈川県体育協会会長として国内の体育教育に力を入れているほか、NPO 法人柔道教育ソリダリティー理事長として柔道を通した国際交流にも積極的に取り組んでいる。