バックナンバーBacknumber

京都学園大学 桑原保正 教授

虫博士の超実践教育論

昆虫フェロモン研究の第一人者である京都学園大学バイオ環境学部の桑原保正教授。理系力を高めるカギは、大学での実践的な教育はもちろんのこと、自然との触れ合いにあるという。

シロアリの行進

「こうしてシロアリを乗せるでしょう。そうするとね…」
京都学園大学バイオ環境学部・バイオサイエンス学科桑原保正教授の教授室。教授は、紙にボールペンで線を書き、その上に木屑についていたシロアリをとんとんと落とした。すると、どうだろう。線の上にシロアリが列を作り、一斉に歩きはじめた。
「ボールペンのインクに入っているフェノキシエタノールという成分が、シロアリが道標にしている成分と似ているんです。小学校の出前授業でやると、大喝采ですよ」
と、目尻を下げる。

シロアリの行進

ボールペンの線をたどるシロアリ。ちなみに同じ木の中にいたトビムシは、この匂いが嫌いらしく、周囲をボールペンで囲ってやると、そこから出られなくなる

超高感度バイオディテクター

桑原教授は、昆虫フェロモン研究の第一人者だ。1971年、米びつに発生するガの一種、スジマダラメイガの雌が分泌する性フェロモンの構造を決定することに成功した。このガには一定の温度で生育させると、雄は出現せず、雌だけが発生する特殊な系統があり、雌を大量に集めることに利用できた。こうして集めた雌のガを有機溶剤に浸けて、抽出した液体をカラムクロマトグラフなどで分離して、フェロモンを取り出した。飼育したガの総数は実に120万匹。そこから得られたフェロモンはわずか6ミリグラムだった。さらに、その成分を合成することにも成功。これらの成果は米『サイエンス』誌にも掲載され、「東洋に機器分析でここまでやれる奴がいたとは」と衝撃を持って受け止められた。
検証方法がまた秀逸だ。雄のガを入れたガラス管をガスクロマトグラフに接続。分離したての成分をそのままガにかがせた。それがフェロモンであれば、雄のガは羽をはためかせて興奮する。名づけて「バイオディテクター(生物検出器)」だ。
「昆虫のフェロモンに対する感度は、驚くほど高いんです。当時の装置では逆立ちしたってかなうものではありませんから。今の装置なら1匹分のフェロモンでも十分検出できるんですが、そのころは工夫してそうした装置を作るのも、楽しかったですね」
と、語る桑原教授の表情は、実に愉快そうだ。

共生するバイオ環境を追究

桑原教授が籍を置く京都学園大学バイオ環境学部は2006年に開設された新しい学部だ。地球環境に配慮したグリーンバイオ技術の創出を目指すバイオサイエンス学科と、環境問題の解決に自然の仕組みを活かし、人と多様な生物が共生できる環境の創出を目的としたバイオ環境デザイン学科の2学科からなり、その実現を目指している。観光客に人気の保津川下りのスタート地点にあたる亀岡市に位置し、里山が広がるのどかな環境は、まさに生物多様性と人の共生を考えるにはうってつけのロケーションといえるだろう。
桑原教授が受け持つのは、昆虫やダニ、ヤスデなどを材料にフェロモンなど様々な化合物の研究で、いまだ知られざるその生態やフェロモン様物質の機能の解明に向けて学生とともに取り組んでいる。理論的に考えるだけではなく、「なぜそうなるのか」を解明するために、充実した同大の設備群をフル活用したり、フィールドワークなどを通して、生命とバイオサイエンスの壮大なメカニズムに気づき、実感を伴った学びを実践している。

共生するバイオ環境を追究

最新の設備がそろう実験実習室。装置類のメンテナンスでは、京都島津計測サービスがサポートしている。「初めて装置を触る学生たちが、毎回授業ごとに違う実験を繰り返すわけですから、何がおこるかわかりません。しっかり修理や整備してくれるだけでなく、装置の講習もお願いできるので、助かっています」(桑原教授)

一人でも多くの研究者に巣立ってほしい

桑原教授の願いは、ここから一人でも多くの研究者が育ってくれることだ。今年第一期生が卒業し、多くの学生が民間企業などへ就職したなか、同大や他大学の大学院へも二十数名を輩出した。
「この大学には、優秀な指導者が大勢いるだけでなく、島津製作所の液体クロマトグラフや、質量分析計などの装置、実験に欠かせない多種多様な設備群など、第一線の研究機関にも負けない素晴らしい環境があります。どこに行っても研究者としてやっていけるだけの知識と技術を、ここにいる間に身につけてもらいたい」(桑原教授)
ただ、日本の理系力を高めるには大学で学ぶこと以外にも重要なことがあるとも指摘する。
以前、『池に石を投げたことがない』という学生がいて愕然としたことがあります。波紋がどうやって起こるのかを実体験しないで、どうして波動理論など理解できるでしょう」(桑原教授)
川で石を水平に投げて水切りをしたり、葉っぱをめくったり。一昔前ならどこでも見られた子どもの遊びの光景。子どもたちはこうした自然への関与を通して、科学への興味を高めていったものだ。それが急速にこの国から消えつつある。それを補強するはずの小学校では理科を教えられる教員が不足しており、十分ではないという。
「たとえば古くからある発酵食品は、もともとバイオサイエンスの産物。生活に最も近い科学です。自然を壊さずこれらのしくみをどう活かしていくか。そのための学びの場はどこにでもある。受け身ではなく自らそれに気づき、科学への目覚めを促すことの大切さを、一人ひとりが意識することが重要なのではないでしょうか」(桑原教授)
今日も桑原教授は、虫を捕まえに、里山を歩いている。

一人でも多くの研究者に巣立ってほしい
一人でも多くの研究者に巣立ってほしい

実験・実習では、学生同士のコミュニケーションも重視。研究現場での正確な報告と情報共有の大切さを教えている

profile

京都学園大学バイオ環境学部バイオサイエンス学科生物有機化学研究室 教授 農学博士

桑原 保正 (くわはら やすまさ)

1967年、京都大学大学院農学研究科博士課程農芸化学専攻。92年、京都大学教授、97年、同大大学院農学研究科教授。2003年より、京都大学名誉教授。06年、バイオ環境学部開設と同時に、同学部教授に就任。専門は、昆虫などのフェロモンの構造と作用の研究

京都学園大学
http://www.kyotogakuen.ac.jp/