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(注)所属・役職および研究・開発、装置などは取材当時のものです。

科学者の一分。

Special Edition “mirai”

世界に衝撃を与えたiPS細胞の開発

「科学者の一分」

京都大学 教授 山中 伸弥

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「京都大学の山中伸弥教授のチームがヒトiPS細胞(人工多能性幹細胞)の作製に成功」。
2007年11月20日のこのニュースは、瞬く間に世界を駆け巡り、驚きと賞賛の声をもって迎えられた。
iPS細胞はライフサイエンスの研究者たちが長年追い求め続けた究極の細胞だ。
人の体の細胞から作られ、どんな組織にも変化する可能性を持つ。医療に、いや人類に果てしない希望を与えてくれる。
生みの親である山中教授は、近年の加速するライフサイエンスの研究レースに身を任せることなく、一人狭き門から入ることを選んだ。その気骨が、大きな革新を生んだのだ。

スピード競争だけではおもしろくない

「細胞核の初期化」というテーマに取り組んでみようと思ったのは、今から10年前、僕が37歳のときのことでした。退官から逆算すると、残りの研究人生はだいたい30年というところです。そのすべてを費やしても成功するかどうかわからない、それくらい重いテーマだと考えていました。
でも、やってみたかったんです。それは、やっている人がいなかったから。細胞の分化の仕組みを解明しようと取り組んでいる研究者は大勢いました。でも、その反対を行ってみようという人は、ほとんどいなかったんです。大勢で同じゴールを目指す競争なら、勝負を分けるのはスピードだけです。それでは、おもしろくないじゃないですか。僕がやらなくても誰かが成果を出すでしょうしね。誰もやらないユニークなテーマだからこそ、やる価値があるし、興味も湧くんです。
そう考えて、奈良先端科学技術大学院大学の助教授(現在の准教授)に採用され研究室を初めて持ったとき、「細胞核の初期化」をテーマに掲げたんです。
難題と覚悟を決めて取り掛かったにもかかわらず、わずか8年後、iPS細胞の樹立という一応の成果を出せたのは、僕自身、本当に驚くべきことでした。もちろんこれは僕の力だけでなし得たことではありません。数多くの先人たちの挑戦の記録、多くの優れたスタッフたちに恵まれたこと、など幸運が味方してくれたことを決して忘れることはできません。

発生と分化の謎に迫る研究者の系譜

初期化とは、言い換えると、巻き戻すといってもいいでしょう。動物の細胞は、もとはたった一つの受精卵からはじまって、様々な組織に分化して、それらが絶妙に組み合わさってやがて一個の個体を作ります。人間の体は約60兆個の細胞でできていて、約270の種類に分けることができます。つまり、発生分化の過程で270に枝分かれをしたというわけです。この分化の流れは一方通行で、横の枝に飛び移ることもできない、そう長らく考えられてきました。
ところが、そうとも限らないんじゃないかと思わせる研究成果が、実はずいぶん前からあったんです。
最初の重要な成果があったのは1962年、ちょうど僕が生まれた年です。
この年、イギリスの生物学者ジョン・ガードン教授が、クローンカエルの作製に成功したんです。オタマジャクシの小腸の細胞から取り出した核を別のカエルの核を取り除いた卵子のなかに移し替えて孵化させたら、オタマジャクシに育った。脊椎動物では初めてのことです。
いったんいろんな組織に分化した細胞であっても、適切な条件を整えてやれば、受精卵と同じように新たな生命が誕生する。分化のプログラムは巻き戻し可能だということがわかったわけです。
その後、96年にはクローン羊のドリーが生まれて、哺乳類でも同じことが可能だということになりました。研究室を作ったあとの2000年には京都大学の多田高先生たちが、クローンを作らなくてもES細胞と体細胞をくっつけるだけでも、分化のプログラムが巻き戻るということを明らかにされた。
僕の研究もその延長線上にあるわけで、分化のプログラムを巻き戻すこと自体は決して目新しいことではないんです。ただ、じゃあ巻き戻す因子がなんなのか、それがわかっていなかった。だから、僕たちはまず、その因子を見つけよう。そしてその因子を突き止めたら、体細胞からいろんな細胞に分化する多能性を持つ幹細胞に巻き戻すこともできるようになるだろうと考えたんです。

ES細胞に代わるものはないか?

もう一つ理由があって、ES細胞に代わるものが作れないだろうかというのが僕の願いでした。ES細胞は初期の胚をばらばらにして、そこから取り出した細胞を培養して作ります。様々な組織に分化できる多能性を持っていて、生命科学や創薬には欠かせない道具ではあるのですが、たとえ使われる予定のないものであっても受精卵を使うことには抵抗がありました。体細胞の分化プログラムを巻き戻すことで「ES細胞化」することができれば、倫理的な問題もクリアできます。
もちろん簡単なことじゃないというのはわかっていました。なにしろ、因子となる物質の候補のめどは立っていません。遺伝子の数と同じだけ候補があるわけです。当時、遺伝子の数は2万5000個どころか10万個はあるといわれていました。そこからしらみつぶしに探していくとなると、やっぱり30年は見ておく必要がありました。
「そんな成果につながりにくい研究はよしたほうがいい」と、止めてくださる方もいました。でも、やっぱり人と同じ道を歩きたくはなかったんです。

iPS細胞が動いた

幸運なことに、「細胞核の初期化」というテーマは、学生たちには好評でした。優秀で精力的な学生が大勢集まってくれたんです。
もう一つの幸運は、研究をはじめて間もなく、理化学研究所からES細胞由来、体細胞由来のマウスの遺伝子データベースが公開されたんです。僕の仮説は、ES細胞で働いていて、体細胞では働いていない遺伝子が、ES細胞の多能性を維持する役割を果たしているというもので、そのためには、両者を徹底比較する必要がありました。マウスで実験を繰り返していたのでは、途方もない時間がかかります。遺伝子のいいデータベースがないかなあと思っていた矢先の公開で、研究室は花が咲いたように明るくなりましたね。
そのデータベースで解析した結果、10万個が100個まで絞り込め、そこからマウスの実験で24に絞り込み、最終的な答えだった3つないし4つまで絞り込むところまで7年でたどり着き、マウスのiPS細胞の作製に成功、その翌年にはヒトのiPS細胞を作ることができました。
あのときの興奮は今でも忘れられません。ヒトiPS細胞が心筋細胞に分化して、顕微鏡のなかでトクットクッと拍動していたんです。ちょうど心臓のように。もとはといえば成人女性の皮膚の細胞です。それが、いったんiPS細胞となって、心臓の組織としての機能を備えた細胞に分化したんです。うれしさ半分、ほっとした気持ちと、さあこれからが大変だという気持ちが入り交じって、本当に興奮しました。

科学は予想のつかないもの

僕の研究室でiPS細胞が動いてから2年が過ぎ、今iPS細胞研究は世界を巻き込み大変な勢いで進んでいます。再生医療への応用をゴールに据えた研究プロジェクトも動き出しており、決して夢物語ではなくなりつつあります。その中で、時間がかかりそうで誰もが手をつけたがらないところ、例えば安全性を高めるための研究などを僕はじっくり腰を据えてやろうと思っています。それがiPS細胞を生み出したものの使命ですから。
それと並行して取り組んでいきたいのが、日本の研究環境の改善です。アメリカの研究機関には、まず多くの人材があり、その人たちがオープンな環境で自在にコラボレーションができる建物があり、さらに様々なスタッフがその研究を支え、国、州、民間からも多くの研究費が集まってきます。ひるがえって日本では、アメリカの研究者よりはるかに頑張っている若い世代の研究者たちがいるのに、建物は古く閉鎖的で、スタッフの数も絶対的に足りません。若い人が気持ちよく研究できる環境を作ることは、彼らを知る僕の役目でもあると思っています。
研究環境が整えば、そこから、iPS細胞を臨床に応用できるような研究成果が表れる日もくるでしょう。でも、いつということは決して言えません。30年かかると思っていたものが8年でできた。しかし、その逆もまたあり得ます。予想もつかないのが科学なんです。

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京都大学物質-細胞統合システム拠点iPS細胞研究センター長
京都大学再生医科学研究所再生誘導研究分野教授

山中 伸弥(やまなか しんや)

1962年大阪生まれ。87年神戸大学医学部卒業後、国立大阪病院臨床研修医(整形外科)を経て、93年大阪市立大学大学院医学研究科修了。同年、米グラッドストーン研究所の研究員として採用され、ノックアウトマウスの研究に携わる。96年に帰国後、99年奈良先端科学技術大学院大学遺伝子教育研究センター助教授に就任、2003年同大教授に。 2004年京都大学再生医科学研究所教授(再生誘導研究分野)に就任し、2008年iPS細胞研究センター長に。

(注)所属・役職および研究・開発、装置などは取材当時のものです。