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(注)所属・役職および研究・開発、装置などは取材当時のものです。

アホウドリ復活

Special Edition “life”

アホウドリ復活

絶滅から救った動物学者の奮闘

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東京から南へ580キロ。鳥島はアホウドリの楽園である。
その名前も群生するアホウドリから名づけられた。
一度は人間の手で踏みにじられたこの楽園を復活させるため、尽力する動物学者がいる。

羽毛ビジネスの犠牲に

アホウドリは、翼を広げると2メートルを超える大型の海鳥だ。グライダーのように悠然と上空を滑空する姿からオキノタユウ(沖の太夫)とも呼ばれる。世界には、近縁種を含めて22種類が生息しているが、意外なことにアホウドリは、今では日本の近海、それも伊豆諸島の最南部の鳥島と尖閣諸島でしか繁殖していない。しかも、一時は絶滅寸前にまで追いこまれていた。
原因は羽毛を目的にした乱獲だ。アホウドリの羽毛は質がよく、羽毛布団の材料として好適だった。明治維新で西洋との交易が始まり、羽毛が高く売れると目をつけた商人がアホウドリを捕獲し、少なくとも約500万羽が捕殺されたという。
加えて一大繁殖地だった鳥島で火山が大噴火を起こし、捕獲のために入植していた島民は全滅、アホウドリのコロニー(集団営巣地)も壊滅的な打撃を受けた。

日本の動物学者が笑い物になる

1951年、絶滅したと思われていたアホウドリが見つかったというニュースが流れた。中央気象台(当時)の測候所員が、火山活動を調査するために立ち寄った鳥島の南東端に位置する燕崎で、わずか10羽ほどのアホウドリが生息していた。その後、本格的な調査が行なわれ、アホウドリは1962年に特別天然記念物に指定され、徐々に数を増やし始めた。
1977年、その鳥島の岸壁を一人の青年がよじ登った。当時28歳だった長谷川博氏(現東邦大学教授)である。
「間近でアホウドリを見て、美しいと心から思いました。空を舞う姿も、近くで見た黒く凛とした目も、本当にきれいでした。仲間が少ない寂しさなど微塵も感じられなかったですよ」
静岡県の山間で生まれ育った長谷川少年は、小学生のころから昆虫や鳥が大好きだった。口笛で鳴き声を真似して、メジロやヤマガラを呼び寄せることもできたという。
昆虫を捕まえたり、罠を工夫して小鳥を捕まえたりするのもお手の物。捕まえるには、その鳥の習性を読み、裏をかいた罠を仕掛ける必要がある。長谷川少年は、生粋の「ハンター」だった。
「食べはしませんよ。でも、動物たちとそういうやり取りをするのが、おもしろいんです」
京都大学に入学して昆虫学研究室で個体群生態学、大学院では動物学教室で生態学を学んだ。その過程でトキとならんで絶滅が心配されているアホウドリに触れる機会があり、いつかは自分で見てみたいという思いを抱くようになった。
時代はまだ高度経済成長の名残があり、絶滅危惧動物の保護など趣味の領域でやることで、学者が率先して携わることではない、という風潮が残っていた。
しかし、長谷川氏は、
「トキが絶滅して、アホウドリも絶滅させてしまったら、日本の動物学者はいったい何をしているんだ、とよその国から笑い者になりかねない。一生後悔すると思った」と世の流れをはねつけた。

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デコイや求愛の音声を使ってアホウドリを呼び寄せコロニーの形成を促す
撮影:長谷川博教授

ひなを育てる環境を整えよみがえった楽園

長谷川氏がはじめてアホウドリの数を確認したとき、鳥島にいたのは71羽とひな15羽。特別天然記念物に指定され、保護が行なわれた結果、少しずつ数を増やしてはいた。だが、ひながたった15羽という数は、危うい状況であることには変わりはなかった。人間の手で捕獲されることこそなくても、魚網にかかってしまったり、病気になって命を落とすアホウドリはいる。火山の噴火が起きてコロニーごと吹き飛んでしまえば、ひとたまりもない。繁殖には、継続的な調査と保護が必要だった。
以来、長谷川氏は、最初の数年を除き、毎年数度、鳥島を訪れ保護活動を続ける。無人島に数週間、長いときは1カ月以上もかけて生息数を確認し、行動を観察する。産卵期には、親鳥が巣を離れるのをじっくりと待って、離れたすきに卵の有無を確認する。新たに生まれたひなには、研究のために年毎に違う色の足環をつける。
アホウドリの数を増やすには、ひなを育てる環境を整えてやる必要がある。また、アホウドリは飛び立つのに助走が必要で、上昇気流を受けると有利である。そのため、コロニーは角度のある斜面に限られた。だが、火山灰が表面を覆う鳥島の斜面は地面がもろく、土砂崩れが起きれば、コロニーごと流されてしまう。
そこで、コロニーの中に巣の材料となる草を移植して巣作りを支援。デコイと呼ばれる模型と録音した音声を再生して、なだらかな斜面に新しいコロニーの形成を促す作業も続けた。資金は乏しかったが、徐々に活動が知られて手をかしてくれるボランティアや寄付も増えてきた。それでも足りない分は、「雑誌や本の原稿を書いて小銭を稼いできました」と笑う。

絶滅の危機をのり越え完全復活へ

その活動は、ゆっくりではあるが確実に実を結ぶ。1999年には、鳥島のアホウドリは1000羽、2008年には2000羽を超えた。同年、鳥島からさらに350キロ南の聟島に、新たなコロニーを形成するため鳥島からひなを移し、そこで野外飼育をする活動が開始され、移した10羽すべてが海に飛び立った。数年後には、聟島に生き延びたアホウドリが戻り、そこで新たな命を育むことになるはずだ。
「30年以上もかかって絶滅の危機から救えたこと自体もうれしいですが、だれも知らなかったアホウドリ集団の生態を知ることができ、そこから数を増やす道筋を立てることができた。それがうれしい」と長谷川氏は少年のように顔をほころばせる。
5月、南の島で、今年もアホウドリのひなが巣立ちを迎える。

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東邦大学理学部生物学科(動物生態学研究室)教授

長谷川 博(はせがわ ひろし)

1948年静岡県生まれ。京都大学農学部卒、同大大学院理学研究科博士課程単位取得退学。専門はアホウドリの保護研究、日本近海の海鳥の生態・行動の調査研究。全米野生生物連盟自然保護功労賞、日本学士院エジンバラ公賞など受賞多数。著書に『アホウドリに夢中』(新日本出版社)『風にのれ!アホウドリ』(フレーベル館)などがある。

(注)所属・役職および研究・開発、装置などは取材当時のものです。