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(注)所属・役職および研究・開発、装置などは取材当時のものです。

いのちを守る、いのちに迫る

病める人のために

長崎大学医学部・歯学部附属病院

長崎大学医学部・歯学部附属病院

1857年長崎奉行所西役所内に西洋医学伝習所が設けられ、ポンペ・ファン・メールデルフォールトにより医学教育を開始。1861年、医学校に附置された長崎養生所が創設。長崎大学医学部・歯学部附属病院の前身となる。長崎県下唯一の大学病院として最高水準の医療を提供し、人間性豊かな医療人の育成と新しい医療の創造と発展に貢献している。

〒852-8501 長崎市坂本1-7-1
TEL . 095-819-7200(代表)

http://www.mh.nagasaki-u.ac.jp/

「医師は自分自身のものでなく、病める人のものである」と、説いたのは、長崎大学病院の前身「長崎養生所」を創設したポンペ。
同病院の放射線画像診断にもその精神は受け継がれている。

光にあふれる新病棟

長崎大学医学部・歯学部附属病院は、浦上天主堂にほど近い坂の中腹に立つ。
施設の交通案内を見ると、最寄りの浦上駅、ターミナル駅の長崎駅からの経路のほかに、長崎空港、フェリー乗り場からのアクセスも記してある。有人島(人の住む島)75を数える長崎。沖合の五島列島や壱岐・対馬などからも同病院を頼りとして訪れる患者さんが多いのだ。
開院は1857年。日本で初となる西洋式病床を備えた「長崎養生所」に端を発する。以来、実に150年にわたって、文字通り地域医療の中核として長崎の健康を支えてきた。63年前の夏、原子爆弾の投下によって壊滅的な被害を受けながらも、長崎大学医学部に働く医療従事者は被爆者の救護に奔走した。
この歴史ある病院に、今年6月、新病棟が完成した。患者さんのアメニティにこだわったというその建物は、随所に新しい取組みが盛り込まれている。「プライバシーに配慮した快適な療養環境の実現」をうたい、広々した食堂や談話室、屋上庭園など、緑にあふれたくつろげる空間が広がる。新棟と旧棟をつなぐ高い吹き抜けのコリドール(回廊)は、黄色をベースとした明るい色合いで統一され、光がさんさんと差し込む。病院という暗いイメージを払拭する明るさだ。

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広視野であらゆる方向から撮影・透視ができ、より精細な画像が得られる直接変換方式FPD搭載 大視野多目的Cアームテーブル Cvision Safire L

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医療技師部放射線部門 野口勝主任技師

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直接変換方式FPDを搭載した高画質でポジショニングしやすいフルデジタルのマンモグラフィSEPIO Nuance

 

鮮明な画像と被ばく低減で医師・患者さんの負担を軽減

その新棟の2階に放射線部がある。新棟開院にあわせて、システムを一新し、一般撮影装置、CT装置、MRI装置など最新鋭の装置が設置された。撮影コントロールルームと放射線科医師が画像を見て診断を下す読影室を中央におき、その回りを「ロ」の字に撮影室が並ぶ斬新な設計だ。
「スペースが広くなったのはもちろん、スタッフが動きやすい空間になりましたね。技師と医師のコミュニケーションがとりやすくて、非常に効率よく撮影・診断ができるようになりました」(放射線部部 長上谷雅孝教授)
「撮影室がずらりと並んでいるので、人が足りないとなったら、すぐ応援を呼んで、対応することができます。理想的な配置といえるでしょう」(医療技師部放射線部門 野口勝主任技師)
その放射線部には、島津の17インチ直接変換方式フラット・パネル・ディテクタ(FPD)を搭載した一般撮影装置「RAD Speed Safire」6台が稼働している。直接変換方式とは、X線情報の変換を重ねて画像に表示するところを、X線情報を直接電気信号に変換し画像にしてしまう。変換過程で避けられないノイズやボケが発生しにくいのが最大の利点だ。
「機種の選定にあたって、いろいろな機械のデモを見せてもらいましたが、やはり島津の直接変換方式FPDの画像の精度は図抜けていました。白と黒のコントラスト差が大きいところでも、見たいものがはっきりと見えるんです。結果的に撮影の失敗が減り、撮影枚数も少なくて済みます。加えて、機械である以上、故障を100%避けることはできませんから、緊急のメンテナンスは不可欠です。その点でもサービス体制が確立されている島津は安心でした」(野口主任技師)
直接変換方式のメリットはほかにもある。X線から可視画像へ変換する工程がシンプルなので、データのロスが少ない。感度、空間分解能も高いので、その分、もともとのX線の線量を少なくすることが期待できる。
「長崎は被爆の町ですからね。やはり患者さんも我々も、放射線被ばくには敏感です。被ばく量が少なくて済むとなれば、健康面ではもちろん、精神的な負担も大きく軽減できるでしょう」(医療技術部放射線部門 黒田昭範技師長)

己の如く人を愛せよ

このほかにも同部には、島津の直接変換方式FPD搭載大視野多目的Cアームテーブル「Cvision Saf ire L」が1台、マンモグラフィシステム「SEPIO Nuance」も1台導入されている。そのほかの装置も含め、すべてを院内LANシステムで接続し、画像の管理・活用を一元化しているのも同病院の自慢だ。
以前は、医師などが作った撮影依頼書を患者さん自身が放射線部受付に提出し、撮影後フィルムの袋を持って医師のもとに戻ってもらうという流れを踏む必要があった。「長びくと1~2時間かかることもあった」(黒田技師長)
それが今は、放射線部受付に患者さんが来たときには既に撮影準備が整っていて、撮影後の画像は各装置の液晶モニタで確認して画像サーバに送るだけで、院内のどこの端末でも参照できるようになっている。
「放射線部の受付で、患者さんが『え、もう終わりですか?何も持っていかなくてよいのですか』と意外な顔をされていることが多いんです。あまりにもシンプルなシステムなので、我々よりも患者さんのほうが戸惑っているかもしれませんね」(黒田技師長)
「離島から診察に来られている方にとっては、待ち時間が長くなってしまうと、その日の船がなくなって帰れなくなってしまうことも珍しくありませんでしたから、患者さんにとっては大きなメリットです。今では、放射線部の前で待つ患者さんがほとんどいなくなってしまって、僕らにしてみたら、寂しいくらいです(笑)」(上谷教授)
病院から数キロのところに「如己堂」という庵がある。原爆関連のモニュメントの一つで、修学旅行の名所の一つにもなっている。わずか二畳のその庵に住んでいたのは、かつての長崎医大附属病院の放射線科医師で、自身も白血病を患い、妻を原爆で失いながら、患者の治療を続けた後の放射線医学教室教授でもある永井隆博士。クリスチャンでもあった彼は、自らの住む庵に「己の如く人を愛せよ」という意味を込めて「如己堂」と名付けた。「長崎の鐘」など、平和を訴えた多くの著書でも知られている。
「創設者であるポンペの思いも、僕らの先輩である永井博士の思いも、どんなに時代が移り変わっても病院のなかに息づいています。患者さんの身になって、患者さんが本当に満足してもらえる医療を実現したいですね」(上谷教授)
先人たちの思いが、新病棟にも受け継がれている。

 
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長崎大学 大学院医歯薬学総合研究科 医療科学専攻 放射線診断治療学 教授

上谷 雅孝(うえたに まさたか)

1981年長崎大学医学部卒業、同年6月同大学放射線科入局、1987年米国オハイオ州クリーブランドクリニックSpecial Clinical Fellow, Muscoloskeletal Radiology、1989年長崎市立成人病センター放射線科部長、1991年長崎大学医学部附属病院助手、講師を経て、1998年長崎大学大学院医学部助教授、2004年同部教授に就任。現在に至る。

(注)所属・役職および研究・開発、装置などは取材当時のものです。