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(注)所属・役職および研究・開発、装置などは取材当時のものです。

Special edition “Borderless World”

宇宙開発を底辺で支える、日本の繊維技術

熱い思いとこだわりが支えた宇宙パラボラアンテナの製品化

2006年12月、通信衛星の「きく8号」が打ち上げられた。
この「きく8号」が世間から最も注目されたのが巨大なパラボラアンテナである。
搭載されたパラボラアンテナは、モリブデン製の金属繊維に金メッキをしたもの。
その製品開発に携わった一人の男がいた。
石川県かほく市にある、社員数50名の株式会社能任七(のとしち)の社長能任信介氏その人である。

大きく、強く、軽く、コンパクトな衛星用アンテナが作れないか

「きく8号」に搭載された大型展開パラボラアンテナについて、簡単に説明しておこう。アンテナは、六角形の傘を亀の甲のように14個を並べたような構造をしていて、衛星が静止すると、パタパタと開き、片側だけで、19m×17mというサイズのアンテナが開くというもの。このアンテナによって、それまで携帯電話の地上基地局が設置できない山間部や海上、また災害発生時でも通話が可能になった。また、今後打ち上げられる通信衛星にも、能任七製のアンテナが搭載される予定になっている。

「きく8号」搭載の大型展開パラボラアンテナに採用された能任七の金属繊維

要求スペックを超えるのに、10年の歳月

今から17年前、技術協力で縁のあった企業から「能任社長、宇宙で広がるパラボラアンテナをモリブデンの金属繊維で織ることができませんか?」という、問い合わせが来た。
当時、既にアメリカにはその金属繊維織りの技術はあったが、今後の宇宙開発の技術スピードを考えると、とても満足のいくレベルではなかった。「最高レベルの軽さ、最高レベルの強さ、最高レベルのコンパクトさ」が要求されていた。
普通の繊維に比べ、金属は伸度(伸びに対する強さ)が弱く、引っ張りに弱い。細くすればするほど、切れやすくしかも太さが一定にならない。
アメリカにある技術では幅2mまでの織りしかできないのに対して、要求されたのは4m30cm幅。しかも、米国の技術では30ミクロン単線のスタイルなのに、20ミクロンの3本撚りで製作することなどコンパクトで衝撃にも強いものを要求された(最終的には、より重量を軽くする観点から4m 30cm幅の30ミクロン単線が搭載されることになる)。さらに素材自体が高価なものなので、研究とはいえ、材料が豊富にあるわけではない中で研究はスタートした。

たった一人の、深夜の研究開発

「10年間、トライアンドエラーの連続。しかも、これは社長として、社員の誰かを指名して、プロジェクトを組んでやるような仕事ではないわけです。おカネになるのかどうかもわからないし、採用されるのが決まっているわけでもない。社長業をほったらかして研究に没頭するわけにもいかない。そこで、夜7時から朝までがたった一人の、私の研究の時間だったのです」
素人目には、繊維の糸が金属になるだけなので、そんなに難しくないように思えるが、なんと、その後10年かかってその要望を満たす製品の完成を見るのである。
「きっといくつかの会社に声をかけていたと思いますよ。結局最後まで粘った私のところが、より完成度の高いものを作り上げただけなんです。協力工場の工場長にも支えて頂きましたしね」
と謙遜する。しかし、驚いたのは、当時社員30名いて、誰ひとり社長が何の研究をしていたか知らなかったということだ。「きく8号」の打ち上げのときに、記者発表の席にいた能任氏を見て「うちの社長だ!」とみな驚いたという。

友禅のDNAが開発魂に溶け込んでいる

株式会社能任七についても、少し触れておこう。能任七は明治20年創業の「能任絹」という会社からのれん分けされ、昭和51年に現社長の能任信介氏が入社する。
「入社したてのころは、能任七は服地の裏地を織る会社でした。そのころから、裏地自体の生産は技術的には難しくなく、コストの安い海外製品がどんどん入ってきたのです。そのまま生産を続けていたら、うちの会社はとっくに潰れていたでしょうね」
と語るように、その当時に比べ、石川県では繊維会社は5分の1に減っている。彼の入社が会社を再生させたとも言えるかもしれない。

金属メッシュの開発によって、新しい要望が続々

今回の金属メッシュの開発によって、会社の業態は大きく変化した。今では、裏地の生産は5%程度となり、スポーツウェア素材・産業用資材・ブライダル関連素材が大きな割合を占め完全に業種転換を図っている。特にスポーツ素材は、世界中の有名スポーツ&アウトドアウエアブランドに供給されている。これらすべてに、宇宙衛星で使われた「織りの技術」が遺憾なく発揮されている、といえるのだろう。

高き山ほど、越える喜びがある

「与えられるテーマが困難であればあるほど、その山を越えることに燃える」とは、能任社長の弁である。
「これはいけるんじゃないかと考えて資料を調べたり、調査したりする3合目ぐらいまでの作業が一番好きですね。でもその後は苦しいことばかりですね。3合目から8合目ぐらいの製品化への取組みで、試行錯誤している時期はとても苦しいし、8合目から頂上までの市場に出して売れるまではもっともっと苦しい。でも、その山を越えたとき、最高の喜びが待っているんです」
現状に留まること、現状に満足することをよしとしない、能任社長の生き方。技術は専門外と言いつつも、技術への熱い思い、そしてこだわりが世界に羽ばたく技術を支えているのではないだろうか。

株式会社 能任七 代表取締役社長

能任 信介(のと しんすけ)

(注)所属・役職および研究・開発、装置などは取材当時のものです。