アルツハイマー病のリスクを発見する血液バイオマーカー研究のトリガーを引いた研究者らの熱意

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認知症を引き起こすもっとも代表的な病気、アルツハイマー病。
現在500万人超と推定され、国内の認知症患者の過半数を占めると考えられている。
超高齢化社会を迎え、人生100年時代ともいわれるなか、この病気を解明し、治療法確立へとバトンをつなごうとする研究者がいる。
長寿医療研究センターの中村昭範氏に、お話を伺った。

夢物語への挑戦

国立長寿医療研究センター(以下、長寿研)バイオマーカー開発研究部部長の中村昭範氏は、長く脳機能画像診断開発研究部の室長として、脳機能を画像で評価する方法を模索してきた。

TOF-PET装置BresTome
頭部と乳房撮像に特化したTOF-PET装置BresTome
※アミロイドPETによる検査は保険未適用です。

アルツハイマー病発症前の機能的診断もその一つ。アルツハイマー病では、発症の20~30年前から、アミロイドβというペプチド(タンパク質の断片)が脳細胞に蓄積しはじめる。蓄積があるかどうかの答え合わせには、通常、被験者が亡くなってから病理解剖をするしかなかったのだが、画像診断の進歩により、アミロイドβの蓄積の有無がわかる「アミロイドPET」が登場。

そこで、2011年からは、アミロイドPETによるアルツハイマー病発症前の診断に役立つバイオマーカーを探す研究を、長寿研の分子画像開発室室長の加藤隆司氏(現 放射線診療部部長)らとスタートさせる。そこへ共同研究の声がかかった。2013年のことだ。

声をかけたのは、長寿研の柳澤勝彦研究所長(現 筑波大学客員教授)。島津製作所の田中耕一エグゼクティブ・リサーチ フェローとともに、質量分析計を使ってわずかな血液からアルツハイマー病のリスクを発見できる血液バイオマーカーの研究を進めており、多くの被験者で“答え合わせ”ができる、コホート研究のデータを必要としていた。

「私たちは、2011年から2年間で、病院では集めるのが難しい無症状の健康高齢者を含めて100人近くの方にご協力いただき、アミロイドPET検査のデータを蓄積していたことから、一緒にバイオマーカーを見つける研究をしよう、と声をかけてくださいました」

しかし、中村氏は当初、半信半疑だったという。血液バイオマーカーへの期待は大きく、これまで20年以上も世界中で多くの研究が行われてきた。だが、そのいずれもうまくいかず、いつしか「夢物語」だと言われるようになっていたからだ。ところが、氏らがPETの画像を撮っていた被験者約60人の血液を分析したところ、驚くような結果が現れた。

「アミロイドPETの所見と質量分析計でみた血液データが、約90%の正答率で一致したんです。これはただごとではないと胸が高まりました」

2014年、島津側の研究主担当の金子直樹氏(田中耕一記念質量分析研究所)を筆頭に発表した共同論文が科学誌(Proc. Jpn. Acad., Ser. B)に掲載されたが、あまりの正答率の高さに世の中の反応は懐疑的だった。

中村氏らは「必ず時代を変えるはず。有無を言わさぬデータを出そう」と、日本だけでなくオーストラリアの独立した大規模データで有用性を検証すると、そこでも約90%の正答率で一致。研究をともにした加藤氏と、夜中に何度もハイタッチするほど喜んだという。

そして2018年に発表した共同論文は、『Nature』に掲載され、世界の主要紙でも紹介されるなど、今度こそ世界を驚かせた。

世界中ではいま、さまざまな方法で血液バイオマーカーの研究が行われ、ビッグバンが起きている。中村氏らの研究がそのトリガーを引いたのだ。

創薬も予防の進展にも期待

なぜ、常識を覆すことができたのだろうか。一つは高性能な分析装置の存在だ。

血中アミロイドペプチド測定システム Amyloid MS CL
血中アミロイドペプチド測定システム Amyloid MS CL
注)「Amyloid MS CL」が出力するバイオマーカー値の臨床的意義は評価されていません。本製品による検査を実施する際には、関連学会が監修した適正使用指針を順守することが求められます。

アミロイドβは、アミロイドβ前駆タンパク質(APP)から切り出される。APPは、細胞表面にある膜タンパク質で、膜から飛び出している部分が酵素の働きを受けて切り離されたものが「アミロイドβペプチド」となる。

アミロイドβには1-40、1-42、1-43とさまざまな種類があるが、1-42がアルツハイマー病の初期から脳の皮質内に蓄積していくためこの量を測ることができれば、バイオマーカーとなるかもしれないといわれてきた。

だが1-42も1-40もほかの分子も、アミノ酸の構造も分子量もほとんど同じだ。そのわずかな違いを検出できる質量分析計を用い、免疫沈降と組み合わせてこれらを精密に測定する技術を金子氏らが開発したことで、この発見のベースが形作られたのだ。

もう一つは「1-42だけに注目しなかったこと」だ。

「APPから切り出された1-40、1-42、APP669-711は、ごく一部が血中へ移行して全身を巡るのですが、その移行率には個人差が大きいのではないかと私たちは考えました。1 -42の絶対量だけを見ていたのでは、脳への蓄積が進んでいるかはわからない。ほかの研究がうまくいかなかったのは、ここにも原因があったのではないでしょうか」

そこで研究グループは、1-42対1-40の比、1-42対APP669-711の比に注目した。APPから切り出されるそれぞれのペプチドの比は、基本的には変わらないはずだ。にもかかわらず血中で相対的に1 -42が少なければ、脳の皮質内への蓄積が進み、血中に移行する分が減っているのではと推理したところ、まさに大当たりだったというわけだ。

チームで未来へつなげる

血液バイオマーカーの開発は、この病気へのアプローチを大きく変える。
治療薬の開発では、被験者を高額なPETで調べても陰性が多く、製薬メーカーの費用負担が大きいが、血液バイオマーカーでスクリーニングをすれば、負担を減らすことができる。

臨床現場への恩恵も大きい。軽度認知障害や認知症では、その症状がアルツハイマー病に起因するものなのか、それ以外の原因によるものかで治療方針は大きく異なる。

アミロイドPETはまだ保険適用されておらず、患者への侵襲性や費用面で負担がかかるが、血液バイオマーカーは特別な施設も不要で、採血だけで済む。医療費の削減にもつながるだろう。

同じことは予防医学にもいえる。よいとされる運動や食事は数多くあるが、エビデンスは不足している。アルツハイマー病の潜在的な病変がある人にも効果があることが証明できれば、予防法の開発に役立つ可能性がある。

「アミロイドβは20〜30年かけて脳に蓄積していきます。逆にいえば、20~30年もチャンスがあるということ。早めに気づき、蓄積を遅らせる方法が確立できれば、寿命まで逃げ切れるようになるかもしれません」

そのためには、一つのツールに頼るのでなく連携がカギとなるという。

「スクリーニングツールとしての質量分析計による血液バイオマーカーと、生前診断としての病理のスタンダードであるアミロイドPETが、タッグを組んでWIN-WINの関係を目指せば、認知症の診断や発症リスクの予測を確実に身近なものにしていけます」

2021年6月、中村氏が代表となり、長寿研を中心とした産学連携の多施設共同研究「血液バイオマーカーによる認知症の統合的層別化システムの開発」(BATONプロジェクト)が開始された。

島津も参加するこのプロジェクト名には、メンバーのチームワークのよさと、診断ツールの開発から最終的には本命の治療薬や予防法の開発にバトンをつなぐという氏の想いが込められている。その熱量を持ち続け、真摯に取り組んできた中村氏だからこそ、この物語を共に歩みたいと、多くの研究者につながっていくのかもしれない。

BATONプロジェクト

国立長寿医療研究センターを中心としたBATONプロジェクトは、日本医療研究開発機構の支援を受け、東京都健康長寿医療センター、国立量子科学技術研究開発機構、近畿大学、名古屋大学、株式会社島津製作所、東レ株式会社、及びBioSHIP研究グループとの共同研究体制で行われます。

※所属・役職は取材時のものです。

中村 昭範 中村 昭範
国立長寿医療研究センター
バイオマーカー開発研究部部長
医学博士・神経内科医
中村 昭範(なかむら あきのり)

鹿児島大学卒。独マックスプランク認知科学研究所研究員を経て、2005年から国立長寿医療センター、長寿脳科学研究部室長、2008年から同、脳機能画像診断開発研究部室長を務め、画像診断による認知症の早期診断や機能変化メカニズムの研究に従事。2021年度から現職、及び、名古屋大学大学院医学系研究科・認知機能科学連携教授を併任。

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