もう一人の医療者
薬学から変えていく日本の地域医療問題

  • LinkedIn

大学病院の薬学の研究者にして、徹底した患者志向を忘れない。その思いが、地域の医療を変えようとしている。
金沢大学 附属病院 薬剤部長の崔 吉道教授に、薬剤師の役割について、そして地域医療問題にかける想いについてお聞きした。

「用法用量」とは何か

どんな薬にも、「使用上の注意」が付いている。「成人は、毎食後2錠ずつ。異状があれば服用を中止して医師に相談を」といった具合だ。市販薬でも、病院で処方される薬でもそこに違いはない。しかし、一口に大人といっても、体重にすれば、倍以上差がでることがある。必要なカロリー量も一人ひとり違うのだから、薬もその人によって適切な用法用量が変わるのではないだろうか。

「当然、異なります。個人間での変動もあれば、その日の肝臓や腎臓の調子、一緒に服用する薬剤によっても変わる。薬によっては、しっかり管理していく必要があります」

と話すのは、金沢大学附属病院薬剤部長の崔吉道教授。教授は、薬物動態学の専門家だ。薬物動態学とは、薬の成分が体にどのように吸収され、細胞に届くかを研究する学問。教授は、研究を重ねて、新たな生理学的な特性の発見を進めるとともに、同病院の薬剤部を率い、一人ひとりの患者に合わせ、用法用量をコントロールした薬物治療を行っている。

「用法用量」とは何か

そもそも、薬は口から飲んでも、すぐ効くわけではない。まず胃で溶けて溶液になり、それが消化管で吸収されると、血管を経由して肝臓に届く。そこで、代謝を受けてかなりの量が分解されるが、それを免れたものが、血液に運ばれて全身をめぐる。不運な分子はさらに腎臓でこし出され、幸運な分子のいくつかは、なんとか患部の細胞にたどり着く。だが細胞膜は、容易なことでは異物を受け付けない。薬物トランスポーターと呼ばれる特別なたんぱく質が、特定の分子に対してだけ関門を開き、あるいは大きく手を伸ばして、分子を取り込む。そうして初めて、薬は効くのである。

教授は、どのトランスポーターがどの成分を引き込み、またそのトランスポーターをつくる遺伝子がなんなのかを探究し続けてきた。その成果は、創薬の分野においても大いに活用されている。

もう一人の医療者

もちろんその知見は臨床現場においてもなくてはならないものとなっている。前述のように、薬効は体内のさまざまな因子の影響を受けて変動する。薬には、薬効成分が十分に働く血中濃度があり、それを下回ると薬は効かなくなる一方、一定の血中濃度に達すると副作用が強く出て、せっかくの治療が却って健康を損なうものとなってしまう。

崔 吉道

「多くの薬は、たとえ数倍の量を飲んだとしても、重篤な副作用が生じないだけの安全性を有しています。『成人は1日何錠』と一くくりにできるのは、そのおかげです。一方で、数十ミリグラムでも違うと、命に関わる薬もたくさんある。そうした薬は厳密な管理が必要です」

病院の薬剤部では、薬剤師が日々一人ひとりの患者について投薬管理をしている。同病院の場合、専用装置での血中濃度のチェックを要する患者は、1日約40人。総患者数の1.7パーセントを超える。

「抗がん剤などは、むしろ先に副作用が出てきて、薬効が出てくる血中濃度になると、さらに副作用も強まります。どれくらいの量にコントロールするかは大変神経を使う。血中濃度の変動要因が何であるのか、どれくらいのリスクを覚悟してやっていく必要があるのか、研究の余地はまだまだある。それが解決できることによって、薬物療法がより安全に行えるようになるはずです」

同病院の薬剤部では島津製作所の質量分析計や前処理装置も多数稼働している。質量分析計はこれまで研究用途では長く使われてきたが、臨床でも活躍しはじめている。教授は医療人の立場から、島津製作所に対して期待を込める。

検体前処理装置CLAM-2000 CLと液体クロマトグラフ質量分析システムNexera LC-MS/MSシステム(LCMS-8050CL)
崔教授の研究室にある島津製作所の検体前処理装置CLAM-2000 CLと液体クロマトグラフ質量分析システムNexera LC-MS/MSシステム(LCMS-8050CL)。海外では研究用途だけでなく臨床現場にも質量分析計の導入が積極的に進められており、日本でも導入の可能性が広がりつつある。

「同じ装置であっても、ごくわずかな成分の差異を見極めたい研究用途と、人の命に関わる現場で活用される臨床用途とでは、装置に対して期待するところは自ずと異なります。臨床では確実性を求めます。どんなことがあっても装置が止まるということはあってほしくない。万一故障することがあれば、すぐにも修理してもらいたい。同じチームの一員として、患者さんのための意識を強く持ち続けていてほしいですね」

病院の中と外

いま、崔教授は、地域医療問題に大いに関心を深めている。団塊の世代が後期高齢者になる2025年、このままいくと社会保障費が国家予算を大きく圧迫する。それを防ぐには、病気になる人を減らすこと、未病の段階で予防することが一つの鍵となる。

しかし、石川県でも人口の減少は顕著で、満足な医療サービスが受けられない地域が増えている。そこで産官学が連携して、健康ステーションとして機能する薬局をそういった地域に作れないか、実証実験をとある中山間地で進めている。

崔 吉道

「薬剤師は本来、国民の健康のために働くのが仕事です。にもかかわらず我々は、あまりにも薬に偏りすぎていたのではないか。そういう反省があるのです。薬剤師はサイエンティストでもあり、健康の専門家でもある。地域の健康を維持向上するための仕事は、病院の中と同じくらい地域の中にもあるはずです」

社会的な問題に積極的に関わって、貢献していきたい。そう話す崔教授の言葉は、穏やかだが力に満ちていた。

※所属・役職は取材当時のものです

崔 吉道 崔 吉道
金沢大学附属病院 教授 病院長補佐・薬剤部長崔 吉道(さい よしみち)

1991年金沢大学大学院薬学研究科修士課程修了。94年、同大学院自然科学研究科生命科学専攻博士課程修了。米国タフツ大学研究院、共立薬科大学助教授、慶應義塾大学薬学部准教授などを経て、2009年、金沢大学附属病院准教授、2014年、同教授・副病院長・薬剤部長。2016年から現職。

この記事をPDFで読む

  • LinkedIn

記事検索キーワード

株式会社 島津製作所 コミュニケーション誌