1875(明治8)年~1893(明治26)年
理化学器械製造の業を始める
1875年3月、初代島津源蔵が京都木屋町二条で教育用理化学器械の製造業を起こしたのが、島津の歴史の始まりです。日本の進むべき道は科学立国であるとの理想に燃え、外国製品に代わる国産の教育用理化学器械をつくり出し、日本の科学教育を支えました。また、軽気球の飛揚、理化学器械のカタログや科学に関する雑誌の発刊などを通して、科学知識の普及にも力を尽くしました。

CHRONOLOGY
年表
- 1875年
- 創業(理化学器械製造)
- 1877年
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- 第一回内国勧業博覧会に錫製の医用ブージーを出品し、褒賞を受ける
- 日本で初めて人を乗せた軽気球の飛揚に成功
- 1878年
- 舎密局のドイツ人科学者ワグネル博士と出会う
- 1882年
- 約110点の物理器械を掲載した『理化器械目録表』を発行
- 1884年
- 二代源蔵15歳でウイムシャースト式感応起電機を製造
- 1886年
- 月刊『理化学的工芸雑誌』創刊
- 1891年
- 博物学標本の製造を開始
EPISODE
エピソード

ゼロからの挑戦
初代源蔵は、知識も経験もないなか、1枚の絵を頼りにゼロから軽気球の製作に取り組み、日本初となる有人飛揚を成功させました。府民の科学教育への関心を高めたいという京都府の熱意に応えたもので、その挑戦する心は、島津のDNAとして今も脈々と受け継がれています。

島津の理化学器械の師、ゴッドフリード・ワグネル博士
ワグネル博士から理化学器械の製法とドイツ製足踏み式木製旋盤の操作法を学んだ初代島津源蔵は、製造技術を格段に進歩させ、外国製に劣らない理化学器械を小中学校に提供できるようになりました。当時使用していた足踏み式木製旋盤は、後に博士より譲り受け、現在は島津製作所 創業記念資料館に展示されています。

理化学器械カタログ
「理化器械目録表」は、理化学器械のカタログでした。当時の小中学校の科学教育に必要な器械を網羅し、ユーザーが供覧・選択できるよう便宜をはかったほか、巻末には「御好次第何品ニテモ製造仕候也」と、いかなる注文にも応じるだけの技術力があることも明記しています。

島津の電気――ウイムシャースト式感応起電機
イギリス人ウイムシャーストが発明したウイムシャースト式感応起電機を、初代源蔵の長男・二代源蔵はその1年後に、挿絵1枚をヒントに独学で完成させました。静電誘導を利用して高電圧を発生させるこの感応起電機は、後に初期のX線写真撮影の電源として活用されたほか、電気の仕組みを説明する教材にも用いられ、〝島津の電気〟と称されました。