ワインの美味しさを左右する「香り」の分析に一役
GC-MS「アロマデザイナー」
キリンホールディングス株式会社 飲料未来研究所(神奈川県・湘南アイパーク内)の佐々木佳菜子さん(コア技術研究ユニット)。中央が、香り分析に特化したガスクロマトグラフ質量分析計(GC-MS)「アロマデザイナー」
島津製作所は、岩手大学と共同で、香り分析に特化したガスクロマトグラフ質量分析計(GC-MS)「アロマデザイナー」を開発しました。キリンホールディングス株式会社の飲料未来研究所で導入され、ワインやビールなどの技術開発に活かされています。
複雑で奥深い「におい」の世界
嗅覚は、五感の研究の中でもっとも遅れていると言われています。原因は、においの複雑さにあります。心地良いと感じる「香り」から不快に感じる「臭い」まで、世の中には様々なにおいがありますが、そもそもにおいとは何でしょうか。答えは揮発性の化学物質で、「におい分子」です。その数は数十万種類にのぼり、何十から何百ものにおい分子が組み合わさったものが、においの正体です。
例えば、靴下の蒸れた臭いは「イソ吉草酸」、バニラの香りは「バニリン」という成分ですが、それらが組み合わさるとチョコレートのような香りになります。また、同じにおい分子でも濃度が変わればにおいが変わるものもあります。動物の排泄物から抽出する成分「スカトール」は糞臭のような臭いを持ちますが、濃度が薄いとミントのような清涼感のある香りに一変します。その複雑さに加え、人によってその感じ方や好みが違うため客観的な評価が難しい点も、においの分析を難しくする要因の一つです。
「におい」を測ることの難しさ
そんなにおいを客観的に評価するために様々な手法や装置が開発されています。一般的には、機器分析はGC-MSでサンプルに含まれる成分とその濃度を分析し、その成分がどんなにおいであるかは、GC-MSのカラムから溶出した各成分をヒトが順番に嗅いで調べていく方法が用いられています(におい嗅ぎ法)。
一方、複数の成分が混じることにより生じるにおいは、一部の成分を除去(オミット)して、においの感じ方が変わるかを判定する「オミッション法」が有効とされてきました。しかし、においは何百もの成分が組み合わさっています。サンプル中の全成分を調べて各成分の単品を準備し、成分を取り除いたサンプルを順番に嗅ぎ比べる工程は気が遠くなるような作業でした。
島津製作所と岩手大学が共同で開発した、香りに特化したGC-MS「アロマデザイナー」は、ガスクロマトグラフ(GC)でにおい成分を分離し、抜き取りたい成分のみを質量分析計(MS)に送り、残りを香気バッグに回収して分析サンプルを作ります。
装置の導入を決めた佐々木佳菜子さん(キリンホールディングス株式会社 飲料未来研究所)はその原理を知り「その手があったか!と目から鱗でした。GC-MSは分析のみに使う装置という思い込みをとっぱらい、前処理の自動化までしてしまう。まさに発想の転換ですね」といいます。
GC-MS「アロマデザイナー」の香気バック
佐々木さんは飲料の中でもワインを担当し、ワインを特徴づける香りの成分を、ブドウ栽培やワインの醸造工程で増強する技術を開発しています。
「かねてから、様々な成分が組み合わさっている複合香の研究を進めたいと思っていました。複合香の研究では、においは感じるけれど、どの成分が寄与しているのかが分からない場合が多いです。アロマデザイナーを使えば簡単に前処理ができるため分析のスピードが上がるうえに、欲しいデータが得られることが分かったので導入を決めました。抜き取りたい成分を自動で除去するシステムは、大変重宝しています」。
佐々木さんは、アロマデザイナーを使って、日本を代表する赤ワイン用のブドウ品種である「マスカット・ベーリーAワイン」の熟した果物の香りに寄与する成分を特定し、2024年6月にアメリカで開催されたブドウ・ワイン学会「75th ASEV National Conference」で発表しました。今ではワインだけでなく、ビールの研究にも使用されています。
におい分析にさらなるブレイクスルーを期待
「においの研究は発展途上にあり、分からないことだらけです。研究を助けるソフトウエア、例えば分析結果とにおいの成分を照らし合わせるようなライブラリ機能が充実するといいなと思います。また、島津製作所では脳波の研究もしていると聞きました。におい分析で官能試験は欠かせませんが、属人的になりがちです。新しい技術を使って、官能や嗜好における客観的な評価が得られるようになればと期待しています」。
左からキリンホールディングス株式会社の佐々木佳菜子さん、島津製作所分析計測事業部の河村和広、長尾優、木下太生、営業本部の山口裕之
「シャトー・メルシャン 日本の新酒 山梨県産マスカット・ベーリーA 2024」。山梨県甲州市にあるシャトー・メルシャン 勝沼ワイナリー にて購入可能(売切れ次第終了)。
佐々木さんは言います。「毎年、山梨ヌーボー解禁日の11月3日には、飲料未来研究所が香りの研究を行っているマスカット・ベーリーAブドウを原料に使った『日本の新酒 山梨県産マスカット・ベーリーA』が発売されます。これからもアロマデザイナーを活用して香りの研究を進め、美味しいワインを食卓に届けたいです」。
関連リンク
- 複雑な香りの重要成分を迅速に特定、食品・香料・化粧品の研究開発に貢献へ 香りに特化した分析システム「アロマデザイナー」を岩手大学と開発 | プレスリリース
- KIRINの研究開発
- シャトー・メルシャン
- 岩手大学宮崎先生の論文
掲載誌 : Chemical Senses(2024年49巻) 論文名 : Development of the gas chromatography/mass spectrometry-based aroma designer capable of modifying volatile chemical compositions in complex odors 著者 : 小原紀、上野山怜子、小畑雄太郎、宮崎雅雄