Our Story
いろいろなミチ(道・未知)
島津の社員インタビュー
大林 亜希子

流れに乗って
新しい景色へ

大林 亜希子
法務部 輸出入管理室 室長

流されてたどり着いた先

「定年退職したら小料理屋さんを開きたいって思ってるんですよね。女将、案外向いてるんじゃないかなって」
とコロコロと笑う。一気に空気が和んだ。
法務部・輸出入管理室長の大林亜希子さん。笑顔を絶やさない大林さんのファンは男女問わず多い。

大林さんが入社したのは1990年。短大卒の一般職入社だ。当時は「数年働いたら寿退社する時代で、そういうものだと思っていた」という。
貿易のサポート業務を担っていたが、入社5年目の1994年、総合職へとコース変更する。
ビジネス界で飛躍したいといった夢が急に芽生えたわけではない。周囲の先輩女性が皆、総合職認定試験を受けていたので、「そういうものなんだ」と流れに乗って受験した。

「サポート業務と言っても、もともとそれなりの仕事をしていたので、職群が変わってもやることはそれほど変わりませんでした」と振り返る。

一般職であれ総合職であれ、大林さんにとっては大きな問題ではなく、目の前の仕事への姿勢は変わらない。そんな感じのまま、総合職になった後も、自分がのちのちの管理職になるなんて「これっぽっちも想像して無かった」。
しかし、業務への真摯な姿勢と、現状維持で終わらない向上心、地道な努力の積み重ねが評価につながり、いつの間にか、副主任、主任、そして係長になっていく。

2007年、上司から管理職試験の打診は急にやってきた。
「ある日、上司から『受けろ』と言われて・・・。断ったんですが、『受けるもの』と言い切られてしまい、思わず『試験を受けるくらいなら、お見合いします』と課長に言っちゃいました。それくらい、受ける気なんてまったくありませんでした」
当時、社内の女性管理職はわずか5名。誰を想像しても自分から見ると「管理職になれる人」で、違う次元だと思っていた。

進むか去るか、器は足りているか。逡巡を繰り返しながら、本音は「課長なったらまずいよね」と思いつつ、上司の顔を立てる意味で、最後は打診を受け入れた。とはいえ、正直、試験を受けることは構わないが、管理職になること自体に抵抗があった。いま係長という立場でも大変なのに、それ以上大変になるなんて嫌だなと。
しかし、一方で
「あれだけ言ってくれるんだから、私にも何か良い所があるのかなと。求められるならやってみようと思ったんですよね」
その後3度のチャレンジを経て2010年に管理職試験に合格。主査を経て、翌年課長に昇格した。

東京支社茶道部の茶事にて。礼に始まり礼に終わる茶道の精神は仕事にも人生にも役に立ちます。
東京支社茶道部の茶事にて。
礼に始まり礼に終わる茶道の精神は仕事にも人生にも役に立ちます。

管理職との二足のわらじ

そんな大林さんは、管理職になってどう思ったのか。
「大変は大変。でも管理職になったからって死ぬわけではないしなって(笑)。男女関係なく課長という仲間がいて、自分ができないことは部長がやってくれる。なんとかなると思ってやってきたし、そうさせてもらってきたのかもしれない。見えないところで、実はいろいろな方がサポートしてくれていたんだなと思います」

いろいろな経験を違う立場で積んでいくことで、自分が少しずつ成長していると感じられたとも話す。
「同じところに居続けることもできたけど、管理職になったら、違う視点で違う部門との付き合いがでてきて、会社全体で物事を考えることができる。責任は重くなるけど、視野広く、視座高く会社を見ることができるのはおもしろいと思うようになりました」

管理職として毎日多忙な日々を送りつつも、おもしろさを感じていた2016年、離れて暮らしていた母親が病に倒れた。
手術は成功したが、2週間の入院で歩けなくなり、さらには退院時に重要な出張と重なってしまった。

急遽ケアマネージャーを探し、3~5日程度で預ける先も決めるなど、手あたり次第、何もわからないまま、とりあえず闇の中を必死に歩く感じだった。
「もともと母に何かあったら自分が」と思っていたが、楽しみにしていた2週間のリフレッシュ休暇もほとんど介護に使った。戸惑いの連続だったが、介護も仕事も待ってはくれない。急ぎ体制を整えると、介護と仕事の二足のわらじを必死で続けた。

このとき大林さんは、正直に自分の状況を周囲にさらけ出したことで、皆が助けてくれたと感謝する。
「優先順位を決め、周囲にも『忘れていたらリマインド送って』とお願いし、みんなの協力のおかげでなんとかやっていけました」

介護を始めて間もない頃、母が歩けるうちにと、お洒落をして桜を見に連れて行きました。
介護を始めて間もない頃、母が歩けるうちにと、
お洒落をして桜を見に連れて行きました。

そんな介護まっただなかのタイミングで、今度は部長昇進の話が入る。異動も打診された。現在所属する輸出入管理部門だ。

「流されるまま、ここまで来た」と繰り返す大林さんだが、決して楽な会社人生を送ってきたわけではない。手に余る仕事を指示されたことも、気の乗らない役目を任されたことももちろんあるが、持てる力をすべて注いでその都度真摯に向き合った。

「誰でも与えられた立場や仕事に納得がいかないことがきっとあると思います。でも、くさったりせず真剣に向き合ってみてほしい。特に若い人にはそう伝えたいです。その姿を必ず誰かが見ていてくれますから」

いつも目の前の仕事に真摯に向き合ってきた。それが結果として“よい流れ”を呼び込んだのかもしれない。

「部下」ではなく「メンバー」

輸出入管理室の大きな役割は、全事業部の製品や事業に必要な物品が関連する法令を遵守して正しく輸出入されるように、社内の体制やルールを整備すること。
法令違反が見つかれば会社の信頼や業績に大きく影響する。

会社を陰から守る部署の室長として大きな責任を負っている大林さんは、全体の進捗確認や統括も仕事だが、介護の手が離せない分、どうしても働ける時間には限りがある。
そのため、常に3人の課長との連携を欠かさない。
「メンバーが事情を理解してくれることが本当にありがたかったですね。それがなければ、会社を辞めざるを得なかったと思う」

自らが率いる課長以下十数人の部下のことを、大林さんは意識して“メンバー”と呼ぶ。
「部下という言葉が好きじゃないんですよね。同じミッションにあたる仲間で大切な人たちですから」

心がけていることが二つある。ひとつは、できるかぎりメンバーに任せること。自分で進めた方が早いと思われる局面であっても、最後まで口を出さずに見守っている。
失敗を恐れずにチャレンジすれば、たとえどんな結果であっても必ず自分自身の成長につながる。大林さん自身も、若手のころはそうやって鍛えられたのだ。

「私は上司として、自主性や主体性を育てる責任があると思っています。私自身、入社したばかりのころ、会議に出たら必ず一回は発言するよう指導されました。感想でも質問でもなんでも構わないからって。的外れの発言があったはずですが、当時上司にとがめられたことはありませんでした」

もう一つは、メンバーそれぞれに合わせたコミュニケーションを取ることだ。同じ出来事に対して楽観的な人もいれば悲観的な人もいる。部下とのコミュニケーションの失敗は何度もあると本音をもらしつつも、上長としてフィードバックをする際は、目の前の相手に響く伝え方をするよう心を砕いているという。

部長として自分にしかできないことをやり、課長は課長でないとできないことを、それ以外はメンバーに任せてチャレンジしてもらう環境を整えたいと続ける。

「もし失敗しても大火事を起こさなければいいんです。ちょっとしたボヤであれば部長の私が火消しをしますから。失敗は経験しないと痛さもわからないですし。上司が口出しし過ぎて、それに乗っかった成功は、自分が作り上げた感はないですよね。メンバー自身がどれだけ経験できるかを大事にしています。そのためには、職場を安心できる場所にして、任せて様子を見る。火事になっていないかを見るのが私の仕事です。とはいえ、なかなか出来ていないんですけどね」

【2015年の経営塾にて】多分人生で一番勉強した研修期間の一年間。仲間も増えて良い経験になりました。
2015年の経営塾にて。
多分人生で一番勉強した研修期間の一年間。
仲間も増えて良い経験でした。
【2015年の経営塾にて。最終回は会長、社長初め役員の前で発表しました。
経営塾の最終回は
会長、社長、役員の皆様の前で発表しました。

キャリアとは何か

部長としての軸を持ち、仲間を大事にしてきた大林さんだが、自身のキャリアを改めて振り返ってこう話す。
「流された先に別の椅子があれば座ってみたい。自分にできることがあればチャレンジしたい。そうすることで新しい景色が見られるし、大変だけど一つ成長できる機会になると思ってきました。来たボールは受ける。でも、具体的なキャリアを描いていたかと言われると正直ないんですよね」

「ただ毎日の仕事はちゃんと精一杯やって、その積み重ねで一段一段階段を上がっていくことは大切にしています。現状維持では成長にならないですから。ちょっとずつで良いので、その積み重ねだけは意識してやっていけば、その先に次に行く椅子が用意される。若手には、地道な努力の先に、向こうから来た椅子は、嫌がらず座ってみてほしいです。自分で限界はわからない。限界を決めずにやってみたらなんとかなるもんです。いろいろなことにチャレンジして欲しい」

自分の強みを「鈍感力」だという。見えているし聞こえているがうまく流す力だと。
「子どものころから、親から物事を良い方に考えるよう、悪いことがあっても次に良いことがあるよと、『ぶすっとしていないで笑顔でいなさい』『人の悪口を言わない』と言われて育ってきました」

そんな大林さんは、プライベートでは「お酒を飲んでいるときに、よく初対面の人から身の上話をされる」というエピソードも持つ。知人から相談される機会も多く、聞き上手は、どうやら天性の素質のようだ。

「だから私、女将に向いてると思うんです。でも会社のそばはダメ。たまり場になっちゃうから。神楽坂とかがいいですね」

構想は着々と練られている様子。どうやら次の人生の選択だけは、流れに任せてはいられないようだ。

2023年1月、茶道部の仲間と殿町事業所の開所式で来場者の皆様を茶道でもてなしました。
2023年1月、茶道部の仲間と殿町事業所の開所式で
来場者の皆様を茶道でもてなしました。
子供茶道教室にて。浴衣を着て茶道を学ぶ子供たちの成長を見るのが喜びです。
子供茶道教室にて。
浴衣を着て茶道を学ぶ子供たちの成長を見るのが喜びです。

※登場する社員の所属・役職名は
記事公開当時のものです。