150YEARS SPECIAL DIALOGUE 150周年
特別対談

イノベーションの処方箋 ノーベル賞受賞者対談
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世界で初めてiPS細胞の作製に成功し、多くの難病やケガを治療できる再生医療への道を拓いた京都大学iPS細胞研究所の山中伸弥名誉所長。レーザーイオン化質量分析計を開発し、生体の構造や機能に重要な役割を果たすタンパク質の研究を進める島津製作所の田中耕一。ノーベル賞を受賞した二人の研究者が、どうすればイノベーションを生み出せるかを語り合いました。未来の研究者へエールを送る特別対談です。

山中伸弥

山中伸弥

京都大学iPS細胞研究所名誉所長・教授

1962年生まれ、大阪府出身。神戸大学医学部卒業、大阪市立大学大学院医学研究科修了(博士)。京都大学再生医科学研究所教授などを経て、2010年に京都大学iPS細胞研究所所長、2022年より現職。2012年にノーベル生理学・医学賞受賞。京都大学iPS細胞研究財団の理事長を兼務。

田中耕一

田中耕一

島津製作所エグゼクティブ・リサーチフェロー

1959年生まれ、富山県出身。1983年東北大学工学部電気工学科卒業後 当社入社、中央研究所に配属。ソフトレーザー脱離イオン化法の開発により2002年ノーベル化学賞を受賞。2003年より田中耕一記念質量分析研究所所長として研究開発を推進。

田中耕一

科学の歴史の1ページをつづった発見から

みんなでここまで走って来られた

田中

山中先生がiPS細胞を初めて報告されたのが2006年。早いもので20年近い年月が過ぎました。

山中

発見した日のことが昨日のことのように思い出されますが、周りの状況はあの頃とは大きく変わりました。当時、ずっと小さな研究室で研究をしていて、iPS細胞という技術ができたのですが、iPS細胞の技術を患者さんに届けるなんて、自分たちだけでは到底不可能でした。
そこで国の支援を受けて、多くの研究グループと共同研究をスタートさせ、一緒に走り続けてきました。いま、10件を超えるプロジェクトが臨床試験段階に入り、成果が少しずつ患者さんの元へ届きつつあります。私はマラソンが好きなのですが、市民マラソンで例えるなら、誰もリタイアせずに、チームがここまで来られた。本当にうれしいことです。

田中

山中先生にはいつも感服させられてばかりです。マラソンを完走するのに持久力が必要なように、長期のプロジェクトではリーダーが長期的な目標に向かって粘り強く取り組む姿勢が必要だと思います。チームを率いる山中先生の強い意志が、研究に関わる何百人もの人に伝播(でんぱ)してチーム全体が走り続ける原動力となっているのだと思います。

山中

たしかにマラソンからは多くのことを学んでいます。マラソンでは大会に向けて1年以上練習を積み重ねます。毎年それを繰り返すことで、少しずつタイムが向上したり納得のいくレースができるようになっていく。研究開発は、マラソンのトレーニングよりはるかに長い時間を要しますが、コツコツと努力を積み重ねれば、必ず一歩一歩目標に近づいていきます。レースと一緒で、中盤以降はとても苦しい。でも周りにも楽な人は一人もいません。だからこそ、みんなで励まし合い、一緒にゴールを目指せるのでしょう。田中さんも質量分析研究所でチームを率いていらっしゃいますから、この感覚は、お分かりいただけるんじゃないでしょうか。

山中伸弥

チームで成し遂げる喜び

田中

私はリーダーとして人を率いるタイプじゃないので、ちょっと違う感覚を持っているかもしれません。質量分析研究所という島津社内の研究所の所長に任じられて、20年以上がたちましたが、所長として組織を管理しているというよりも、言ってしまえば、部下と一緒に実験を楽しんでいるんですね。新しい発見をしたときの喜びは、いまも変わりませんし、うまくいかないときは、そこに新たな発見のヒントが隠れているのではないかと部下と考え、議論するんです。研究所には、失敗を恐れない風土が培われて、おかげで自由に研究に取り組むことができました。それがいくつかの大きな発見にもつながったのだと思います。

山中

素晴らしいですね。実験を楽しまれているというのが本当に素晴らしい。私自身、研究者になろうと思ったのは、大学院時代のある実験がきっかけでした。その実験では、指導教官が「きっとこうなるだろう」と予測されていたものとまったく異なる現象が起きたのです。予想外の結果を見て、自分でもビックリするくらい興奮しました。実験結果ではなく、自分の反応になによりも驚きました。こんなに興奮することがあるのかと。それまで臨床医を志していたんですが、その瞬間、研究者が天職だと悟りました。もしあの瞬間がなければ、iPS細胞にも出会わなかったかもしれません。

田中

そんな経験がおありだったのですね。

山中

田中さんがチームを大切にされているということも、よく存じています。一人で取り組むときもワクワク感はありますが、チームで協力して、自分一人ではできないことができたり、新たな発見があったりすると、何よりもうれしいじゃないですか。先日も新聞で田中さんが出ていらした時のコメントを読みましたが、チームでの成功がいかに大きな喜びかということを端的に言い表されていましたね。「IEEEマイルストーン※認定は、ノーベル賞よりうれしい」という言葉には、深く共感しました。

田中

ありがとうございます。たしかあの時はチームの成果が評価されたという意味で「意義深い」という言葉を使わせてもらいました。「うれしい」だと関係各所に申し訳ない気がして(笑)。私が発見した方法でタンパク質の質量分析が可能であることを実証するためには、タンパク質を大きさごとに分け、電気信号に変換し、測定して、さらに解析する必要があります。これらの一つ一つの研究開発は、チーム全体の協力がなければ、決してできませんでした。それぞれの専門知識を活かして、同時進行で研究を進め、最終的に製品化に至ったんです。IEEEマイルストーン認定は、私たち全員の苦労が認められたという証だと感じています。だからこそ、「意義深い」という言葉を選びました。

※IEEE(The Institute of Electrical and Electronics Engineers)Milestone: 「誕生から25年以上を経た重要な技術業績」を称えるもの。2024年5月、田中耕一らが開発した島津製作所のレーザーイオン化質量分析計「LAMS-50K」(1988年2月発売)がIEEE Milestoneの認定を受けた。ソフトレーザー脱離イオン化技術を応用した世界初の製品で、分子生物学や医学などの分野に貢献し、新たな診断や創薬へと繋がったことがその理由。

メンデル、ダーウィンから連なる系譜

山中

田中さんたちが開発されたレーザーイオン化質量分析計によって、分子生物学や医学はその後、大きく発展しました。一つの画期的な研究が、多くの新たな道を拓きました。その意味では、私たちは、いまだにメンデルの遺伝の法則やダーウィンの進化論に基づいて研究しているようなもの。脈々と続いていくものなんです。自分の研究も、サイエンスの長い歴史でみれば、1ページにもならないかもしれません。それでも、次の世代の人によって思ってもみなかったような形で発展しているのを見ていると、研究者として歴史の一端を担えていることを実感して幸せを感じます。

田中

山中先生は、すでに分化した細胞を初期化できるということを発見されて常識を大きく覆したわけで、本で言うなら、一章まるまる使っても足りないかもしれません。でも、おっしゃる通りですね。最初に何かを成し遂げられたのは本当に幸運だと思いますが、その後、多くの研究者が参画して、分子生物学や医学への応用にチャレンジしている姿を見ると、今後が楽しみになると同時に、自分ももっと努力しないといけないなという気持ちにさせられます。

田中耕一

好奇心が発見の源泉

他分野での興味を化学にも応用

山中

田中さんは、大学では電気工学を専攻されていたんでしたね。電気工学から化学へというのは、珍しいキャリアと言われることも多いんじゃないですか?

田中

そうですね。珍しいかもしれません。でも、門外漢だったからこそ、あの発見ができたと私は思っています。

山中

ほう、というと。

田中

私、写真が趣味なんです。小中学校では絵を描くことが好きでしたし、地図を見てそこにどんな果物がなっているのか、どんな町が広がっているのかを想像するのも大好きでした。大学では電気工学を専攻して、高層ビルにあたって跳ね返ってくる電波を抑えるための研究をしていました。その後、社会人になって、レーザーを使ってタンパク質をイオン化させる技術を開発したわけです。「捨てるのがもったいないから」という言葉で注目された実験でしたが、実際のところ、私が学生時代に興味を持って研究していた電気工学で模式図として頭の中で描いていたものを、化学というまったく異なる分野に応用できたから、あそこにたどり着けたのだと思います。つまり、映像、あるいは模式図といった画像に対する興味が、成功へと導いてくれたのではないかと。

山中

それは興味深いですね。

田中

カメラもレーザーも電磁波で、どちらもレンズを使いますね。レーザーを使う装置が必要になったとき、もちろん私はまったく初心者でしたが、興味を持ったんです。なぜならカメラに興味があったから。

山中

共通項があったわけですね。

田中

そうです。カメラがきっかけになっていることはまだあります。昔のカメラはフィルムを使っていましたね。フィルムでカラー写真を撮る時は、シアン、マゼンタ、イエローの三原色を混ぜ合わせることで多種多様な色が再現されます。白色光を当てるとなぜ特定の色だけ反射光が見えるのか、という点に私は興味がありました。これもある意味、化学の話なんです。

このような基礎的な興味があったからこそ、レーザーで対象をイオン化するという今までまったく携わったことがないことに対しても、「好奇心」を持つことができた。そう考えると、一番肝心なのはやはり「好奇心を持つ」ことだと思うんですよね。異なる分野であっても新たな視点から解釈する、置き換えてみるということの面白さを常に感じています。それが、いまだに私が化学に対して興味が途絶えない理由です。とくに若い人たちには、好奇心を大切にしてもらいたいなと思います。

もう一つ言えば、一見関係のないように思える別の分野でも、自分が興味を持っていることが活かせるのではないかという視点を持つこと。それが仕事や研究をし続けていく上で役立つと思います。

山中

たしかに。異分野の知見というのは重要ですね。

山中伸弥

異分野との出会いをつくる

できないと自分で決めつけていなかったか

田中

山中先生もよく異分野との出会いが、イノベーションを生む上で大切だとおっしゃっていますね。

山中

はい。私は大学では医学部に所属し、研究も医学の研究所で行っていましたので12年間、ずっと医学系の道一筋でした。それが、1999年12月、奈良先端科学技術大学院大学(奈良先端大)に助教授(現在の准教授)として雇っていただき、初めて研究室を持つことになったのです。面白い大学で、同じ建物のなかに、理学、農学、工学など、さまざまな分野の研究者が集まっているんです。これが私にとって大きな出会いを生むことになりました。

当時、私は体の細胞からどんな細胞にでも変化できる万能細胞を作ろうという研究を始めたばかりでした。意気揚々と始めたものの、これは難しいだろうと思っていたのが正直なところです。ある時、奈良先端大で私の研究を紹介する機会があったんです。そのときも「皮膚の細胞を万能細胞にしたいと思っていますが、非常に難しいということは覚悟しています」と話しました。その後、植物を専門にされている教授が私のところに来られたんです。そして、「植物は全身万能細胞のようなものだ」と教えてくださったんです。

たとえば、桜の木は挿し木で増やすことができますね。それは切った部分から万能細胞が生まれてくるからです。そのとき私は、はっとして、自分で勝手に難しいと決めつけていたのではないか、と気づかされました。「植物にできるのだから、動物でもできるのではないか」と思ったんです。
その5年ほど後にiPS細胞の開発に成功しましたが、奈良先端大に行かなければ、植物の先生との出会いもなかったでしょうし、早々に諦めていたかもしれません。

田中耕一

異なる分野を組み合わせること

田中

(ニュートリノの研究でノーベル物理学賞を受賞した)小柴昌俊先生は、モーツァルトを愛されていましたし、(イベルメクチンでノーベル生理学・医学賞を受賞した)大村智先生も美術愛好家として知られています。歴史上多くの科学者たちが芸術にも深い関心を抱いていましたよね。その興味が科学的な発明につながったのかもしれない。そう考えるとワクワクします。

山中

いいですね。まったく異なる分野の人々との交流が、新たな発見やチャンスをもたらすことがある。それは間違いありません。いま対談させていただいているこのフロアも、ずっと奥の方まで見渡せて、多様な人材が交流できるようなコンセプトで作られていますね。私たちの京都大学iPS細胞研究所もできるだけ壁をなくして、お互いに交流できるように設計してもらいました。海外ではさらに学部間の垣根を超えて、さまざまな文化背景をもつ人々が交流しやすい仕組みを作っています、そんな建物のデザインを専門的に考えるプロも大勢いるんです。日本ではなかなかそういう取り組みが進みませんが、先日、開所した(がん免疫療法でノーベル生理学・医学賞を受賞した)本庶佑先生がセンター長を務める新しい研究所(京都大学大学院医学研究科附属 がん免疫総合研究センター)の建物は目から鱗でしたね。国立大学の研究所の建物は四角いものという固定観念があったのですが、その建物は安藤忠雄先生のデザインで、丸い建物なんですよ。この建物なら研究者たちが固定観念にとらわれず、新しい発想を生み出していけるんじゃないかと思いました。

田中

それで思い出しました。経済学者のシュンペーター(1883-1950)が、面白いことを言っています。イノベーションというと、まったく新しい技術革新が必要なのではないかと私たちは考えがちですが、シュンペーターは「新たな結合によってイノベーションが生まれる」と言っているんですね。これを知ったとき、自分にもイノベーションを起こせる可能性があると大いに勇気づけられたのを覚えています。新しいものを生み出すのに、必ずしもまったく新しいものを発明する必要はない。分野を超えて新たな発想や展開を生み出すことは、誰にでもできるかもしれません。大切なのは、その可能性にまず気づくことでしょう。

山中伸弥

型から外れることを恐れない

山中

私は、イノベーションを「型破り」と解釈しています。自ら固定観念を作り出して、その中でばかり考えていると、新しいアイデアは生まれません。大切なのは、いかにその枠組みを超えていくかということなんです。坂東玉三郎さんの講演でとても興味深いお話を聞きました。玉三郎さんは、従来の歌舞伎にはない革新的な表現を次々と編み出していますが、「型をしっかり学ぶことが大切。その上で型破りなことに挑戦する」とおっしゃっていました。「型を学ばずに何かやっても、それは型破りじゃなくて型なし」という言葉が印象的で、深く共感しました。どんな分野でも基礎をしっかり学ぶことが重要で、その上で、既存の知識を鵜呑みにせず、自ら考え、行動することが真のイノベーションにつながるのではないでしょうか。日本の教育など、なかなか「型から外れる」ことを受け入れられずにきましたが、最近の若い人のなかには、従来の枠にとらわれない型破りな人が増えてきています。こうした人を見ていると、今後30年、再び日本が飛躍する可能性があると期待しています。

田中

自信を持ってほしいですね。この30年、日本はうまくいっていないと感じ、将来はない、頑張っても仕方ないという空気が蔓延して、失敗を恐れる人が増えてきたように感じています。そうした意識を変えるためにも、私たちは挑戦し続けなければならないと思います。