History

島津製作所の歴史

1894(明治27)年~1916(大正5)年

事業拡大の礎を構築

初代に劣らない科学の申し子である二代源蔵が新しい所主となり、島津は新たな分野への挑戦を開始しました。特に情熱を燃やしたのが蓄電池と医療用X線装置で、国産第1号となる製品の開発・事業化を実現させ、日本における産業と医療の発展を促しました。

二代 島津源蔵

CHRONOLOGY

年表

1896年
X線写真の撮影に成功
1897年
  • 初めて蓄電池の製造に成功、島津源蔵の頭文字をとり、のちに(1908年)GS蓄電池として販売開始
  • 教育用X線装置の製造を開始
1909年
日本初の医療用X線装置完成
1916年
光学測定器(カセトメータ)の製造を開始

EPISODE

エピソード

〔初期のX線写真〕真明治29年のX線写真で村岡博士の眼
					鏡、財布、糟谷助手の手および戦傷した橋本中佐の足を撮影したもの

X線利用の始まり

ドイツの物理学者ヴィルヘルム・コンラート・レントゲン博士がX線を発見した翌年の1896年、第三高等学校(京都大学の前身)村岡範為馳教授は、X線写真撮影に成功します。島津は、この実験場所と電源となるウイムシャースト式感応起電機を提供し、二代源蔵と弟の源吉が実験を手伝うなど全面的に協力しました。今日に続く島津のX線利用の道はここから始まります。

携帯用GS蓄電池

国産蓄電池の実現に向けて

二代源蔵が挑戦心を掻きたたせた事業が蓄電池の研究で、島津は1904年には国産初のクロライド式150アンペア時の据置用蓄電池を製作。その後、蓄電池事業は1917年に日本電池株式会社として分離・独立され、現在の株式会社ジーエス・ユアサ コーポレーションへと受け継がれています。

〔初期の医療用X線装置〕日赤大津病院に納入した我国最初の大型医療用装置

医療用X線装置のパイオニア

島津が国産最初の医療用X線装置を完成させたのが1909年。その2年後には、交流電源を用いた大型医療用X線装置を製造し、大津日赤病院へ納入するなど、日本の医療用X線装置の黎明期をリードしました。