学芸員モノ語り
電話の発明者、ベル来たる(2)
ベル氏は、京都滞在中に、京都市立盲唖院も訪れています。
この学校は、明治11年(1878)に開設された日本最初の近代的盲唖学校で、現在の京都府立盲学校・聾学校の前身です。ベル氏は母と妻がろう者であったことから、その生涯を通じて聾者教育に尽力し、滞日中にも東京、京都、長崎で講演を行っています。
資料館の展示には、盲唖院に関係する製品があります。
これは、表面に1cm毎の段差と5mm毎の溝がついており、指で触れることによって長さが測れる竹製ものさしで、昭和10年に登録実用新案を取得しています。同じものが京都府立盲学校にも現存しており、実際に教育の場で使われていました。
実は、盲唖院とのつながりは創業当時に遡ります。開校時の学生である山川為次郎氏らは、明治14年の卒業後、島津製作所に入社し、勤務態度の良さで賞を受けるほどの模範社員でした。
また、明治24年(1891)には、京都府から注文を受け「点字器械」を製作しています。残念ながらその現物は残っていませんが、京都府立盲学校の岸博実先生によると、おそらく点字器だということです。これまでの研究では、明治23年11月に日本訓盲点字が翻案・選定されたのち、明治25年以降に東京の滝録松が作った点字器が最初とされていましたが、それより1年も早く、当社が製作していたことになります。
今回、調査に伺った際、私は初めて点字器を使って点字を書く経験をしましたが、点字器には、点字(6つの点)を打つマスが32個×2行あります。器械製作は、その多くの点を金槌で打つ全くの手作業であるうえ、何よりも盲人が使いやすい配慮が必要でした。創業者の島津源蔵は、長年積み重ねてきた経験と思索により、この点字器の困難な注文に応えたのでしょう。源蔵のものづくり、人づくりへの思いは深く、長く、ここにも息づいていました。