2020.03.24

マネキンと島津

島津マネキンの生産風景

かつて当社がマネキンを生産していたことはご存知でしょうか?全盛期の1937年には、国内生産の85%以上を「島津マネキン」が占めていました。今日3月24日は「マネキン記念日」ということで、マネキンに関するエピソードをご紹介します。

 

島津マネキン

島津マネキン

きっかけは人体模型の技術

教育用理化学器械の製造から歴史をスタートした当社は、科学分野に事業を広げ、1895年に標本部を新設しました。植物模型や鉱石標本の生産を始め、やがて人体模型を手がけるようになります。従来の人体模型は漆を塗った石膏でできており重さに難がありましたが、当社は紙に樹脂を塗った「島津ファイバー」を採用。軽くて発色が良く、水にも強いということで特許も取得しています。

マネキンの生産

こうした人体模型で培った技術をベースにして1925年にマネキンの生産を開始しました。当時は洋服の需要が急増しており、展示宣伝用にマネキンの輸入が増加していたことが背景にあります。

「島津マネキン」は解剖学的な精巧さ故に市場で評価されるようになり、1932年には本社工場内にマネキン量産工場を開設。2年後には工場を移転して本格的な生産に入りました。最盛期には200人以上の工場従業員が年間約5,000体を生産して全国生産の85%以上を占め、独占的地位を築きました。

その後、戦時色の深まりとともにマネキンの生産と販売は中止され、当社とゆかりがあった各社に事業が引き継がれました。マネキンのメッカとも言える京都、その源流は当社にあります。

 

 

当社の人体模型やマネキンについてはこちら

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