FOODSEYEの開発

食品放射能検査装置“FOODSEYE”の開発

食品放射能検査装置
“FOODSEYE”の開発


東日本大震災を機に発生した見えない放射能への不安は、福島県の農業に対して、直接・間接的な影響を与えました。
当社はこれに対して、持ちうる全ての技術力を投入し、食品放射能検査装置“FOODSEYE”を開発しました。
FOODSEYEの開発プロジェクトに携わった担当者が、装置の開発までの経緯やこれまでの思いをまとめました。

はじまり

時に2011年3月18日。東日本大震災から1週間たった東北支店の状況を視察するため、本社三条工場を出て、東北自動車道を北へ向かうバスに乗りました。路上には自衛隊車両、パトカー、東京消防庁、物資輸送車などが、地震でゆがんだ高速道路の上を被災地へ向かって急いでいました。折しも、水素爆発を起こした福島第一原発に消防隊や自衛隊が結集し、原子炉や使用済み核燃料貯蔵プールの冷却に決死の取り組みを続けている最中でした。

東北支店に貼り付けられた南東北地域の地図

東北支店に貼り付けられた南東北地域の地図

当社の東北支店の社員たちは、元気にこの困難を乗り切ろうとしており、視察に行った私たちも逆に勇気づけられたものでしたが、支店内に貼り付けた東北地図に描き込まれた、福島原発から100kmの範囲を示す円が深く心に突き刺さりました。気丈に振る舞ってはいても、放射能の不安は常に生活を覆ってやまない、まさに「今、そこにある危機」でした。
この後、福島第一原発が最悪の事態を免れたのは周知のとおりですが、東北地方、特に福島県の人々の放射能との本当の闘いは、まだ始まったばかりでした。そしてまた、福島県でのこの闘いの渦中に自分自身も踏み込んでいくとは、全く予想だにしていないことでした。

暗中模索の装置開発スタート

福島第一原発から吹き上げられた放射性セシウムは福島県の東半分を中心に広がり、土壌を汚染し、福島産の米をはじめとしたあらゆる食物に対する不安が全国に広がりました。消費者は福島産の食物を避けるようになり、一方、生産者側の福島の農家の方々は、この状況になすすべなく、疲弊していくばかりのようでした。このような中、政府では食品の放射線検査の必要性が議論され、分析機器開発・販売を生業とする当社に対しても、装置の開発に期待する声が、各方面から日を追って増していきました。

こうした声を背に、食品放射能検査装置の開発は2011年10月に始まりました。当時、この緊急プロジェクトの責任者であった当社常務の鈴木は「年内に試作機を完成させ、2月には現地で実証試験を行う」と宣言しました。米30kg袋のまま測定できること、高いバックグラウンド(測定対象以外からの環境中の放射線)でも高精度に短時間で簡単に測定できること、法で定められた性能を満たすこと、これらが3ヵ月の開発期間に課せられた条件です。もちろん、事業として成り立つコストも達成しなければなりません。
当社は放射性の診断薬を患者に投与してその薬から発生する放射線を検出してがんを発見するPET(陽電子放射断層撮影装置)のメーカーであり、放射線の検出については高い技術を持っています。技術陣は8月には技術的な検討を始め、PETの放射線測定技術を米の放射線検査に利用することを考えていました。

島津製作所製PET装置 「Eminence」

島津製作所製PET装置 「Eminence」

しかし、課題は山積みでした。PETの6万分の1以下の放射線を検出することになる基準値(1kgあたり100Bq以下の放射性セシウム)を正確に測れるのか。計算上は計測が可能だが、実際に装置として製造できるか。対象はこれまで扱ったことのない米。設置場所の放射線量とその影響も分からない。遮蔽部の鉛の適切な厚さはどのくらいか。全量検査できる処理能力が可能か。それらがクリアできたとしても生産のための大量の部材を短期間に入手できるのか…。まさに暗中模索のプロジェクト開始でした。

予定通りの開発、製品出荷、そして全量全袋検査の開始

このプロジェクトはPET開発・販売を担当する医用機器事業部と基盤技術研究所を中心に開発関連部門が一堂に会し、短期集中して進められました。それぞれが持つ日常業務の専念度をさげ、このプロジェクトを優先させた者も大勢いました。プロジェクトメンバー以外にも、社内から「何かできることはないか」との声が多く寄せられました。それほどに注目され、しかも多くの社員が見守ったプロジェクトは予定通りに進められ、当初の宣言通り、2011年12月末には第1号試作機が完成し、“食品を見守る眼”という意味の「FOODSEYE(フーズアイ)」と命名されたのでした。

明けて2012年2月には福島県二本松市内の米倉庫に設置して実証実験を開始しました。4月までの約2ヵ月間、装置の精度試験のために上げ下ろした30kg米袋の数は、延べ16,000袋。開発技術者が現地で実際にこの米袋を流して検査を続け、データを取り続けました。この結果、食品衛生法が規定する一般食品の基準値、100Bq/kg以下を5秒で判定できる高精度な装置が完成しました。
福島県での全袋検査体制も整い、8月25日には佐藤県知事も出席しての「24年産米全量全袋検査開始式」がFOODSEYEをバックに開催され、この日、2012年の初出荷米「五百川」14袋の検査風景は、全国ニュースでも報道されました。その後、9月までには約60台のFOODSEYEが県内各地に設置され、米の全量全袋検査は県知事の宣言通り、実施されました。2013年3月末時点で、福島県全体での検査数は約1,030万袋(他社装置による検査も含む)に及んでいます。

食品放射能検査装置「FOODSEYE」

食品放射能検査装置「FOODSEYE」

FOODSEYEは福島の農業を救ったのか

みちのく安達農業協同組合 高宮常務理事

みちのく安達農業協同組合
高宮常務理事

この装置の実証実験のために、福島県二本松市の米倉庫をみちのく安達農業協同組合(以下、JAみちのく安達)様からお借りしました。FOODSEYEの開発においては、このJAみちのく安達の皆様の多大なるご協力がなくてはありえませんでした。その中でも、高宮文作常務理事(当時)には、実地調査、米農家の実態、福島県や各市町村、その他のJAでの取り組みなどについて、門外漢の当社開発部隊に多くのことを教えていただきました。
この装置開発プロジェクトは、確かに福島県の農業に貢献できたと感じます。実際に開発・販売・設置・アフターフォローに携わった者も、少なからず何らかの達成感を実感しているでしょう。それが開発と販売に関わったメンバーの正直な気持ちだと思います。また、今回のプロジェクトを通じ、JAみちのく安達様と当社の交流もできました。こういった交流は、このFOODSEYEの開発によって、当社の社是である「科学技術で社会に貢献する」ということの一つの明確な結果として受け止めているからではないかと思います。
しかし、この福島の農業を本当に救ったのは、FOODSEYEをはじめとするこういった検査機器なのでしょうか。
高宮常務理事は「最初は全量検査なんて物理的に無理だと思いました。それに、なぜ(被害者である)我々が検査をしなければならないのか、納得がいかなかった」、そう思われながらもFOODSEYEの開発にご協力いただきました。結果として、JAみちのく安達様では、13台が稼働、平成24年産米の検査も出荷もつつがなく完了したとのことでした。

福島のコメ

福島のコメ

「古来より日本人の主食であるお米は田おこしに始まり、八十八回の手入れをして人の口に入るものと言われてきました。「米」の文字は「八」「十」「八」で、と言われる由縁です。さて、今年の福島(特に作付け制限区域)のお米はさらに十以上の手間がかけられております。したがって、「九」「十」「八」が福島の米ではないでしょうか」。高宮常務理事は、セシウムとの闘いをこのように表現されています。「十以上の手間」とは、具体的には、事前の土壌調査や線量調査に加え、セシウムが米に取り込まれるのを少しでも低減するためのあらゆる措置のことです。
FOODSEYEが成したのは、「九十八」の作業のうちの一つとして、これらの努力が間違っていなかったことを証明する、ということでした。これが非常に重要であることは間違いありませんが、やはり福島の米を救ったのは、本来必要のない作業をやってでも、先祖から受け継がれたこの土地を大切にし、誇りを持って米を生産し続けようと努力された、農家の方々の思いだったのではないでしょうか。

今年も9月頃になれば、福島県の各地では黄金色の田園風景を見ることができると思います。しかし、福島の農家の方々の闘いはまだ続きます。人々が心の底から安堵してこの風景を見届けることができるのは、きっと、(機器メーカーの人間としてこの発言はいささか不届きなのかもしれませんが)FOODSEYEがその使命を終え、廃棄されるときではないでしょうか。

当社三条工場の食堂にて、「みちのくフェア」と題したイベントを2012年10月と11月に開催しました。
JAみちのく安達様よりお米を購入し、そのお米を使った東北地方の郷土料理(ソースカツ丼、きりたんぽ鍋など)を提供しました。
また、2012年12月にはJAみちのく安達様のお米や野菜の即売会とあわせ、もち米を使ったつきたてのお餅も振舞われ、多くの従業員が列をつくりました。

〔筆者〕

高橋 宗尊

医用機器事業部
グローバルマーケティング部
MEシステムグループ
グループ長
高橋 宗尊

※所属・役職等は、取材当時(2013年4月)のものです。

ページトップに戻る