島津のダイバーシティ

社員インタビュー

デザインは世界を変えられる
井原 薫×姜 慧梨
総合デザインセンター デザインユニット
プロダクトデザイングループ
戦うデザイナー

「総合デザインセンターに意気盛んなデザイナーがいる。それも2人」
会議室に穏やかそうに見える女性2人が現れた。意気盛んというイメージはまったくない。
取材冒頭いきなり「ほんと?」とぶつけてみると、あっさりうなづいた。「まあ、けっこうやりますね…。」
「喧嘩していない技術の方は、いないんじゃないかな…」
2人はいったい何と戦っているのか。

グループ長である井原薫さんは、1992年の入社。高校から美術系の学校に通い、その後プロダクトデザインを学んだが、バブル崩壊直後で就職戦線は冷え込んでいた。 わずかな求人票の中から島津に応募することにしたのは、島津装置のユーザーだった父親から、「いい会社だ」と勧められたからだという。なかばあきらめモードで試験を受けたが、思いがけず採用された。

配属先のメンバーは井原さんを含めてわずか4人。グループにとって初の女性デザイナーだった。デザインスキルは身につけていたが、入社当初は会社で具体的に何をどうしたらいいのかもわからないうえに、上司から熱血指導を受けることも少なくなく、そのころのことはあまり記憶がないという。

それでも初めてデザインに加わった製品が完成したときには、嬉しさがこみ上げてきた。
「わからないなりに、やっていくとだんだん形になっていく。それがモチベーションになるんです」
と振り返る。次第に製品全体のデザインを任されるようになり、技術部や開発者たちと打ち合わせる機会も増えていった。

ものづくりに男も女もない

ここで一つ目の「敵」が現れた。

ある日、図面を抱えて打ち合わせ場所に出向くと、先にテーブルについていた一人が、振り向きざまにこう言った。
<お、ねえちゃん、図面読めるの?>

「『読めますけど』って涼しい顔で言ってやりました」と、腕をまくる。
当時、社内には製造にも開発にも女性はほとんどおらず、文字通りの男社会だった。

「何年かして聞かされたのですが、私が採用されたのも『これからは女性ユーザーが増える。だから、女性目線のデザインが必要』という理由だったそうです。女性だからって女性向きのデザインが得意というわけでもないんですけどね」
偏見はいたるところにあったが、井原さんは仕事で周囲を納得させていった。

図面を見てデザイン検討中(1999年)図面を見てデザイン検討中(1999年)
EDX-700メンバーとの集合写真(1999年)EDX-700メンバーとの集合写真(1999年)
だれのための製品か

「しかし、二つ目の敵が現れはじめた。
「図面を引いていっても、その通りになってこないんです」

「技術の島津」は、創業以来のアイデンティティだ。しかし、「技術だけでは売れない」ことは今ではすぐに納得できるが、当時はデザインの役割や重要性は理解されていなかった。

「そもそも『いいものって何なん?』ということです。良いデザインを目指すことはもちろんですが、でもそれだけでなく、さらに使いやすさも重要なんです。だから私は常にユーザーを頭に浮かべて考えていますし、やりがいもそこにあるんです。社内で議論するなかで、『これだとユーザーさんが使いにくいよね』というのは、しょっちゅう。製品化ギリギリまでとことんやりあってました」

デザインの重要性をもっと認めてもらいたいというのは、メンバー共通の思いだった。
デザイン室は、機種ごとにバラバラだったデザインに統一性を持たせようとガイドラインを作った。パッとみて島津とわかるデザインは、それだけでブランドや信頼感のアピールになるのだ。

それまで、島津がデザインの意味、価値を測りかねていたということを表すかのように、数年おきに所属する部門が変わり、漂流していたデザイングループは、2001年にデザイン室という専門部隊に位置づけされた。

だが、このときデザイン室の戦いは、まだ始まったばかりだった。

デザインガイドラインを成果発表会でプレゼン(2004年)デザインガイドラインを成果発表会でプレゼン(2004年)
機械工業デザイン賞の授賞式(2006年)機械工業デザイン賞の授賞式(2006年)
自由な雰囲気に引かれて

2011年、姜慧梨(かん・へり)さんが入社すると、戦いは第2ラウンドへ突入した。
韓国出身の姜さんは母国の大学で生活環境(栄養・空間・衣装など)に関わる幅広い分野を学んでいたが、1年で「これは誰かもっと適役がいる」と悟ると、建築がやりたいと一念発起。2006年、日本への留学を決意した。

だが、来日した翌日に早くも挫折する。理工系志望の日本留学試験(EJU)の模試で惨敗したのだ。
「理系出身でしたが、大学に入ってからは1年間数学には触れてなかったので、手に負えなくて」
普通なら意気消沈するところだが、姜さんは人並みはずれたたくましさを持っていた。

翌日すぐに、美術系の予備校に申し込んだのだ。

これまでデザインを勉強したこともなければ、絵を習ったこともない。だが、次の日から午前は日本語学校、午後は美大系予備校で猛勉強を重ねた結果、浪人が当たり前の難関私立美術大学に、なんと1年足らずで合格したのだ。

大学では、スキルはもちろん、デザインの重要性を徹底的に教え込まれた。
『デザインがすべてをリードする』
『デザインは世界を変えられる』
姜さんの目に未来はキラキラと輝いて映った。

だが、就職活動ではリーマンショックの余波が大きく影響していた。そんななか島津を受けたのは、大学講師から島津のデザイン室がおもしろいという話を聞いていたからだ。また、応募の時に、唯一募集内容に国籍を問わないという内容があったことが、応募をするきっかけになった。

デザイン部門の採用応募は60名以上。採用されるのは、たったの1名。姜さんはそこにかけた。

試験は1週間と長期。試験会場には60人の中で選抜された個性あふれる20人のライバルがいた。会場に入ってすぐ「これは受かるわけないな」と思ったという。

「試験テーマは『不安を安心に変えるプロダクトのデザイン』といった抽象的で難しいものでした。自分以外をユーザーにしようと思って、『妊婦さんの不安を安心に変えるプロダクト』というテーマを決めました。でも周りには妊婦さんがいなくて、生の声を聞くことはできませんでした」

そんななか、案内されたデザイン室の光景に目を奪われた。
「一人の妊婦さんが、発泡スチロールを削って模型を作ってるんですよ。性別も上下関係も感じさせない自由な雰囲気が印象的でした」
その女性こそ、第3子の出産を間近に控えた井原さんだった。

姜さんは、井原さんに直にインタビューをしながら、課題をより具体化していった。きちんとストーリーを構築する能力と、市場に認められる説得力のあるデザイン力だけでなく、最終的に形にする造形力も試される。井原さんは、試験時の姜さんの印象が強く残っているという。

「ストーリーを作るというところで挫折してしまう学生も多いんですが、姜さんはすごくて。私のところにヒアリングに来て、どんな不安があって、どうされたらうれしいかと熱心に聞いてくれるんです。で、ふとした拍子に『体重が増えちゃってね。お医者さんに叱られてるのよ』ともらしたら、『気にしすぎですよ!』とピシャッと。試験の場であれだけ言える子は、まずいません」

コミュニケーションの壁に穴を空ける

姜さんは、デザインへの情熱と持ち味の頑張りを発揮し、急速に実力をつけた。
井原さんは姜さんがメンバーに加わるのに際して、日本語特有の察する文化からくる『伝わりにくい表現は使わない』と心がけていた。
だが、もちろん他部署にそのルールは適用されていない。
姜さんが入社間もない頃、井原さんは社内の会議後に『あれは、こうしてほしいっていうことだよ』と都度解説していたが、そのうち、姜さんは相手に直接確かめるようになった。
「『ええように』ってどういうことですか。やれってことですか。やらなくていいってことですか」

姜さんが声のトーンを上げると、一瞬、相手は驚くが、ああそうかと理解すると、次からははっきりと意向を示すようになってくれた。
コミュニケーションの壁に穴が空いた。持ち前の造形力を発揮して、これはと思えるような製品を世に送り出すことも増えてきた。

入社当時LCMS-9030デザイン検討の様子入社当時LCMS-9030デザイン検討の様子
デザインの価値への理解を広げる挑戦

だが、またもや行く手に大きな敵が立ちふさがった。デザイン室年来の宿敵―デザインの価値だ。

「良いデザインは、どこでも認められると大学で教えられてきました。だから会社でも提案したものは全部受け入れてもらえると思っていたんです。でも、そうじゃなかった」と姜さんは振り返る。

どれだけ良くても、理解されなければ結実しない。感覚的な部分が大きいデザインは、言葉で説明するのが難しい。そうじゃない、そこじゃない。なぜだかわからなくて、悔しくて落ち込み、井原さんにも何度も相談した。 姜さんがたどりついたのは、デザイナーだけでなく、技術者のモチベーションも高める方法だ。

「いいものを一緒に作っているとわかってもらえれば、お互いのモチベーションも上がる。納得してもらうには、外からの評価で訴えるのが近道じゃないかと思ったんです」

「入社時、ちょうど部署では国際的に知名度が高い海外の賞を取り始めた時期でした。その前例を参考にしながら応募してみたのですが、私が初めて応募した製品はありがたいことに銀賞をもらうことはできましたが、金賞まで及ばず、悔しい想いをしました」

だが、それは挫折ではないと断言する。転んでもただでは起きないのが姜さん。その悔しさをバネに、今度は受賞した海外メーカーのデザイナーやアワード関係者にノウハウを訪ねてまわった。彼らにあって自分たちにないものを徹底的に分析。
受賞者のプレゼンテーションを参考に会場を魅了するシナリオを作成。プロモーションビデオも作成するなど、プレゼンテーションをデザインしたのだ。

発光分光分析装置PDA-5000がiFデザイン賞に選定(2015年) 発光分光分析装置PDA-5000がiFデザイン賞に選定(2015年)

「B2B製品でも魅力を分かりやすく伝えれば、評価されることが本当に嬉しかったです」(姜さん)

その後もメンバーは手を休めることなく改良を重ね、アウトプットは当初のものとは比べ物にならないほど進化。
2018年にはフーリエ変換赤外分光光度計IRSpiritでiFデザイン賞と双璧をなすレッド・ドット・デザイン賞を受賞。
2019年は、四重極飛行時間型質量分析計LCMS-9030でiFデザイン賞を、超高速液体クロマトグラフNexeraシリーズレッド・ドット・デザイン賞とダブル受賞となった。

Reddot授賞式のレッドカーペットで(姜さん:IRSpiritで受賞、井原さん:AIM-9000で受賞) Reddot授賞式のレッドカーペットで
(姜さん:IRSpiritで受賞、井原さん:AIM-9000で受賞)

「苦節8年、ようやくここまでこれました」と、井原さんは表情を緩ませる。
国際賞受賞のニュースを受けて、社内でもデザインへの理解が広がり始めているようだ。
「前回開発するときに喧々諤々やっていた技術の人と、今は仲間として意見を交わすことができるようになりました。お互い信頼できていることを感じるうれしい瞬間です。デザインの意味と力をみんなが理解し始めてくれることにやりがいを感じます」(姜さん)

姜さんの趣味の一環としてデザインを手がけた美容室の家具

最初のスケッチ最初のスケッチ
完成品完成品

デザインは世界を変えられる。
デザインセンターでは、今日もさまざまな部署のスタッフとやりあう声が響いている。

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