島津のダイバーシティ

社員インタビュー

ものづくりこそ
多様性が大切
上治 航也
分析計測事業部 分析計測工場 生産課 生産職場
大下 守康
モノ作りセンター 加工グループ 生産グループ第一職場
技能検定の最難関を突破

分析計測機器製造部門の上治航也さんと、モノ作りセンター加工グループの大下守康さん。二人は今年、働く人々の有する技能を評価する「技能検定」という国家検定制度で、ともに最高位の特級に合格した。

技能検定は、130の職種について実技と学科をもとに技能のレベルを評価する。上治さんの専門は電子機器組立て、一方、大下さんは機械加工。すでに2人とも1級を取得していたが、特級は未取得だった。実は、1級と特級では求められる力の種類が異なる。1級までは技能者が有する技能の程度を評価するのに対し、特級は「管理者または監督者が通常有すべき技能の程度」を持っているかどうかが評価される。つまりチームを率いるリーダーとしての素養があると認められたわけである。

技能検定特級授賞式にて
特級は、1級取得から5年以上の実績が必要であり、難易度の高さもあって、島津では過去に機械検査職種で2人しか合格者が出ていなかった。それが一気に2人出たとあって、島津のものづくりを支える工場は活気付いた。そんな2人にものづくりの経歴を振り返ってもらった。
ものづくりの面白さに目覚めて

上治さんは、バブルが崩壊直後の1992年の入社。
「高校の普通科に通っていたのですが。高校の日本史の先生が『君らが大学卒業する頃は、就職は相当厳しくなるぞ』と言うのを聞き、ここで就職するのもありかと考えて」就職先を探していたところ、島津に勤務していた後輩の父親から話を聞き、入社試験を受けた。

高卒で技能職として採用された新入社員は、まずは会社の工科学校で8ヶ月間技能教育を受ける。
「最初はやすりがけからでした。普通科だったこともあり、ものづくりが特に好きだったわけでもなく、電気や機械加工の座学もさっぱりでした。高校生気分が続き、真剣に勉強をする雰囲気でもなくて、不真面目な学生でしたね」と若い頃の自分を反省する。

技能研修時代(後列右から2人目)

だが、配属された技術研究部門で、ものづくりの楽しさに目覚めた。
「開発者を補助する役どころで、最初に頼まれたのが小さなセンサーを作る仕事でした。結晶を薄くエッチングした後、顕微鏡を見ながら、割らないように慎重に扱い、そこに金の細い線をつないでいく。もちろん、工科学校ではこんな作業は教えてもらっていませんから、一から先輩に教えてもらいながら、相当苦労して完成しました。でもその分出来あがったときの喜びは、これまで経験したことのないものでしたね」

そして、上治さんにとって転機になったのは、2006年の生産改革として取組んだDIO活動だった。
「当時全社でDIO(Do It Ourselves)という小集団改善活動に取り組んでいて、職場の先輩たちと、自分自身も生産業務に携わりながら、工程を改善するというリーダー的な役割です。これがやってみたら面白くて、幸い良い結果も出ました。その後、協力会社の業務改善を推進しようということで、課長と先輩、私の3人で出向しました」

2006年、DIOメンバーと(後列中央)

2009年、島津に復職してからは、分析計測機器の生産現場で、生産ラインの管理業務に当たっている。新製品を担当することが多く、本社で生産ラインを立ち上げ、安定してきたら協力工場へ移管する。

「メンバーと確認しながら、どうやったらより効率的にできるかを考え、手順書に落とし込みます。協力工場へ移管してからも、量産が安定するのを見届けるチームの取りまとめ役。新製品がどんどんやってくるので、工夫のしがいがあって、おもしろいんですよ」と笑う。

ベテランに囲まれ技術を叩き込まれる

一方の大下さんは、就職の冷え込んでいた2000年の入社で、やはり高校の普通科の出身。のちに専門となる旋盤やフライス盤は、見るのも触るのも初めてで、立ち上る油のにおいが、いまも印象に残っているという。

「僕は図面を読むのが苦手で、図面を見てもそれがどんな形に仕上がるのか、どうしてもうまく想像できなかったんです。これは大変だと焦りました」と当時を振り返る。

工科学校修了式にて(前列左から2人目)

配属されたモノ作りセンター加工グループのフライス班では、大きな課題が待っていた。バブルがはじけた後、経済が不安定な時期が続いたことで、会社はしばらく新卒の採用を控えてしまい、配属先にいた10人ほどの先輩はいずれも50代。全員が「この機械のことなら俺にまかせろ」という昔ながらの職人気質の持ち主で、頼もしくはあったが、数年後に彼らが定年退職してしまったら、その機械を動かせる人がいなくなってしまう。

「先輩たちは、図面を見ると、すぐ『こうしてああして、こうしたらできるね』とその場で工程を考えて、その通りに部品を削りあげていく。本当にすごいスキルの持ち主ばかりです。僕の前にこの職場に新人が配属されたのは7年前のことで、下手をしたらこの後7年間同じように誰も入社してこないかもしれない。僕が先輩たちの技を全部受け継いでいかないといけないかと思うと、すごいプレッシャーでした」

幸い、翌年もう一人後輩が配属されたが、それでも覚えるべきことは多かった。背中を見ながら、あるいは手取り足取り教えてもらいながら、一台一台、使い方を覚えていった。

配属後間も無く出場した技能五輪全国大会

「大変でしたけど、いろんな装置の使い方をベテランの先輩方について覚えられるのは、ある意味、恵まれていました。おかげですぐ図面も読めるようになりましたし。開発などからこの部品をちょっと削って、といった緊急の依頼を受けることも多いのですが、『この機械では3工程かかりますが、ここをちょっとこういうふうに変えれば、こっちの機械では2工程で済むのでコストダウンになります』といった改善提案もできるようになりました」

「似ているようですが旋盤という装置は、手を使ってミリ単位で装置をコントロールする腕が必要なのに対して、フライス盤は、どうやって削っていくかの段取りを考えて装置にセットすることで仕上げていきます。そういう工程を考えるのが面白いんです」と魅力を語る。

いまは3人の部下を抱え、フライス班全体を動かしている。これからも、どんな依頼が来ても対応できる力、自分で気づく力、人を育てる力を伸ばして行きたい、と目を輝かせる。特級の取得はいわば現在の職務に資格が追いついてきたような形だ。

課題は仕事の属人性

長く現場に携わってきた二人には、島津のものづくりをよりよくするために共通する思いがある。それは仕事の属人性を減らすことだ。

(上治さん)「僕は工程をつくって手順書をアウトプットするという仕事に長く携わってきました。手順書を見れば誰でもできるようにすることが大切で、いわば職人っぽいことを無くすための仕事をしてきたのです。移管してもきちんとものが作られるようにするためには、そこをできるだけ分かりやすいものにしないといけない。仮に今後ロボットやIoTが工場に導入されたとしても、手順書を分かりやすいものにするということは決して怠ることはできませんね」

(大下さん)「職人肌の方は時には1ミクロンレベルの精度にこだわって、知恵と腕を磨き上げ、要求される品質や精度を満たしている。そのこだわりが島津の財産であり、日本の品質を支えてきた。一方で、モノ作り全体から見てその精度は本当に必要なのか、という問いかけも僕は大事だと思っています。製品のコストを下げるためには、工程数を減らすこと、削りくずとなってしまう部分を減らすことを考えていかないといけない。どうすればそれができるかを考えるのが改善で、それには一つの方法にこだわっていてはいけないのです。一つの部品づくりをいろんな角度から見て、職人のこだわりをシンプルでベストな方法に変換する事、それが多くの先輩から学んできた僕に求められる役割だと思っています」

ものづくりの未来をつくるのは
「尊重しあうこと」「つながりを増やすこと」

携わっている仕事も違えば、アプローチも違う。そのために大切なことは何かと聞くと上治さんは「尊重しあうこと」を挙げる。

「開発、工場、協力会社など、この仕事は、いろんな職場の人と一緒に仕事をします。それぞれがすごい技術や考え方を持っているし、その考え方や技術を生かしたいという思いを持っています。そういう思いから、これだけは譲れないではなく、どこまで譲れるかを考える。そうやって開発プロジェクトが全体でうまくいくことを大事にしています」

職場のメンバーと(左から1人目)

大下さんが大切にしたいと思うのも「組織を超えて繋がること」「横のつながり」と表現する。

「実は協力会社でも、これどうやって削るんだろう、と頭を悩ませていることがあるかもしれません。でも、お互いに会話をする機会がなければ、解決方法を知ることができない。モノ作りセンター、工場、開発、協力会社など、いろんなところがお互いに積極的に話をして視野を広げる努力が、今後より重要となるでしょう」

モノ作りセンター加工グループのメンバーと(左から2人目)

ものづくりは、個人の技能を磨くことに加えて、関わる人の多様性を理解し、いろんな考え方をもつ人材と協力することだ。それが、ものづくりの未来を切り拓いていくことに繋がるのだ。

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