島津のダイバーシティ

社員インタビュー

今いる場所で
使命を果たす
松本 輝夫
分析計測事業部 分析計測工場 製造推進課
見つかった異変

「できるだけ長く働きたい。毎日を全力で生き抜きたい。それが、私の使命なんです」
強い意志を湛えた目。分析計測工場製造推進課に所属する松本輝夫さんは、がんと闘いながら働いている。

大学卒業後、いくつかの会社を経て、2007年、島津に入社した。 「前職在職中に別の病気を患っていて、入退院を繰り返していました。営業的な仕事でしたが、お客様と会って行う仕事が辛くなってきて、内勤メインの仕事を探していました。事情を話し面接を受けたところ、採用してもらえたんです」

入社以来十数年、通院治療を続けながら、製品特注品、計画品の進捗管理担当として仕事に勤しんできた。誠実な人柄の松本さんは、他部署と関わることの多い今の職場で、人との関係を築くことが上手く、周囲の信頼も厚かった。

ある日、毎年受けていた人間ドックで異常が見つかった。念のため精密検査を受けると、2箇所でがんが見つかった。すぐにも手術が必要だった。

2018年6月、松本さんは入院し手術に臨んだ。手術支援ロボット「ダヴィンチ」を使った2箇所同時手術。診療科をまたいでダヴィンチで手術するのは、入院先の病院はもちろん、世界でも例がなく、学会でも注目された。
「ちょうどその年の4月から、ダヴィンチ手術の保険適用範囲が大幅に広がったんです。このタイミングでの法改正、そして最高の医療スタッフに恵まれ、本当にありがたかったです。」

「安心して帰って来て」

手術は無事に終わった。しかし、本当の闘病はここからだった。7月から8月にかけて抗がん剤治療のために入院した。
「抗がん剤は、私のような身体の大きい者のほうがこたえるようで、正直、手術よりもきつかったですね」
点滴は半日がかり。チューブを差し込まれた腕はその後も数日間蛇が暴れているように痛んだ。免疫力が落ちるため、感染予防のために外部とのつながりは絶たれ、コップやドアノブのように冷たいものは触れるだけでも激痛が走った。

「痛みに苦しみ、気持ち的に辛かったときに上司が見舞いにきてくれて、『私がいる間はちゃんと面倒をみる。安心して帰って来て』と言ってくださった。島津製作所で本当にありがたかったです。家内と二人でこんないい会社や応援してくださる皆様はいないと涙を流しました。」。

帰る場所がある。働ける場所がある。
その言葉は、松本さんにとって、苦しみを乗り越える力となっていたのだ。

働くことが闘病中の支えとなる

転移や再発を防ぐための抗がん剤治療は、強い副作用を伴う。治療に多くの時間を割かなければならない場合もあり、患者の中には仕事を辞めざるを得ない人も多い。だが、仕事をする能力まで失うわけではないので、職場の事情が許せば、可能な限り働きたい、以前のような生活を営みたいと考える人は少なくない。

松本さんも、退院後すぐに働くことを希望していた。働くことが自身の生きがいだったこともあったが、それに加えて、入院中に強い使命感が芽生えていた。

「同室だった患者仲間は、みな私と同じように仕事を休んで全力でがんと闘っていました。しかし、誰一人として復職がかなわなかった。病状が影響した人もいたかも知れませんが、働きたいという意志があるのに、働く場所を失くしてしまった。働ける場所がある私は、彼らにとっての希望だったんです。治療を続けながらでも働ける。働くことで会社や社会に貢献できる。それをなんとしても示したい。そんな思いが膨らんでいきました」

復職への道

だが、治療と仕事の両立は、簡単ではない。その理由の第一が身体的苦痛だ。抗がん剤による治療は副作用が大きい。退院後も松本さんの抗がん剤治療は続いたが、その度に全身の激しい痛みに苦しんだ。歩くのもままならない時があり、そんなときは「信号を渡るのは死にものぐるい」だという。

メンタル的にも先が見えない不安やつらさが、精神をすり減らせる。加えて、職場復帰するためにクリアせねばならない壁は会社の中にもある。島津では、従業員が安心して働けるようにする安全配慮義務の観点から、病気休職から復職する際には、「○月○日より就業が可能」と書かれた医師の診断書を提出することが定められている。だが、松本さんの場合は、完治しておらず、主治医がいつから就業可能だと断言することができなかったのだ。

「就業許可を得るのは本当に大変でした。病院内、各種相談窓口、行政機関等の皆様や上司の力添えを得て、産業医の先生に相談して、何とか治療と仕事の折り合いの目処を付けて復職することができました」

退院してすぐの8月初旬、松本さんは産業医と体調の確認を行い、時短で働くことができる2か月間のリハビリテーション勤務という形で復職した。産業医から職場への意見書が発行され、治療との両立に欠かせない就業上の配慮事項も確認された。しかしながら、リハビリテーション勤務が終わり定時勤務に移行した際、朝のラッシュアワー通勤という試練がおこった。爪のない足はちょっと踏まれただけでも、激痛でその場で立ち上がれなくなってしまう。ようやく出社しても闘病のストレスで独り言が増え、声も大きくなり、声をかけられると過敏に反応してしまうようなこともあった。

そんなとき、働き方改革の一環として、松本さんの職場にもフレックス勤務制度が導入され、これが結果として松本さんの通勤時の試練を軽減するきっかけとなった。 「朝の6時30分に出社するんです。それならラッシュに巻き込まれませんから。その分、早く上がらせてもらえるので、帰りのバスも空いています。ダヴィンチ手術の保険適用の時もそうでしたが、今回も本当にタイミングがよく、制度にも本当に助けてもらいました」

命を生きること

今年の4月からはスクーターで通勤することも許可され、少なくとも足を踏まれることはなくなった。それでも病を抱えての勤務は決して楽ではない。「出社して帰宅するだけでいっぱいいっぱいで、土日はほぼ寝っぱなし」だという。

だが、休職しようとは思わない。働くことが自分の使命だとはっきりと見えているからだ。
「生死の淵をさまよい、希望や展望という本当に大事なものを失いました。でも、それと引き換えにいままで見えなかった大事なものが見えるようになった。一言でいえば、生命の限り生きることの大切さでしょうか。いままでは『命』の方だけしか考えていなかったんです。それは、ただ生きているだけ。自分のしたいことをしているだけの状態です。それに対して生命、つまり『命を生きる』ということは、与えられたこの命を使って、先人、同胞の労苦を鑑み後世の方のためにできることはないかと考え、実行することだと思うんです」

「毎日、出社できる、仕事ができることが素晴らしいと実感しています。会社に来て、若い方々、先輩方と話すことで元気をもらって、日々学ばせてもらっている。行き止まりがない。本当に感謝でいっぱいなんです。」

第九の怒涛(レプリカ)を毎朝観て、勇気を貰ってます。

すっかり回復できたら、屋根付きのスクーターを買って、全国を旅したいと笑みをこぼす。

「病気を抱えて働く島津の社員のみなさんのためにも、まずは、精一杯働いて先例を作りたい。病になってもまた働ける場所があると示したいのです。それによって、お世話になったこの会社へ少しでも恩返しがしたい。そして私の能力で足りるのならば、私や患者仲間の経験を、多くの方に伝えたい。人間ドックは必ず受けて欲しい、異常があれば、早期に検査していただきたい、また健康について考える習慣づくりのためにもKenCoMを活用して欲しい。 聡明な皆様が、健康・無事故でご活躍できるように、お声掛けしていきたいです。それが私にできる社会への貢献なのです」

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