島津のダイバーシティ

社員インタビュー

喜ぶ顔が見たくて
関口 友香
東京支社総務課
生来の負けず嫌い

会う人だれをも笑顔にしてしまう。関口さんは、東京支社を笑顔の花で敷き詰めようとしている。
関口さんの名前は知らなくても、旧姓の森友香さんであれば、知っている人も多いかもしれない。会社代表女子テニス部「島津ブレイカーズ」で活躍した選手だ。

会社代表テニスチーム SHIMADZU Breakers
初めて日本リーグの試合

関口さんがテニスと出会ったのは5歳のとき。母親が通っていたテニスクラブのジュニアレッスンクラスに、二人の兄に続いて入会した。
「我が家では、親の方針で兄のことをお兄ちゃんと呼ばず、名前で呼んでいたんです。そのせいもあって、兄たちとはどこか対等という意識があったにもかかわらず、テニスでは、ずっと負け続け。もう悔しくて、悔しくて」と、顔をくしゃくしゃにさせながら笑う。

だが、倒すべき明確な目標がいつもすぐそばにあったことで、少女はメキメキと力をつけていく。

練習の虫で、コートに何時間立っていても苦にならない。というより、負けたまま終わりたくないので、コートを出たくなかったというほうが正しいかもしれない。来る日も来る日も練習に明け暮れ、どうにかして兄に勝つ方法をと考えているうちに、耐えて耐え抜くプレースタイルを身につけた。 「一発で兄を倒せるような強いショットは打てない。それなら、どこまでも粘って相手がじれて疲れるのを待とうと。おかげでずっと打ち続けられる体力がつきました」と目を輝かせて笑う。

小学校5年生のときには、全国大会にも出場。兄たちには相変わらず勝てなかったが、同い年の女の子には負けないという自信をつけていた。その後、インターハイで全国ベスト8に輝き、大学時代でもインカレでベスト8まで進出した。

一番の上の兄に負けて悔しがっている
小学6年生の時に出場した全国大会にて

そして大学を卒業するとき、スポーツに打ち込んだ若者が必ず一度は経験する岐路に立った。このままプレーヤーを続けるか、それとも就職するか。
「どうしてもプレーヤーでいたかったんです。でも、負けず嫌いが影響してか、自分がもしプロを目指すならこのレベルでないと、というプロ像がどんどん大きくなってしまって。グランドスラム(世界四大大会)出場を狙うくらいの力がなければ、自分自身が納得できないと思っていたんです。そんなとき、同じ大会に出場していた島津の先輩から、こういう道もあるよと教えてもらったのが、社員選手という道でした」

仲間がいることの幸せ

プロ選手とは、大会賞金で生計を立てる人を指す。肩書きに企業名を入れている場合、スポンサー契約を結んでいることを意味する。一方、社員選手は、一定時間その企業で仕事もしながら、企業チームの選手として活動する。団体戦だけでなく、個人でも大会に出場。そこではプロの選手とも同じ土俵で戦う。
グランドスラムの本戦出場者は世界でたった128人。自分が納得できるテニス選手としてのキャリアとは何なのか、理想と現実を考え続けた関口さんなりの譲れない美学があったのだ。

本社総務時代のメンバーと

かくして、関口さんは島津の一員となった。週に2.5日、総務課で仕事をこなし、それ以外の時間はテニスの練習。休息日と決めた土曜日以外は、毎日8時間練習した。
「仕事をしつつも練習時間は学生時代より増えましたね。企業に就職したことを言い訳にしたくなかったんです」
プロの道を貫くのとは異なるが、アスリートとしての厳しい覚悟があったのだ。
「社員でありながら、プロに近い活動をさせてもらえている。しかも、試合となると長期で職場を離れなければならないのに、同僚や上司のみなさんから頑張ってねと声をかけていただき、応援にもかけつけてくださる。私は一人じゃないんだという仲間意識がもらえて、よし、じゃあがんばろうと力もこみあげてくる。こんなありがたいことはありませんでした」と、引退した今も感謝の言葉があふれ出る。

世界の女子プロテニスのWTAランキングで最高650位まで到達したが、2016年に引退。言い訳を作るのが嫌いな性格だった。しかし、ある時、言い訳している自分に気が付いたことで引退を決めたという。もう少し自分が続けようと思うレベルを下げれば長く続けられていたかもしれない。しかし、それは自分が思う選手像とは違っていた。
「せめて、最後は自分が納得できるくらいやり切ろうと決め、引退を決めてからのラスト1年は本当にがむしゃらに頑張りました」
そのおかげで「やりきった」という達成感を抱えて引退。2018年4月から、東京支社総務課の一員として新たなキャリアを歩んでいる。

社員選手として活動していた頃
入社して5年後、日本リーグ初優勝
楽しいほうがいい

仕事は楽しくて仕方ないという。
「すっごいありがとうっていってもらえるじゃないですか。会議の資料をまとめて配っているだけで、『お、ありがとう。ごくろうさん』っていってもらえる。笑顔になれない理由がないですよね」と屈託なく笑う。

その屈託なさは、幼少時代の育てられ方にも秘密があるようだ。幼いころから関口さんは、母親に叱られたことがないのだという。だが、
「母は、看護師という多忙な仕事を続けながらも、家事もいつも完璧な人なんです。なのにある日の夕食で、焼きそばの具がキャベツの芯だけ、という日があったんです」 横の兄たちを見ると具たくさんの焼きそばなのに「なんで?」驚きながらも笑いがこみ上げてきたが、
「実は母は怒ってたんです。でもずっと気がつかなくて。ずいぶんしてやっと母に『もしかして、怒ってた?』と聞いたら、『うん、怒ってたよ』と笑いながら過去形で返してそれで終わり。もし私が聞かなかったら言わないままなんです」

「あれって、怒ってたんや!」と、小学生時代の母のいたずらの理由に、大人になって気づくことがいまだにあるのだと、ニヤリといたずらっ子のような表情を見せる。
あえて刈りそろえようとせず、伸びたい方へのびのびと育てる。そんな家庭の方針が、何事も素直に受け止める心を育んだのかもしれない。

母娘旅行

そんな母の影響は大きく、関口さんは仕事でもプライベートでも、出会った人にどうしたら楽しんでもらえるか、笑顔を見せてもらえるか、いつの間にか考えている自分がいるという。
「目を合わせてくれない人には、なんとかして笑った顔が見たくて、いろいろ作戦を練って『一人挨拶運動』してみたり、部署の訪問者の方に『誰が一番に挨拶できるか競争』を仲間としてみたり。その人も自分も楽しいほうがいいじゃないですか」
東京支社勤務となった今でも、年齢、役職を問わず多くの出張者が関口さんを訪ねて総務に立ち寄り、みな笑顔で帰っていく。

ラリーの極意をマスターすればビジネスは楽しくなる

もっとも、楽しいだけで仕事はできない。仕事相手の言葉の先を読み取ったり、望まれていることに対してプラスアルファの答えを提供できるようでなければ、ビジネスパーソンとして合格点はもらえないだろう。ところが、周りに尋ねてみると、
「なんで僕がしてほしいと思った書類が、もうそろっているのか」、
「ぐちゃぐちゃになっていた会議が議事録のおかげですっきり理解できるようになった」、
という声がたくさん返ってくる。そこには、どうやらテニスプレーヤーとして努力するなかで培ったスキルが生きているようだ。

「私、選手時代、相手選手のことをすごく見てたんです。表情の乱れや目の動きで『あ、いまのショットはきっと想像してなかったな』、とか、『次こっちへ打とうとしてるな』というのを読み取って、次の手を繰り出していくんです」という。
なるほど、長くテニスに打ち込んでいれば、とくに、関口さんのようにラリーで粘って相手のミスを誘うタイプの選手なら、そういうこともあるだろう。だが、
「仕事でも、相手の表情を見てると、なんとなくその人が求めていることがわかるじゃないですか。で、こうやったら喜んでもらえるんじゃないかなとか」と聞くと驚くしかない。

関口さんは、テニスで鍛え上げた観察力を生かして、まるでテニスのラリーを楽しむかのように、仕事を楽しんでいるのだ。ただし、試合とは違って、仕事では相手のいちばん打ちやすいところに球を打ち返していくことを忘れない。その時その瞬間に全力を出し切るアスリートだ。

引退から3年。結婚もし、職場の環境も仕事も大きく変わったが、小さなころから積み重ねてきたアスリートとしての考え方、母譲りの明るさが、輪が大きくなるように、いままさに島津のなかで笑顔を広げつつあるようだ。

プロテニス選手の夫と。初デートから毎年同じ場所で撮影

PAGE TOP

MENU

CLOSE