島津のダイバーシティ

社員インタビュー

世界の果てまで行ってきた
坂本 順二
医用機器事業部 海外営業部
華氏211

「いいか、ジュンジ。この水はいま華氏211度だ。あと1度で沸騰する。だがな、水って奴は沸きそうで沸かない。そこで粘って沸かし切ってはじめて、おいしいお茶が飲めるんだ。仕事も同じだ。始めるのはだれでもできるが、待ちきれなくて諦める奴がごまんといる。最後までやり切ってこそ仕事なんだよ」 医用機器事業部海外営業部の坂本順二さんは、アメリカ駐在時代、仲良くなった代理店の社長にかけられた言葉がいまも忘れられないという。
「刺激的でしたね。エネルギッシュな人で、211度、211度っていいながら、会う人みんなにそのエピソードを記した冊子を配ってるんです。さすがアメリカ、いろんな人がいるなあと思ったものです」

坂本さんは、バブルの崩壊で急激に求人が冷え込んだ1994年の入社。国際本部に配属されたが、英語がしゃべれるわけでもなく、海外経験といえば学生時代に一度ハワイに観光で行った程度。まったく想定外の部署だった。
汗をかきながら、国際電話も積極的に取り、毎日必死で英語と格闘しながら、海外とやりとりする日々が始まった。専門部隊のあった中国を除く、世界全域が職場だった。

※注釈
14年前に米国で出版されベストセラーとなったサム・パーカー氏他“212 The Extra Degree”の有名な一説からの引用。
華氏212度は摂氏100度(沸点)で、華氏211度は沸点に到達するまさに寸前。それまで液体だったものが僅か1度の差で沸点に達した途端に蒸気となり機関車を動かすような途方もないパワーを生み出す。成功と失敗を分けるのはほんの僅かの差で、最後まで信じてやり抜く事がビジネスや人生の上で大切といった内容の啓蒙書です。

困っている人がいるから行く

30歳を挟んで5年間、イスタンブール駐在を経験。中央アジアから、中東、アフリカを担当した。まだ現地法人がなかった駐在員事務所時代、現地の代理店から、会ってほしい顧客がいると聞けば、すぐ飛行機チケットを取り、戦地以外どこへでも商談に出向いた。
「空港に着いたらボロボロの中古車に乗って、土煙を巻き上げながら奥地の小さな病院へ向かう。そんなことの繰り返しでした。日本人が来たのは初めてという地域も多くて、子供達からもの珍しそうに見られたものです」
医用機器を届けるという仕事は、困っている人の現場に入り込むという意味でNGOなどの活動にも通じるところがある。
「人の役に立っているという実感が持てて、僕自身、とてもやりがいを感じていましたね」
もっとも、国によって医療制度も違えば、電気などのインフラ事情も異なる。医師の考え方や、病院の方針も、日本で生活していれば想像もできないくらい振れ幅があるだろう。 実際、カザフスタンの地方都市のある病院から引き合いがあり、病院を訪ねたときは、病院内の照明というのがどれも裸電球だったこともあった。
「『先生、お問い合わせいただいたのはありがたいですが、うちの装置を置いたら、間違いなく停電します。その予算で、まずは発電機をお買いになったらいかがでしょう』と、そのまま引き上げてしまったこともありますね」

ケニアの病院の古い島津の透視装置(まだ現役)

「そんなものなんです。世界には本当にいろんな病院があって、いろんなドクターがいます。それこそダイバーシティでしょう。海外と日本のユーザーの考え方、置かれた環境、価値観の違いを実際に知ることが大事です。日本の社員はもっと現地に行って、お客様が本当に何を必要としているかを肌で感じて学んでほしい。時には怒られることもあるだろうけど、直接言われるぶん、お客様が困っていること、大事にしていることを実感できるから、それでいいんです。特に若手の間のお客様との直接のコミュニケーションの経験は、将来の大きな財産になります。私はそれを経験して本当に良かったと思っています」

サウジのセミナー
十人十色

40歳を挟んだ5年間アメリカに駐在した。最先端の医用機器ニーズがあり、競合がひしめく市場は、まさに本場という言葉がふさわしい場所。職場には10カ国を超えるバックボーンの持ち主が同居していた。
「それだけいれば、価値観や仕事の進め方もまちまちです。ただひとつ、島津製品を販売し、島津のプレゼンスをあげるという目標は共通している。職場にも現場にも、熱気が満ちていました」と振り返る。
冒頭に挙げた代理店の熱血社長も、全米を回るなかで出会った一人だ。

2012年、米国のSMS25周年で、京都の旧本社前での集合写真

「社員教育にもすごく熱心で、研修の場で、何のために何をするのかを徹底して叩き込んでいくんです。あの冊子も目的への意識と行動を変えるためのツール。手段としての知識やスキルを学ぶことが多い日本流の研修とは大違いです。たしかに世界中から異なる考え方の持ち主が集まっていますから、それくらい明確な強いメッセージを発信し続けていないと、まとめられないのでしょう」

「海外駐在時、イスタンブールでは日本人である自分たち家族がマイノリティでした。でも現地の人は、珍しい日本人であっても子供を愛おしそうにだっこしてくれたり、優しかったんです。逆に、アメリカ駐在時はマイノリティだらけ。平等をうたいながらも、差別があるからこその平等が保たれていたり、多様でした。子供の学校では『違うことは良いことだ』と教えられており、親としても学んだことが多く、マイノリティの立場や、マイノリティだらけの環境、それを当たり前として子供に経験させられ、自分もできたことは本当に大きかったですね。改めて、ダイバーシティは意識していないし、意識するほうが難しいです。でも、それが当たり前なのではないでしょうか」
日本ではダイバーシティの議論が盛り上がっているが、世界を職場としてきた坂本さんにとって、顧客や職場のダイバーシティはごく当たり前のことだ。その経験から学べることは少なくない。

ロサンゼルスマラソン完走直後(米国販売会社の現地スタッフと)
第100回RSNAでレントゲン博士と共に
現場の声を届ける

米国駐在を経て、坂本さんは、グローバルマーケティング部で世界に向けた情報発信を担当したのち、2017年に主に新興国を担当する海外事業開発部医用ユニットの部長に、2018年からは医用機器事業部に新たに発足した海外営業部の部長に就任した。
全社的なグローバル施策強化もあって、島津の海外での業績は伸び続けており、全売上の半分近くは海外で稼ぐ時代になった。

「世界にはいろんなお客さんがいて、海外拠点や代理店のスタッフは、その切実な要望を聞いています。極端な例をあげれば、最先端の技術が医療行為として認められていない国もあって、そういうところでは製品を売るだけではなく、アプリケーションや付帯設備なども含めてどういうサービスを提供していけるかを考えることが求められます。とにかく開発やマーケティングの人たちが、直にそうしたお客さんの声を聞ける機会を、もっと増やしていきたいです」

RSNA2017ガラナイトでMX8展示

島津の中でも海外渡航回数は多く、駐在年数も長いほうだろう。ダイバーシティの理解も、見聞の広さも相当のはずだが、本人は謙遜ではなく、「知らないことだらけ」だという。
「世界を回ったと言っても、国の数でいえば、3分の1にも届きません。しかもお会いしたのは、ドクターか放射線技師ばかりで、それぞれの国の患者さんや他の医療従事者が本当はどんなニーズを持っているのか、まったくわからないのです。自分は何も知らない。そう常に肝に命じています」

若手はもっと海外へ

「部下は、自分の子供みたいに思っています。その人はその人、十人十色、自分とは違う、本人次第です。自由にやっていいし、失敗もしていい。私も若手の頃から自由にやらせてもらって今があります。特に海外との仕事は予定調和では進められない。チャレンジするための失敗は許容しています。私も数々の失敗をしてきましたしね。現在部下3名がブラジル、中国、イスタンブールに海外現場研修に行っていますが、失敗しながらも皆楽しそうですよ」

英語ができず、学生時代はハワイくらいしか知らなかった坂本さんは、海外経験は大きかったと強調する。
「水が合ったんです。そういう意味では、水が合えばだれでもチャレンジできる。しかし今は島津国内に海外経験をしたことのある社員が少ないのが課題です。営業に限らず管理部門でもどの部門でも、海外経験はもっと必要です」

将来は「いつかアフリカに戻りたい」とも。
「若い頃、私をいちばん育ててもらった場所で、いくつも思い出があります。医療インフラが不十分なところで、私の力でも、できることはたくさんあるでしょう。そこに貢献できたらというのが夢なんです」

家族でケニア旅行_マサイ族の村で

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