島津のダイバーシティ

社員インタビュー

しなやかに強く
荒川 清美
分析計測事業部
グローバルアプリケーション開発センター
GC・GCMSグループ
1988年入社
30歳くらいで退職すると思っていた

いつも穏やかな表情で、周囲を和ませる。荒川清美さんには人の心を温かくするなにかがある。
「私、すぐ人から相談されるんです。学生の頃から、人生の相談や仕事の相談を、いっぱい受けてきました。そんな中、ただ一人、相談してこなかった人がいて。それがいまの夫です」と笑う。
グローバルアプリケーション開発センターGC・GCMSグループでグループ長を務める。三条工場と秦野工場に17人の部下を持ち、その「部下を育てることがもっとも大きな仕事」と自認する。
「20年LCMSグループにいて、そこでは技術者として実際に手を動かし、販売支援にも携わってきました。ところが2年前にいまのグループに移ってくると、技術力も知識も部下のほうがずっと上。それじゃあ、部下を育てる仕事に重きを置こうと、部下それぞれに合わせた信頼関係の構築に時間を費やしています。もともと人が好きなんですね。その人の表情や行動に気をつけていて、できるだけいいところを見つけて、得意なところを伸ばしてあげたいと思うので、たぶん部下育成に向いているんだろうなと思います」
高校時代、分子構造の規則性の美しさに惹かれて薬学部を目指し、その知識を生かせる場所として、1988年、島津に入社した。しかし、一生の仕事に就いたという意識はなかったと振り返る。
「その頃、技術部門には女性で長く勤めている方はいませんでした。私も漠然と30歳くらいになったら出産して辞めていくんだろうなと思っていました」
育休の制度こそあったものの、自分の職場は残業もあれば、出張もある。来客とのアポイントもあって、いつ熱を出して保育園から呼び出しを受けるかわからない状況では、とても続けられそうに思えなかったのだ。
ところが、運命は少しだけ彼女にいたずらをした。入社3年目で結婚、その後妊娠がわかり、無事出産した。30歳まではという思いもあったので、いったん育休をとり、一年後、復帰した。その後、入社6年目で次女を出産、さらに3年後に三女を出産。31歳の時点で、すでに3人娘の母となっていたのだ。

半期に2回、1人1~1.5時間のMBO面談を行う。
今期の目標進捗だけではなく5年後10年後といった中長期の目標、
プライベートにまで話が及ぶ。
毎週火曜日10時~、Skypeで東西合わせてグループ勉強会を行っている。
今期は教育的内容に特化し、新人の教育に使用できるよう録画映像を共有。
「いてくれるだけでいいよ」の言葉に支えられて

荒川さんも夫も、大学入学時に共に京都に居を移してきたので、子育てで親のサポートは受けられなかった。夫は新聞社勤務で仕事に多少の融通が利いたが、彼女に代わって家庭を守るなど望むべくもない。「今もう一度やれと言われても絶対にやりたくない」と思えるほど、怒涛の日々が続いた。仕事をやめようと思ったことも一度や二度ではなかったという。
「ところが、やめようと思うと、なぜか会社に新しい支援制度ができて、もう少し頑張ろうかなと思えるようになるんです。まるで私にやめるなと言ってくれているようでした」
男女雇用機会均等法の施行後、それを補完する形でさまざまな制度が広まりを見せていた。荒川さんの出産・育児を経験した時期は、ちょうどその時期と重なっていたのだ。
当時、旧態依然とした慣例が、少しずつ溶けていった時期でもあった。荒川さんの少し先輩の女性社員は、結婚時に姓が変わると、それまでの仕事に支障をきたすからと、名刺では旧姓を使うことを希望したが、認められなかった。それを見ていた荒川さんは、「言われるまでほっておこう」と無言で抵抗。「そうしたら何も言われないで、いつのまにかこのまま続けてこられました」
また、別の女性の先輩は、男性社員から「メイクくらいしたほうがいいよ」と言われて、しぶしぶメイクをするようになったが、それも、言われるまで放っておいたら、ついに誰にも文句は言われなかったので、ノーメークを貫き通してきたという。
「演劇部だったので、メイクをするのは舞台の上で他の人格を演じるときという思いがあったんです。たぶん、自分のままでいたいなという欲求が強いんだと思います。一応、メイクの匂いが分析の邪魔になるからという言い訳を用意してはいました。でも使わずにすみましたね」
時代の変化をもっとも強く感じたのは、3人目、4人目の妊娠を上司に報告に行った時だったという。
「2人目までは、少しは会社に遠慮したらという空気も感じたものでしたが、3人目、4人目のときは、『この少子化の時代に貢献してくれてありがとう』と言われ、こちらが恐縮するくらいでした。時代も変わりましたね」
そうはいっても子育てしながらの仕事は大変であることには変わりはない。
「2人目を生んで、職場復帰したころが一番きつかったでしょうか。でもそのとき、ある先輩が『荒川さんは、いてくれるだけいいよ』とおっしゃってくださって。その言葉にどれだけ救われたかわかりません」
それからは、大変な時でも『毎日会社に行っているだけで、私ってえらい』と自分で自分を誉めることで乗り越えてきたという。

生まれたばかりの末っ子長男を囲む3姉妹。
あなたはあなたでいい

荒川さんの大きな心の支えになっているのが、信仰だ。カトリック教徒の荒川さんが教会へ通うようになったのは、島津に入社してからだという。
「入社してすぐの3週間の研修で心がすり減るのを感じてしまって、ボランティアの研修講座にいくようになった。それがきっかけですね」
自分に素直でいたい、周囲とはいつも平和を保ち、安息な日々を過ごしたいと考えてきた荒川さんにとって、入社して初めて直面した資本主義社会の現実に、戸惑いを隠せなかったのだ。「今は島津の装置がお客様の役に立つように働けばいいと思っているので矛盾はありませんが、当時は『自分を無にして会社の利益のために働くべき』と思い込んでいました」
その後、長女が生まれて間もなく、家族3人で洗礼を受けた。
「人生のすべては神様が私に与えている試練なのだと自分では思っています。仕事がどんなにつらくても、それも試練です。選択肢があれば、難しい方をとり、魂を成長させるように生きていく。聖書にある『狭き門より入れ』の教えの通りですね」
狭い門から入るには、やはり相当の努力が必要だろう。しかし、荒川さんは、そのたびに乗り越えてきた。だが、そのがんばるという行為が、もしかしたら間違っていたかもしれないと思い直す経験もした。
「私自身、がんばるのが好きで、子供にもがんばる人しか認めないというところを見せてしまっていたんだと思います。それが、子供に対して大きなプレッシャーになっていた時期がありました」と述懐する。
「いまは、そのときの反省で、子供達には、頑張っている姿を見せるのではなく、好きなことをしている姿を見せるようにしています。また、自分の人生、親が喜ぶことではなく、好きなことをして歩んで欲しいと伝えています。部下に対してもそうで、決めつけるのではなく、選択肢を用意して、どっちがやりたい? と考えてもらえるようにしています」
がむしゃらにやりたくても、できないときはある。だから、ありのままでいい。そこにいるだけでいいのだと、かつて先輩からかけられた言葉を、噛み締めている。

長男の初聖体の御祝の日、カトリック伏見教会にて。

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