島津のダイバーシティ

社員インタビュー

向かい風、
笑顔で越えて
飯田 順子
分析計測事業部
ライフサイエンス事業統括部
出身学科:薬学部 製薬化学科
トイレに隠れていた

現在、分析計測事業部ライフサイエンス統括部でシニアマネージャーを務める飯田順子さん。女性活躍の先頭を切り拓いてきた飯田さんは、「これからの女性は自立できるように」という母の教育もあり、一生続けられる仕事に就くことを目指してきた。しかし、就職当初、薬学部学生の主な就職先では、女性はまだ真っ当な戦力とはみなされていなかったという。
教授が気にかけてくれて、研究室の卒業生のつてをたどり、「長く働けるところ」と島津を紹介された。願ったりかなったりと言いたいところだが、入社した当時、女性が働くには社会も会社もその仕組みはまだまだ旧態依然としていた。
当時は労働基準法に基づいた母性保護で、女性への残業規制があった。担当した当時の質量分析計は、朝出社してキャリブレーションをとって、さあ測定となったらもう定時。あとは男性社員に頼んで帰らなくてはならず、そうすると「だから女の子は戦力にならない」と言われる。それは悔しい。

「女性が法規制以上の残業をしないでちゃんと帰宅しているか、ときどき組合の人が見回りに来るんです。見つかったらつまみ出されてしまうので、その時間だけトイレに隠れてやり過ごしていました。いまでこそ笑い話にできますが、当時は、私は一体何をやってるんだろうと。」
「女性の残業規制をなくした上で、男女問わず全体の残業を減らす方向に向かって欲しい」と組合で、職場代表として発言もしていた。男も女もなく働きたい、そう思っているのに法律も職場の制度も空気もその足を引っ張る。もう限界だと、大学に入り直して、まったく別のキャリアを歩もうと考えたこともあったという。

道を切り拓く

しかし転機はすぐに訪れた。アジア進出に力を入れていた島津は、現地の展示会で説明するアプリケーション開発センターのスタッフ不足が続いていた。出張できる男性は軒並みアジアへ出張し、女性にも順番に声をかけていっていたが、色よい返事はない。そして、2年目だった飯田さんの番になった。
「『行きます』と即答しました。そうしたら上長が、『行くのはいいが、先輩たちに行ってもいいか聞いてこい』というんです。私が女性社員の間で浮かないようにと気遣ってくれてのことで、そんなものなのかと、順番にお話しました。」
以後、新興国担当として積極的に海外出張し、毎朝早く職場に現れ、精力的に仕事をこなした。誤解を恐れず言えば、「男勝り」の働きぶりだ。「でも、基本的には猫をかぶって、ニコニコしていました」とあっけらかんと振り返る。

インドMS学会での島津MSのPR
インド代理店SPINCOのメンバーと一緒
多くの力に支えられて

27歳で結婚。相手は学生時代からの同級生で、彼女の最大のサポーターとなった。 「私の母は専業主婦で家のことを完璧にこなす人。それを見て育ったので、私も家事をがんばろうとしてきました。でも、仕事も手を抜きたくなくて、両方を完璧にこなそうとしたら、1か月で、もうイヤ!と大爆発してしまったんです。そのとき彼が、『家事がしてもらいたくて結婚したわけじゃない。好きにしたらいい。』と言ってくれたんです。あ、そうなんだ、自由なんだってなって、そこから楽になりました」
サポーターは会社にも大勢いた。早朝通勤では、他部署の部長や事業部長と一緒になることも多く、そのうち、熱心な社員として気にとめてもらえるようになり、「きみどこの部署」と声をかけられ、応援してくれる人が増えていった。 「そこで感じたのは、自分に自信のある人は、多様性にも理解があるということでした。一人の技術者として自立できるよう、直接、間接的に応援してくれた方々には、本当に感謝しています」

1987年 日米合同薬学会@ハワイ
(初めての米国領&結婚後約1ヶ月の出張で、本文中の爆発原因になった出張)
ともに旗を振り続けて

飯田さんの歩みは、日本の女性が総合職として社会進出してきた歴史よりも早い。就職したのは男女雇用機会均等法施行の3年前。課長昇進は男女共同参画会議発足の4年前だ。それだけに、飯田さんの活躍は注目を集めた。道を切り拓くのに人一倍強い意志と努力を必要としたことは想像に難くない。いわば、女性活躍の生き証人だ。
「均質な世界ではよいイノベーションが生まれない、多様性が大事だと、理解され始めています。それは、多くの方が旗を振り続けてきたからでしょう。成功事例を多く紹介して、トップから発信してもらうことが大事ではないでしょうか」
男女問わず、進んで家事や育児をしたいという人も、働き方を工夫して両立したいという人もいるだろう。一人ひとり違った価値観を持った人が乗り合わせているのが会社だ。少なくとも、性別という属性だけで、その人の働き方を判断するのは真のグローバルを目指す会社として、すでに時代遅れであることは間違いない。

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