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島津遺産

水を守る“目”

水質の重要な検査項目である全有機炭素(TOC)。
その測定に使われる全有機体炭素計(TOC計)の誕生の背景には美しい自然環境を願う、
人々の強い思いがあった。

生活が環境負荷につながった

さざ波が白くきらめき、大小の島々が影を落とす美しい内海の風景。しかし漁に出るはずの漁船は港に係留されたまま。近づいてみると海面は赤黒い“濁り”に覆われ、異様な雰囲気を醸し出している…。
1970年代から1980年代前半にかけて、東京湾、伊勢湾、瀬戸内海、琵琶湖などの閉鎖性水域では、流入する生活排水や工場排水による水質汚濁が社会的問題になっていた。赤潮の発生はその一例で、大量発生したプランクトンによる魚介類の大量死や異臭の発生で漁業や観光産業は深刻な被害を受けた。赤潮が発生した赤黒い海を死の海と形容する新聞もあった。

水を守る“目”

1972年に瀬戸内海で発生した大規模な赤潮は、史上最多の1428万尾もの養殖ハマチの斃死をもたらし、被害額は71億円にのぼった。これを契機に漁業者が起こしたのが播磨灘赤潮訴訟だ。漁業者は国や沿岸の工場を相手取り、総額約19億円の損害賠償と、有害排水の差し止めを要求した。

必要とされた測定手法

もちろん行政も手をこまねいていたわけではない。1971年には水質汚濁防止法が施行され、工場をはじめ、下水処理施設などあらゆる排水に含まれる汚濁物質の総量が規制された。続く1979年には汚濁の代表的な原因物質である有機物の炭素量規制がさらに厳しくされた。その後、規制の対象は窒素、リンにまで拡大され、それに伴い流域の下水道整備、排水水質監視の強化や排水処理の高度化が進んだ。
これらの動きの中で、最も一般的な汚濁物である有機物を迅速、的確に測定する装置として注目されたのが全有機体炭素計(TOC計)だ。
それまでは有機物による水質汚濁を示す指標として、生物化学的酸素要求量(BOD)及び化学的酸素要求量(COD)が使われてきた。もっとも、これらは有機物を直接測るものではない。BODは水中の微生物が消費した酸素の量から、CODは有機物を酸化させる際の酸化剤の消費量から間接的に有機物の量を推測するもので、誤差を免れなかった。加えて、測定に時間がかかるのも難点だった。
それに対し、TOC計は水試料を高温で燃焼させて有機物の構成元素である炭素(有機体炭素)をほぼ直接測定することで、迅速かつ正確に測定できることから、有機物による汚濁の有用な指標として認識されるようになった。

測定技術の飛躍

環境庁が設立された1971年、島津製作所も環境部門を設立、翌年からTOC計の開発に着手した。島津の技術者は米国のダウ・ケミカル社の研究員が出した論文に着目した。それは水試料を950℃という高温の電気炉で一気に燃焼させ、有機物に含まれる炭素から発生する炭酸ガスを測定することによりTOCの量を求めるもので、BOD、CODの抱える課題を一気に解決できる可能性を示すものであった。
島津は1973年にダウ・ケミカル社と特許実施権許諾契約を締結。その後、独自の研究を積み重ね、燃焼触媒酸化方式TOC計の製品化に成功した。当時、国内市場では海外メーカー製のTOC計が席巻していたが、島津のTOC計は独自の技術と国産の強みを生かし、水質保全を研究する技術者、研究者に広く使われるようになり、シェアを広げていった。
島津のTOC計を世界に広め、その地位を不動のものとしたのは1984年に発売されたTOC-500だった。TOC-500が画期的だったのは、燃焼温度を従来の950℃から680℃に大幅に低下させたことだ。
従来、TOC計で正確に有機物の量を測るには、燃焼酸化のしやすさから、温度が高いほど無難とされていた。燃焼温度を下げることのメリットは認識されていたが、あえてそこにチャレンジする装置メーカーはいなかった。だが、島津の技術者はまず低温燃焼ありきで、開発に取り組んだ。まさに逆転の発想だ。燃焼方法の改善やデータ処理手法を開発し、燃焼温度を下げることにより、従来、測定困難であった海水のような塩分を含む試料の測定が可能になっただけでなく、燃焼管や触媒などの消耗品や装置自体の耐久性は大きく向上し、メンテナンス性は格段に良くなった。
そのメンテナンス性が海外のユーザから注目された例として、次のような逸話がある。
TOC-500の最初の海外レビューとなった米国の展示会でのこと。TOC-500の燃焼管をものの数分でいとも簡単に交換すると、見学していた参加者はあっけにとられ、次には拍手がおこった。当時海外で使われていたTOC計で燃焼管を交換しようとすると、950℃の電気炉を室温まで下げ、炉を開放して燃焼管を交換してから再び950℃に戻さなければならず、次の測定の準備までに、実質1日がかりだったからだ。
その優れた性能と使いやすさから下水処理技術開発や、水質汚染の原因を特定する研究を大いに進展させ、世界で最も多く使用されているTOC計となった。

広がる活躍の場

1989年に発売された後継モデルTOC-5000は、新しい発想の燃焼・測定システムによる高感度化や試料注入の自動化を達成し、さらなる利便性を実現。高感度化により、適用範囲が従来のppm(1ppm=100万分の1)からppb(1ppb=10億分の1)領域に拡大された。
その恩恵を受けた場所の一つが半導体工場だ。半導体製造ではシリコンウェハーを徹底的に洗浄する必要があるが、その際、洗浄用水に不純物が入っていると製品の性能を低下させる原因になる。そのため、TOC管理は非常に重要だったのだ。
その後、TOC-V、TOC-Lとモデルを更新してきたが、その都度、全窒素(T-N)の同時測定やガス試料や固体試料への対応など、常に新たな機能を追加し、その活躍の場を広げてきた。
TOCという指標自体も、水道法で水道水の水質基準に採用され、さらに薬局法では製薬用水の規格に取り入れられるなど、水利用の重要な分野で公的規格に採用されるまでになった。
今や赤潮の発生を耳にすることはほとんどなくなり、日本は美しい海や湖の光景を取り戻した。その一翼を担ったのが、全有機体炭素計であることは、もう少し知られてもいいかもしれない。

水を守る“目”02

1984年に発売された島津実験室用
全有機体炭素計TOC-500