Special edition “The journey begins”

『夢はみるものではなく、かなえるもの』を実現した澤穂希さん
これからの自分にしかできないこととは

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2011年FIFA女子ワールドカップ優勝、アジア人初の「FIFA女子最優秀選手」受賞と、世界のサッカー界に大きな足跡を刻んだ澤穂希さん。
結婚、引退、出産を経たいま、「自分にしかできないこと」を模索しながら、新たな挑戦を全力で楽しんでいる。

パイオニアとして自分だけの道を歩んで

女子サッカーは、今でこそ広く知られるようになりましたが、私がサッカーを始めた小学2年生のころは、まだ女の子がサッカーをすること自体が珍しいという時代。それゆえ、道なき道を歩むようなサッカー人生となりました。

当時は、地元のサッカーチームに入団するのも「女子の入団は前例がないから」とひと苦労。入団後はもちろん紅一点。男子に負けたくないと一生懸命練習しても、女子の参加資格がないという規定で大会に出場できないこともしばしばでした。

それでも頑張り続け、13歳で読売サッカークラブ女子・ベレーザ(現日テレ・ベレーザ)に入団することができました。中学生は私一人で最年少。技術も体力も国内トップレベルの先輩たちについていくのに毎日必死でした。

女子サッカーが初めてオリンピックの正式種目に採用された1996年のアトランタ大会では、17歳で日本代表選手として出場できたものの、結果は全敗。世界との差を痛感したことで、もっとうまく、もっと強くなりたいという思いが湧き、20歳のときには大学を中退し、女子サッカー最強国のアメリカに一人で渡りました。

当時、サッカーのために渡米する日本人女子選手は皆無でしたから、チームとの交渉など、すべて自分で行うしかありませんでした。でもその分、手探りながらも自分だけの自分らしい道をこうして一つひとつ歩んできたなという実感があります。そして、その原動力になっていたのは、やはり「サッカーが好き」「もっとうまくなりたい」との思いでした。

年齢を重ねることで達した「得意なことを磨く」という境地

渡米前から公言していたのが、「FIFA女子ワールドカップで優勝する」ことです。当時日本はシドニーオリンピックの出場を逃し、アジアの中でさえ優勝したことがないという状態でした。それだけに、無謀な夢だと思われていたかもしれません。正直、私自身も、そうは言いながらも半信半疑だった時期もありました。

それでも、本気で同じ夢を目指す仲間が次第に増えていき、ついに2011年、アジアの国として初めて優勝を果たすことができました。また、私自身もFIFA(国際サッカー連盟)から「女子年間最優秀選手賞」をいただくことができました。その後も2015年の引退までに、日本女子代表として205試合に出場し83得点を記録することができました。(※この記録は男女の日本歴代トップ)

これだけ見ると、いつも順調に夢をかなえてきたのではと思う方もいらっしゃるかもしれません。でも、決してそんなことはありませんでした。能力面で言えば、サッカーでは走力が重要な能力の一つなのですが、私は足が速くもなければ、持久力があるタイプでもありません。だからこそ、人一倍練習しなければと努力していたはずなのに、何をやってもうまくいかないときがありました。

澤 穂希

うまくいかない経験を重ねながらわかったことは、そんなときこそつまらないプライドは捨て、今のダメな自分を素直に認めて受け入れることが、改善への第一歩になるということでした。また、苦手なことにはこだわらない潔さも身につけました。自分は自分。不得意なことは人に任せ、自分の得意なこと、自分にしかできないことを磨けばいいと思えるようになったのです。

そう考えられるようになったのは、30代に入ってからです。年齢や経験を重ねることで、気持ちに余裕が生まれてきたからでしょうか。20代までは気づけなかったパスコースやスペースが見えるようになり、プレーの幅も広がりました。あらためてサッカーの奥深さに気づき、また一段とサッカーが好きになり、もっと上手になりたいとも思えました。だからこそ、30代になっても現役を続けられましたし、結果、ワールドカップ優勝という夢をかなえられたのだと思います。

新たな仕事で感じている課題

心から「やり切った」という思いから引退を決断したため、現役を退いてからはサッカーをしたいという気持ちが不思議と全く湧いてきません。もちろん、サッカーが好きという気持ちは変わらないのですが、「好き」と「やりたい」は似て非なるものなのだと実感しています。

引退後は、サッカー日本女子代表の試合解説をはじめ、テレビ番組やCMに出演したり、インタビューを受けたりと、メディア出演を中心に仕事をしています。

どの仕事にも共通しているのは、「言葉で伝える」ということ。現役時代からインタビューを受ける機会も多く、それなりに話すことに慣れているつもりでしたが、難しさを感じることが多々あります。

では、今の私にしかできないことって何だろうと考えると、やはりこれまで取り組んできたことをお伝えすることなのだと思います。これまで応援してくださった皆さまに、できるだけわかりやすくお話ししたい。そう思っているのですが、限られた時間で伝えたいことを的確に表現するのは、本当に難しいですね。

これは、サッカー解説でも同じこと。プレーヤーとしてピッチに立ち選手に指示を出すのと、ピッチを俯瞰できる放送席に座り、今起きていることを視聴者にわかりやすい言葉で端的に伝えるのは全く異なります。

仕事が一つ終わるたびに、「ああ言えばよかった」などといつも反省しています。客観的な意見も聞きたいので、出演番組は主人と一緒に観るようにしています。そこで「もっと本を読んで、言葉の選び方や伝え方を勉強するのもいいのでは」とアドバイスされ、全くその通りだなと感じたことがありました。

今は家事と育児、そして仕事で手一杯なのですが、もともと読書は好きなので、今後、生活とのバランスを考えながら読書量を増やし、表現の幅を広げる糧にしていきたいです。

澤 穂希

周囲の理解と協力があってこその家庭と仕事の両立

仕事場には2歳の娘も同伴しています。共働きですから、子どもは保育園に預けるのが一般的かもしれません。でも私は、「子どもはいつか巣立つ。だから、できるだけ一緒にいて、その成長過程の一つひとつを見逃したくない」という気持ちが強いのです。

子どもが保育園に通いだし、少しずつ私の手を離れるまでは仕事をセーブするという選択もあったかもしれません。でも、私はそもそも仕事が好きで、出産後も長期間休むことは考えられませんでした。

また、今いただいているオファーはこれまでのキャリアを踏まえた期間限定のものかもしれない、というある種の覚悟を抱いています。だからこそ、私だからこそと声をかけていただけるお仕事は、できるだけお断りせず、全力で応えたいと思っています。

私にとってどちらも大事な育児と仕事、この二つを両立させるためにどうしたらいいか。スタッフや家族と相談を重ね、出した結論が、子どもの同伴でした。もちろん、これは仕事先の方々のご理解とご協力があってこそ実現できていることです。産後半年で仕事を再開した際も、授乳のタイミングに合わせて休憩時間を設けてくださったおかげで、なんとかやってこられました。

家事や育児をしていると、たまには自分の時間がほしいと思うこともあります。そういう意味で仕事は私自身に戻るいい機会となっていて、仕事の後はまた家事や育児も頑張ろうという気持ちになれます。オンとオフで言えばどちらもオンですね。でも今の私にとっては、ちょうどいいバランスなのだと思います。これも周囲の理解と協力があってこそと、あらためて感謝です。

「自分にしかできない仕事」をするために

現役時代から現在に至るまで一貫して座右の銘にしているのが、『夢はみるものではなく、かなえるもの』という言葉です。人気バンド、ドリームズ・カム・トゥルーの『何度でも』という歌にもあるように「1万回だめでへとへとになっても、1万1回目は何か変わるかもしれない」って。まさにあの通りで、とにかくあきらめずに努力し続けたことで、一つ目の夢をかなえることができました。そして、今は新しい夢を持っています。

それは「自分にしかできない仕事をすること」。それが何かは、まだ模索中です。でも、いつかサッカー界やスポーツ界を盛り上げるお手伝いをしたいと思っています。そのためには、もっと勉強しなければ。まずは今年の「FIFA女子ワールドカップ2019フランス」、来年の「東京2020オリンピック」と、女子サッカー界では大きな試合が続きますので、そこで私にできることを見つけ、力を尽くしたいと思っています。

プライベートでは、ぜひもう一人、子どもがほしいですね。さらに、自分の子どもの子ども、つまり孫を見たいなんて考えてもいます。気が早すぎますが、私の母と娘が素敵な関係を築いているのを見るにつけ、私もあんなふうになりたい、なんて思ってしまいます。

夢を描きながら、今、自分にできることを一つひとつ、全力で取り組む。それが夢の実現につながることを体験し、知っているからこそ、これからも階段を1段ずつ上るように、しっかりと着実に、自分だけの道を自分らしく歩んでいきたいです。

澤 穂希 澤 穂希
澤 穂希(さわ ほまれ)

1978年、東京都出身。W杯に6度出場。2011年ドイツ大会ではキャプテンとして、なでしこジャパンを初優勝に導き、得点王とMVPを獲得。同年度のFIFA女子最優秀選手に輝く。4度の五輪に出場し、2012年ロンドン大会で銀メダルを獲得。日本代表では通算205試合に出場83得点。2015年8月に結婚し、同年12月に現役引退。現在は一児の母。

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