女子力はなぜ、人類共通のモノサシになれないのか。
「ユウコちゃん、女子力たかーい!」。「ヒロシくんって、草食系?」。居酒屋で隣り合った若い男女のグループから、こんな声が聞こえてきました。合コンでしょうか。ほほえましいものです。しかし、水を差す気はないものの、こう言いたくなります。「女子力」に「草食系」。なんだ、そのあいまいな感じは。 だってそうでしょう。何をもって、女子力の高低を判断しているのか。どんなラインが、草食系と肉食系を分かつのか。よくよく考えてみれば、世の中には、そんな「~力」「~系」があふれかえっています。明確な基準など何ひとつ示されていないのに、疑問すら抱かず、一喜一憂しているのです。連絡先など交換しているのです。それでいいのか。まあ、べつにいいんですが、ここはひとつ、女子力の「定量化」ということを考えてみることにします。 注意深く観察してみたところ、「女子力が高い」と評されている行動は、以下のふたつ。
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A:大皿でやってきたサラダを、人数分の小皿に取りわける
B:誰かのグラスが空くと、すかさずおかわりをオーダーする
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このふたつの行動は、同レベルで称賛されているようです。浮かれすぎです。冷静にとらえてみましょう。Aは、サラダが運ばれてきたその時点だけの行動。一方、Bはというと、継続的に全員のグラスに目を光らせることで、ようやく成し遂げられるもの。どちらがより女子力が高いかといえば、Bに軍配が上がるはず。わかりやすく数値化してみましょう。ひとまずAを10JP(JoshiPower)と置くと、Bは20JP。あ。はしゃぎすぎてグラスを倒しました。すかさずユウコちゃんが、店員さんにおしぼりをもらって拭きはじめます。これもAと同じ一時的な行動ですが、他者への働きかけという能動性が加わるので15JP。ワリバシの袋で謎のオブジェをつくるのは、それこそ箸にも棒にもかからないので、せいぜい1JP。こうしたプロセスを踏むことで、人によって受け取り方がバラついていた「女子力」が、人類共通のモノサシになります。これが「定量化」。