「島津 親子二代記〜信頼と情熱の軌跡」株式会社 島津製作所 創業者“二人”の島津源蔵の物語

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島津 親子二代記〜信頼と情熱の軌跡

弊社の創業と発展は二人の島津源蔵によってなされました。初代島津源蔵、二代目島津源蔵、明治から昭和にかけて活躍した技術者の親子です。

初代源蔵は、理科教育の発展に力を尽くし、二代目源蔵は数々の発明を認められ、日本の十大発明家の一人に選ばれています。

その二人が歩んだ道、そしてその信念とは一体どんなものなのか、ものづくりに情熱をかけた二人の生涯を電子ブックでご覧ください。

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本書のご紹介

1839年、初代源蔵は仏具職人の子供として生を受けました。
1860年に仏具製造の店を開き、その後、科学技術発展へ強い志を持って教育理化学機器製造工場「島津製作所」を創業します。
研鑽を重ねた源蔵は、たった一枚の絵図から作った軽気球を、京都の空36mの高さまで浮き上がらせて大喝采を受けるなど、国や社会から高い評価を得ていきます。
さまざまな技術を身につけた源蔵は、それらを教育に生かすことを考え、百種類以上の理化学機器が掲載されている「理化器械目録表」(カタログ)を作り上げました。そこにある機器は原理や現象を体験できるものばかりで、源蔵が技術者として伝えたかった「観察する」「触れる」事の大切さが伺えます。

初代源蔵写真

二代目源蔵は、幼い頃から理化学機器に強い関心を持っていました。
好奇心旺盛な源蔵は読む事のできない外国語で書かれた理化学機器の原理書を、想像力を働かせて挿絵で仕組みを理解します。
15歳のときには、たった一枚の挿絵からウィームシャーストの新型起電機を作り父親を驚かせます。
島津製作所を受け継いだ源蔵は、レントゲン博士によってX線が発見された翌年の1896年にX線写真の撮影に成功し、1909年には国産初の医療用X線装置を開発します。
1945年、二代目源蔵は引退しますが、その後も発明をつづけ、生涯で178件もの特許を取得しました。
晩年の二代目源蔵が若者に好んで聞かせた言葉があります。
「学問を教えられたらその応用を考えなくてはならない、死に学問ではだめだ」
それは源蔵の技術者としての信念であり、未来を担う若者達に伝えたい“思い”でもありました。

二代目源蔵写真

※この本は、京都企業発展の原動力となったものづくり精神を小学生に伝えることを目的として、京都を発祥の地とする企業十数社の創業者を主人公として制作された「京都ものづくり列伝」の中から、初代島津源蔵および二代源蔵に関する漫画を冊子にしたものです。作画は京都精華大学の学生が担当しました。

備考:「京都ものづくり列伝」は、京都市教育委員会と産官学で作る団体などが中心となって制作し、2009年10月から京都市立小中学校にネット配信され、教材として教育の場で活用されています。

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