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「心をこめて」

Special Edition “GENTEN”

「心をこめて」

千 玄室

60年目の献茶

「茶室には敵も味方もない」。茶道界の長老、裏千家の千玄室大宗匠は、人と人とが争うことのない平和な世界をめざして世界を行脚し、お茶の心を伝え続けている。
米寿を迎えてなお衰えぬ情熱の源に迫った。

60年目の献茶

昨年の9月8日、サンフランシスコで献茶する機会がありました。場所はゴールデンゲートブリッジを見下ろす丘に立つクラブハウスで、穏やかなよい日でした。
ご存知ない方もいるかもしれませんが、60年前のこの日、日本は48カ国と講和条約を結び、国際社会に復帰しました。続いてこのクラブハウスで、日米安保条約に署名したのです。
この日は、両条約締結60周年を記念する式典が行われ、日米の政官財界から200名の方が出席されました。
私は60年前、この条約締結を記念して開催された日本美術展で、茶道紹介をさせていただきました。
60年の時を経て、再び同じ場所で平和を祈念してお茶を点てることができ、なんとも不思議な巡り合わせだと、非常に感慨深いひとときでした。

一盌(いちわん)から平和を

私は「一盌からピースフルネスを」という言葉を掲げて、世界60カ国以上を訪れ、いろいろ方にお茶を差し上げてきました。「お茶」と「世界平和」というと、一見交わるところがなさそうにお感じになるかもしれませんが、実は、お茶の精神は、深く平和とつながっているのです。
茶室に入るには、身分の上下に関係なく、誰もが “にじり口 ”という狭い入り口から身を屈めて入らなくてはなりません。かつては武士といえども、まず刀を外さなくてはなりませんでした。茶席につけば貴賤はもちろん、人種の違いもなく、あるのは人間と人間との対等な関係だけです。四百数十年にわたり、その理念を伝えてきたお茶には、戦乱の絶えることのない世界を平和にする力がある。世界中の人々がこの茶の精神を真に理解し実践するなら、世界は必ず変わると信じ、戦後ずっとお茶の普及に力を注いできました。

軍服で「イタダキマス」

軍服で「イタダキマス」

こう考えるようになったきっかけは、戦後復員して京都の実家に戻ってきた頃のことでした。九死に一生を得て家に戻ったものの、死んだ仲間に顔向けができない、一緒に死ねばよかったと忸怩(じくじ)たる思いをいっぱいに抱えて 過ごしていたところ、進駐軍の将兵達が我が家にやってきて、お茶を飲んでいくようになったのです。聞いたところによると、進駐軍では休みの日にはできる限り占領国の文化に触れて伝統を学ぶように、という命令が出ていたのだそうです。
もともと我が家には海外の方が訪れることが多く、幼いころから茶室に座る外国人は見慣れていましたが、このときばかりは驚きました。アメリカという国はなんという国なのだろう。敵であった相手の文化を理解しようとするとは、すごい国だ。根性が違う。負けて当然だ。そう痛感させられました。
しかし、父は毅然とした態度で、お茶を点て、進駐軍にその理念を説き、将兵たちは、みな神妙な顔をして「イタダキマス」と言いながら、ちゃんと正座してお茶を飲んでいるのです。
その姿を見て、お茶というのはたいしたものだと感じたのです。茶室のなかでは勝った国も、負けた国もない。利休が織田信長や豊臣秀吉に文武両道が大切であると説いていたのと同じことを、父がいま目の前で行っている。茶の精神は確実に生きている、と。
同時に私がこの家に生まれた運命も悟りました。戦争で死ぬことができなかったのが運命なら、この家に生まれたのも運命。家元というたいへんな仕事を継いで、この精神を伝えていくことが私の運命だ、そう思い至ったのです。
その後、「『茶道こそ、民主主義の根本だ』と語っているアメリカの将軍がいる」という話を友人から聞き、たいへん感銘を受けて、その方に手紙を書きました。「日本の文化を深く理解してくださっていることに敬意を感じ、感謝している。そういう人物がいるアメリカの人たちに、茶道を通して日本の文化と精神をより広く知ってもらいたい」と。数カ月後に返事をいただき、GHQで整えてもらった書類を携え、私はアメリカに旅立ちました。1951年、まだ日本は占領下にあったときのことです。
それから、ニューヨークをはじめアメリカ各地で、お茶の普及に奔走しました。その間に、講和条約が結ばれ日本は国際舞台に復帰しました。サンフランシスコでのお茶会も、このときのアメリカ行脚のなかでの思い出深い一コマです。

お茶の心は万国共通

以来、私は世界の国々を300回以上訪れ、お茶を通しての国際交流を続けてきました。そのなかで気づいたことの一つが、お茶の心は、万国共通のものだということです。茶道はもちろん日本独特の文化ですが、お客様をおもてなしするときの気持ちはみな同じです。パーティで、自分がホストになり、自分で器を選び、料理を用意し、花を活ける。お客様の側も、プレゼントを持ってやってくる。お茶や食事をいただきながら、お互いが相手のことを理解しあう。そして、お互いに「ありがとう」と言葉を交わし、人間同士の絆を強める。まさにお茶の心です。真心でおもてなしすること、これは世界に共通し、人間にとってもっとも大事な「教養」と言ってもいいでしょう。
利休は、たとえ戦場のなかにあっても、茶席を設け、「まあお茶を一服どうぞ」というくらいの度量を持ちなさいと説きました。実際、利休は、秀吉が長い戦におもむく際は、一緒に行き、運搬できるように造った簡易の茶室を陣の片隅に建てて、その中でお茶を点てていました。
もし、その場を襲われたら、命を落とすのは必定(ひつじょう)です。そうまでして訴えたかったことは何か。それは、武だけではだめだということです。武には武の仕返しがあり、そうなれば悲劇の連鎖を免れることはできません。だからこそ武を抑える文、すなわち文化が大切なのだと、身をもって示したのです。
現代においては、戦争はもちろん武ですが、市場で戦って商売をすることも、また武です。新しい技術を競うのも、武でしょう。そこに文化はあるでしょうか。おもてなしの心はあるでしょうか。

お茶の心は万国共通

UAE アブダビ首長国のムハンマド皇太子殿下(左)に献上の「緑水庵」茶室披( びら) きにて

技術の心入れ

ひとつ例を挙げましょう。40年ほど前でしたか、ミキサーが家庭へ普及していった頃のことです。知人からこう言われたのです。
「これからは、なにも茶筅でシャカシャカやらなくてもミキサーでサッとやればよいじゃないか?」と。
 そうか、じゃあやってみよう、とミキサーで点てた茶と茶筅で点てた茶を飲み比べてみたのです。
結果は明白。誰が飲んでもすぐにわかるくらい味が違いました。
その差はどこにあるか。もちろん、おわかりでしょう。お茶を点てるときは、心をこめます。このお茶をあなたに差し上げたいと思って、一生懸命に点てる。その思いが、かけがえのないものとなるのです。いちばんおいしいお茶を点てて、あなたに喜んでもらう。そのためにいろいろ工夫をする。お点前が上手か下手かは二の次でよいのです。喜んでもらいたいという心があれば、血が通い、それがおいしさとなる。そして、点てた本人にとっても喜びとなるのです。
もしかしたら近い将来、お茶を点てるロボットが誕生するかもしれません。それはそれでおもしろいかもしれません。でも、そのロボットは、果たして人間が真心をこめて一生懸命点てたお茶のような味を出せるでしょうか。
心をこめることを「心入れ」と言います。いまの世の中、その心入れが非常に欠乏しているような気がしてなりません。経済も科学も政治も、効率や成果ばかりを追い求めて、心がありません。なんだか世の中が大きなミキサーの中に入ってしまい、かきまわされているような気がするのです。
どうか、一人ひとりが心を持って生きてほしいと思います。商品を作るのであれば、自分の利益だけを求めるのではなく、使う人すべてが幸せになれるものを作っていただきたい。技術を先取りすることだけを考えるのではなく、より多くの技術者、科学者が力を合わせ、丁寧な仕事で、本当に世界が喜ぶものを目指していただきたい。
案外、そんなところから、平和への道筋も見えてくるような気がします。

千玄室(せん げんしつ)

茶道裏千家 前家元

千玄室(せん げんしつ)

1923年京都府生まれ。同志社大学卒業。茶道裏千家第15代家元。64年、裏千家今日庵庵主として宗室を襲名。2002年嫡男千宗之に家元を譲り、玄室に改名する。「一盌(いちわん)からピースフルネスを」の理念を提唱し、国際的な視野で茶道文化の浸透と世界平和を願い、各国を歴訪。ユネスコ親善大使。日本・国連親善大使。日本国 観光親善大使。(公財)日本国際連合協会会長。文化勲章、仏レジオン・ドヌール勲章オフィシエ、UAE 独立勲章第一級受章。哲学博士、文学博士。