バックナンバーBacknumber

(注)所属・役職および研究・開発、装置などは取材当時のものです。

産学連携が生む最先端テクノロジー特別編

6年目を迎えた田中耕一記念質量分析研究所

チームワークを活かす

01
02

田中耕一記念質量分析研究所

主に質量分析計の基礎研究開発を行い、質量分析の新たな可能性と適応分野の拡大を図っている。同研究所を通じて、社外の研究者との新たなネットークを構築し、情報を相互に伝達することによって、大学、公的研究所、企業研究所などを有機的に結びつけることにも取り組んでいる。

巨大分子をイオン化するためにはどうすればいいか。フェローで田中耕一記念質量分析研究所所長の田中耕一は20年前、質量分析装置を開発する過程でその課題につきあたり、試行錯誤の果てに「ソフトレーザー脱離イオン化法」にたどり着いた。その独創性が評価されてノーベル賞受賞に至ったのだが、田中所長はこれからの研究開発は、チームワークがますます重要性を増してくると力説する。その試金石として始動した質量分析研究所は、今年6年目を迎えた。

独創とチームワークは両立できる

目に見えない分子の重さを量るにはどうすればいいでしょうか。それほど小さなものを天びんに載せて重さを量るというのは非現実的です。
「目に見えない物を見たい」という好奇心・ニーズをもとに生み出されたのが、分子を「イオン化」し、そのイオンを電磁気学の法則等を活用して「分離」し「検出」して「測定」する質量分析方法です。イオン化にはいろいろな方法がありますが、私の考案したソフトレーザー脱離イオン化法は、その独創性で後にノーベル賞をいただくことになりました。
しかし、たとえイオン化で画期的な発見があっても、見えないイオンを「見る」ための「分離」「検出」「測定」手法を同時に開発することが不可欠です。そこでは化学・物理・数学・電気・機械などの異なる専門分野を持った研究者が力や「歩調」を合わせることが不可欠です。こうした「横のチームワーク」が企業では重んじられるため、個人の「独走」を許すことで生まれる独創は阻害されると考えられていました。
つい最近まで、私のような企業の研究者・技術者からは決して独創的なものは生まれてこないといわれていました。企業が行なっていることは、あくまで応用であって、学問ではない。独創は純粋に個々の独立した学問を追究するところにしか生まれないという考え方です。
現在では、イオン化の前の「前処理」や測定後の「データ解析」まで含めて考えなければ、質量分析をより高度に発展させることは難しくなっています。個々の分野を深めるだけでは打ち破れなかった壁を、別分野のアイデアを取り入れることにより突破することもできます。このような異分野が融合する環境から20年前の発見が生まれ、現在もたくさんの独創が生まれ続けています。役立つ科学技術の進歩には幅広い学術分野の協力が不可欠なのです。
そのためには、産業界はもとより、大学、官公庁が目的を一つにして、協力して研究に携わることが非常に重要といえるでしょう。

02

横のチームワーク

異なる分野の研究者が互いに理解できる言葉で同じ目標を持って研究に従事する。一つの分野を深化させるには不向きだか、全体を見渡す目を持つ機会が生まれ、新たな課題を見いだしやすい。

02

縦のチームワーク

独創的なアイデアを事業化するための資金を提供し、市場に届けて人類への貢献を促すチームワーク。日本は独創は多いものの、資金不足がボトルネックとなるケースが多い。その打破が求められている。

 

共通の言葉で話そう

いま、当質量分析研究所には16人のスタッフがいて、「前処理」「イオン化」「分離」「検出」「測定」とそれぞれのステップで研究を進めています。所員は各々、分子生物学、物理学あるいは機械工学の専門家であり、担当分野はさまざまです。
分野が異なるということは、言葉が異なるということでもあるのです。物理の研究者同士が普段話している言葉を材料工学の人に向かって話しても、まず通じない。逆もしかりです。そこでこの研究所では、まず共通の言語を持つことに時間をかけました。
いまでは、それぞれが今何の研究をしているかを理解し、例えば分子生物学の人が、試料を載せる台はこういうのが適しているというと、機械工学の人が、それならこういう表面処理をしておいたほうがいいと応える。
お互いがお互いの研究を見て、全体を見ることができるというのは、新しい課題を見つけるうえでは大きなメリットです。課題が新たな発見の礎であることはいうまでもないでしょう。質量分析は、自然科学の大部分の分野とかかわりがあります。質量分析が、自然科学と社会・人文科学などとの異分野融合の橋渡し役を果たせるのではないかと思っていますので、そのためにも共通の言語で話すことを心がけています。

発見を事業につなげる縦のチームワーク

異分野の研究者同士が協力しあうことを横のチームワークとすれば、縦のチームワークというものもあります。独創的な発見に対して資金を供与して、役立つ製品として市場に届け、それで得られた資金をまた基礎研究開発に投入するという循環を支えるチームワークです。
この点で日本は欧米に大きく遅れをとっています。
いま現在も、大学や企業の研究所のなかには、独創的なアイデアが数多く埋もれています。しかしアイデアを評価するためには莫大な費用が必要なため、その時点で足踏みしてしまっているケースが非常に多いのです。
私自身、企業に所属するエンジニア・研究者でありながら、せっかくのソフトレーザー脱離イオン化法の発見を十分に事業に育てることができなかった、よい循環を生み出せなかったという忸怩たる思いがあります。
一方、アメリカには、エンジェルなど資金面から研究を支援する制度が確立されています。たとえばハリウッド俳優などから多額の寄付が寄せられたり、研究投資ファンドが素早く立ち上がったりして、基礎研究が一気に製品化まで運ぶことも少なくありません。
なぜハリウッド俳優たちが寄付をしてくれるのか。それは彼ら彼女らが人類のための行動に大いなる意義を感じており、またその研究が人類のために役立つということを理解しているからです。
その背景には、欧米の研究者たちは、支援者に理解してもらえるよう話す能力を持ち努力をしていることも要因として挙げられるでしょう。「私のアイデアはこういうことで、これはこういう製品となって、人類の将来のために役立ちます」と自らの言葉で伝えています。そこで信頼関係が構築され、資金提供がスムーズに運びます。
私たち日本の研究者も、組織の垣根を越えて、もっといえば科学者、企業、一般の人々の間に横たわる壁を越えて伝わる言葉を持つべきです。研究者に、そして研究開発に携わるすべての人に、今もっとも求められているのは、このコミュニケーション「力」ではないでしょうか。

(注)所属・役職および研究・開発、装置などは取材当時のものです。